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~老舗印刷会社が取り組む地域への恩返し~ 奈良・(株)明新社の試み
旧社屋を使って地元に観光客を集め、商店街再生のきっかけをつくった印刷会社がある。意見の相違により生まれた2 つの記念マスコットキャラクターをコラボレートさせて話題をつくり、商店街に新しい名所をつくった株式会社明新社 代表取締役社長 乾 昌弘氏にお話をうかがった。
愛着を持てなかった奈良の街
NPO 法人観光深耕「風になろう!」理事長、NPO 法人奈良元気もんプロジェクト前理事長、奈良イベント事業協同組合理事長、コミュニティFM「ならどっとFM」取締役会長など、自社の社長業以外にも10 以上の公職に就き、奈良をますます魅力ある地にすべく、精力的な活動を続けているのが、株式会社明新社の乾 昌弘社長だ。
明新社は、1874年(明治7 年)に近鉄奈良駅前、奈良で最も古い商店街のひとつの奈良市橋本町「もちいどのセンター街」で「奈良明新社」として創業した。商業印刷や美術印刷を得意としており、イベントやWeb事業も手掛けている。地元顧客とのつながりを大切にし、今年創業137 年目を迎える。
「中高は大阪の学校に通ったし、大学は京都。奈良で生まれたけれど、大阪のような派手さも、京都のようなきらびやかさもない奈良には何の愛着もなかった」と乾氏はいう。
大学を卒業して大阪の企業で数年間修行を積み、その後は奈良に帰って明新社に入社し、奈良青年会議所に入会した。
奈良のデメリットを最大のメリットへと変える
日本青年会議所への出向で、県外の人との付き合いが増えるにしたがい、当たり前に暮らしていた奈良の街が、とても魅力的だと気付いた。国宝の建造物に囲まれ、古都の歴史と風情ある佇まいを持つ奈良は、人気のある観光地だ。しかし、自分も含めた地元の人間はその価値に気付いていなかった。
「五重塔も大仏様もあるのが当たり前。鹿が歩いているのが日常なんです。県外の人はみんな『奈良はいいところだね』という。でも修学旅行で訪れて、それっきりの人もとても多い。それを聞いて、奈良を何度も訪れたくなる魅力ある地域にしたい、地元に貢献したいという気持ちが強まった」。
しかし、奈良には、既に観光資源があるのだから新しいことをする必要はない、という変化を嫌う気風があった。
春・秋は観光客で賑わっても、夏は「夏枯れ」と呼ばれる閑散期になる。古いモノを生かしながら新しいモノを加え、価値を創造しなければ地域発展につながらない、と考えていた乾氏は、「夜は闇しかない」といわれた奈良のデメリットをメリットに変え、夏枯れを返上するイベントを企画した。
地域住民の心に新しい火を灯した「なら燈花会」
1999 年8月、奈良青年会議所、商工会議所青年部、経営者会青年部の共同企画イベント「なら燈花会」が誕生した。灯心の先にできる花形をしたロウの塊を「燈花」と呼び、縁起が良いとする仏教の考えに由来し「燈花会(とうかえ)」と命名した。8月上旬、世界遺産に囲まれた奈良公園をはじめ、さまざまな場所に柔かな火を灯し、幻想的で神秘的な雰囲気で包む。
「期間中は市内の商店街や自治体も独自の燈花会を開催し、毎年参加者数が増える奈良の一大イベントになった。『夏枯れ』という言葉が街からなくなったんです」。
だが、成功までの道のりは決して平坦ではなかった。運営3 団体間の意見調整や奈良印刷会社と地域活性化6奈良のキャラクター商品が一堂に会する店内。明新社オリジナルグッズも多く並ぶ公園で火を使うことへの反対意見、期間中の閉店時間延長を商店街にお願いしても協力を得られないなど、いくつもの困難が立ちはだかった。しかし、地道な活動を続けるうちに理解が得られるようになり、協力者の輪も広がった。
街に住む人の意識を変えることになった「なら燈花会」を成功させた乾氏は、奈良青年会議所卒業後に、自社でも地域活性事業に取り組むことを決意した。
いたずら書きをヒントに生まれた新しい観光スポット
