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~地域住民と共に街を知り、街を育てる~ 東京・(株)文伸の試み
「おもしろくて楽しい街」をつくるための活動を続けている印刷会社がある。街に住む人、訪れる人すべてに街の魅力を理解してもらえるよう、自分たちのノウハウを駆使してクロスメディアなコミュニケーションツールを活用している株式会社 文伸 代表取締役社長の川井信良氏にお話をうかがった。
『都落ち』と感じた三鷹市への移住「地域活性を意識したことはない。住むなら、おもしろくて楽しい街にしたかった」と語るのは、株式会社 文伸の代表取締役社長・川井信良氏だ。文伸(旧社名:文伸印刷所)は、現社長の14 歳違いの兄・捷一郎氏によって、1962年に東京・三鷹市に設立された。結核で大学進学を諦め、療養生活中にガリ版(謄写印刷)のアルバイトをし、そのつてを辿って食べるために創業した。「千駄ヶ谷に住んでいたが、父の事業がうまくいかず、家族で三鷹に引っ越した。幼心にも『都落ち』と感じた」と川井氏はいう。捷一郎氏の奮闘と家族の協力で地域顧客が徐々に増え、会社も順調に大きくなっていった。少年の頃から凝った印刷物をつくる兄の背中を見て育った川井氏は、東京藝術大学のデザイン科を目指すが、受験に失敗し、20 歳で文伸へ入社した。入社後、日々黙々と仕事をする川井氏のなかには、やり場のない思いと行き場のないエネルギー、そして「おもしろいこと、楽しいことがしたい」という強い気持ちが常にあった。
やがて、地元青年団体のイベントを手伝うようになり、1974 年に青年向けミニコミ新聞『またんぴ』を、1979 年に地域ミニコミ新聞『みたかきいたか』を創刊した。市のイベントや市長の誕生日など、地域情報満載で「地域住民だけ伝わるおもしろさ」を追求したカレンダーも制作した。活動を通して多くの人と出会い、つながりができていくなかで、印刷会社にしかできないことがあると感じた。印刷会社にはモノづくり、人に伝える技術と能力、知識がある。新しいモノを生み出すときに、ディレクション、プロデュースできるポジションに立てると気付いた。
1995 年からは、まちづくりを推進する「みたか市民ネットワーク」に参加し、太宰 治など、三鷹の財産を伝える市民観光ガイド養成講座を開設した。川井氏も含め、三鷹市や武蔵野市は市外からの移住組が多い。地域ミニコミ紙など紙媒体以外のコミュニケーションツールの活用で、街の魅力を伝える機会も模索した。そして1999 年、市民が番組制作を行う全国でも珍しいテレビ局「むさしのみたか市民テレビ局」設立に参加する。だが、いよいよこれからという2005 年、川井氏は突然の病に倒れてしまう。会社が存続することが地域住民の役に立つ入院、自宅療養を送るなかで考えたのは、社員と地域と人生のことだった。
「会社は存続することが大切。いいモノをつくり、地域の人びとに喜ばれる存在でなければならない。そのことを生きがいとして、社員の人生が充実するのならうれしい」。闘病生活を終え、3 年遅れての社長就任となる。まず取り掛かったのは、経営理念の文章化だった。“なぜ50 年近くも存続できたのか”――その問いの答えを探すことから「社員と家族の生活を守るため、充実した人生を送るため、どんな人にもチャンスを与え、教育する」という経営理念が生まれ、顧客や地域のために「考える、トライする、感謝する」というスローガンを掲げた。
「みたか散策マップ」とは
2007 年、民学産公協働で市民主体の新しい都市観光の推進を図る「みたか都市観光協会」が立ち上がった。2008年にはNPO法人みたか都市観光協会となり、川井氏はそこで理事を務めることになった。