1989 年(平成元年)、明新社は奈良市南京終町に社屋を移転した。旧社屋は商店街にあるため、名刺や年賀状などの受付窓口を置き、シャッターを下ろさないようにした。だが、本社同様の勤務時間のため観光客が来る土日祝日は閉まっていて、寂しい印象を与えてしまう。旧社屋を活用して何か商店街活性化につながることをしたいと考えていた矢先、シャッターに落書きをされてしまった。さらに印象が悪くなると悩んでいたとき、営業メンバーに軽い気持ちで相談した。
「奈良遷都1300年祭のキャラクター『せんとくん』が賛否両論で物議を醸し、市民団体が新しいキャラクターを公募していることを知った営業が『シャッターの半分にせんとくん、もう半分に市民団体のキャラクターを描いて仲良くさせよう』といい出したんです」。
おもしろいと感じた乾氏はすぐに関係各所の許可を取りつけて実行した。すると全国ネットの番組で取り上げられ、旧社屋のシャッターは多くの観光客が訪れるようになった。その後、シャッターが開いていても人が訪れるようにと、受付窓口があった事務所部分を、奈良のキャラクターショップ「ならクターショップ絵図屋」としてリニューアルオープンした。
絵図屋の運営と奈良から新しいことを発信する「ナ・LIVE」
絵図屋には、明新社がオリジナル加工したキャラクター商品が数多く並んでいる。ポストカードやカレンダー、ノートにメモ帳などの制作はお手の物だ。キャラクターは露出し続け、人の目に触れ続けないと育っていかないと、乾氏はいう。そのためにも、絵図屋はなくてはならない場所になっている。
同じ頃、地域情報誌への広告協賛も、全て明新社から絵図屋へと変更した。するとキャラクターと店舗の認知度が上がり、商店街やお店を訪れる地元客が増えていったという。多くの人が行き交い、再生した商店街の様子を見るため、全国からも視察が訪れるようになった。明新社を育ててくれた地域や商店街に恩返しができた瞬間だった。
しかし、乾氏にはもう1つ、旧印刷工場の有効活用という課題があった。「工場横の映画館が廃館になり、跡地にはマンションが建つことになった。土地を売ってほしいという話はたくさんきたけど、地元が育ててくれた明新社の創業地がマンションやホテルになるのはおかしいと思った。何かを発信できる場所、奈良の魅力を伝える場所にしたかった」。
あるとき、旧印刷工場を芝居小屋、劇場にすることを思いついた。紆余曲折を経て、劇団「カムカムミニキーナ」を主宰する奈良出身の松村 武氏と会うことができ、カムカムミニキーナ公演はもちろん、一般参加型演劇イベント「ナ・LIVE」や映画の上映会、音楽ライブなど、奈良の「新しい文化」を育てる場所へと生まれ変わった。
情報を発信し、情報が集まる印刷会社が持つ可能性
「昔、印刷会社が音頭を取って地域活性化をリードできるとは思っていなかった。でも、経験を積むうちに印刷会社こそが地元を引っ張っていける存在だと気付いた。いま、ありがたいことに明新社にはいろいろな相談事が舞い込むようになり、イベントの企画立案から最後までを引き受けることもあるんです」と乾氏はいう。
どんな会社も取引先になる可能性があり、たとえ自社の顧客にならなくとも印刷会社の持つネットワークを使えば、何かと何か、誰かとだれかをつなぐことができる。「印刷屋」と呼ばれた時代もあったが、紙にインクをのせる仕事だけでなく、印刷会社のもつ発信力をうまく発揮していくと周囲の環境も変わり、相談事やより多くの情報が集まるようになる。
「100年以上も続けてこられたのは、地元がかわいがってくれたから。明新社には、感謝の気持ちを持って今後ますます地元に何かを返していくという義務がある。私たちの基本はいつも奈良。その軸だけはぶれさせてはいけない」。
原動力は、地元への愛と大きな感謝の気持ち。100 年企業が持つ責任と重圧を背負いながら、乾氏は今日も、奈良をさらに魅力ある土地へとすべく活動を続ける。
-取材協力ー
株式会社明新社
商業印刷物、美術印刷物、特殊印刷(+RGB7色印刷)、セールスプロモーション、イベント、Web事業など