2009年11月、三鷹市の「統一観光マップ」を作るプロジェクトが持ち上がった。それまで、三鷹市には約10種類のマップやガイドがあり、統一されたものはなかった。当初は地図専門会社へ依頼する話も出たが、最終的には文伸・川井氏のもとへ依頼が舞い込んだ。川井氏は、地元・三鷹の魅力を知り尽くす強みを生かし、エリア別・テーマ別に、7つのお薦め観光コースを掲載した「みたか散策マップ」をつくり上げた。「みたか散策マップ」はA4サイズの冊子で、取材・デザイン・マップイラスト・制作はすべて文伸のスタッフが手掛けた。見開きで各コースの観光スポットを紹介し、所要時間や距離も記載、一見して必要な情報が得られる。マップはみたか観光案内所などで無料配布され、1日100円でレンタルできる「音声ペン」を使えば各スポットの解説を日英中韓の4カ国語で聞ける仕掛けもある。
「初版3,000部だったがすぐになくなり、現在までに1 万5,000 部刷っている。みると、観光客だけでなく地元住民も多く手に取ってくれている。新しく三鷹に住む人、訪れる人両方に街を好きになってほしい」。
地元のことは地元の業者がいちばん知っていると企画提案した「みたか散策マップ」は、(社)日本グラフィックサービス工業会作品展、開発開拓部門で厚生労働大臣賞を受賞したほか、観光協会も三鷹市長表彰を受け、かかわる人たちにも喜んでもらえた。
大手にはできないオリジナリティーある地域本
文伸には、ほかにも地域に根ざした多くの制作物がある。たとえば、18 人の地元経営者のインタビューをまとめた『三鷹の経営者18 人の金言集』や、井の頭公園だけに特化した『井の頭公園まるごとガイドマップ』、太宰 治の三鷹での足跡を地図にした『元祖太宰マップ』、地元在住のカメラマンが撮り続けた吉祥寺の写真集『懐かしの吉祥寺』などだ。「井の頭公園は都内からも多くの人が訪れるが、大手出版社は1 冊すべて井の頭公園だけを取り上げた本を発行しない。有名な経営者の言葉を集めた書籍はいくらでもあるが、地元経営者の言葉をまとめたものはない。それをつくるところにオリジナリティーが生まれる。ただ、街を知り、街を考え、街を伝えていく仕事に携わりたいだけで、大きく金儲けしようとは考えていない」。都会の版元に鍛えられ、本を制作する技術がある。取材、ライティング、編集のノウハウがある。その強みを使って、人と人、人と地域を繋げる仕事をしていけば、それが自ずと地域貢献につながり、喜ぶ人が増え、地域が元気になっていくのだ。
印刷会社だからできること、印刷会社にしかできないこと
印刷業は地域貢献や地域活性化のために、自分たちが持つノウハウや知識を使ってプロデューサー的ポジションで参加できる幸せな業種だという。印刷業は日本プリンティングアカデミーの濵 照彦校長のいうように「コミュニケーションお世話業」なのである。「人と人、人と地域をつなげる架け橋になって、地域に深くかかわると、さまざまな人の存在を知ることができる。人や街の個性を大切にしながら、そこに住む人と一緒に街をつくっていける絶好の位置にいる。そういう印刷関連業を生業としている私たちは幸せだと思う」。
2012 年、文伸は設立50 周年を迎える。今後の予定をうかがうと、「50 周年記念事業として、2017 年に開園100 周年となる井の頭公園のカウントダウン新聞を発行しようと考えている。街の人は喜ぶだろうし、社内に取材や編集ノウハウも蓄積される。発行に合わせて顧客のところへも持参できるから一石三鳥にも四鳥にもなる。それに合わせて色々なプロジェクトも進行中」と笑って答えてくれた。自分が生き、暮らす地域を大切にする気持ちを持つ多くの仲間とともに、川井氏の「いとをかし」な街づくりはこれからも続いていく。
(『プリバリ印』2011.10月号掲載より) JAGAT研究調査部 小林織恵
-取材協力ー
株式会社 文伸
事業内容:印刷全般、自費出版(原稿整理、編集、印刷、製本、出版まで)、印刷メディアを中心とした企画デザインなど