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以前の「玉手箱」で「ポイント・システムの由来」について述べたが、説明不足があったので改めて解説する。
フランスでは18世紀の後半まで活字の大きさを表す尺度がなく、特別な呼称で呼ばれ不正確なものが多かった。そこで1737年にフランスのフールニエが、活字寸法の不統一防止のためにポイント制を考案し提唱したのが最初である。その後改良を加え、最も完備したポイント制を発表したのが1764年である。これが「フールニエ式ポイント」である。
フールニエ・ポイントは「シセロ」活字の大きさを基準として、その12倍(12シセロ)を144ポイントとしている。その1ポイントは、0.01373インチ(0.3487mm)に相当する。「シセロ」とは、ドイツおよびフランスにおける、活字の大きさの古い呼称のなかで12ポイントに相当する呼び名である。したがってシセロはパイカと同様に、活字の単位の基準とされるものである。
このようにして活字の大きさに定尺を与え標準化を図ったが、問題があったのであまり実用化されなかった。その理由は紙に印刷した物差しであったため、寸法の正確性に乏しかったからだ。
その後240ポイントの金属製の物差しを作って正確を期したが、物差しを作るたびに狂いが生じるという技術的理由があって普及しなかった。フールニエの1ポイントは0.3487mmであるが、この頃のフランスではまだメートル制が実施されていなかったので、メートル法に改められるまでは完全なものではなかった。
1770年ごろフランスのディドーは、活字の大きさの古い呼称を捨てフールニエ制ポイントを改め、ポイント数だけで大きさを表すことにした。そしてフランス常用のフート尺(イギリスのフート尺の12.7892インチ)の1/12インチを6ポイントに定めた。したがって1インチは6ポイントの12倍、つまり72ポイントに当たり、1ポイントは0.0148インチ(換算すると0.3759mm)になる。
しかしフールニエ・ポイントとディドー・ポイントを比較すると、シセロ(12ポイント)においてディドー・ポイントの方が0.3264mm大きい。そのためディドーはシセロの大きさを11ポイントにする必要があったといわれる。このために混乱をきたし、フランス国内の多くの印刷所はフールニエ制にこだわり19世紀まで続いた。
ディドー・ポイント制の1ポイントは0.0148インチ(英)で0.3759mmである。イギリスおよびアメリカでも、当初は活字の大きさを表す一定単位がなく、大小の活字に名称をつけて区別していた。
フールニエから80~90年後に、ニューヨークのジョージ・ブルースが、ポイント制による活字の大きさの規格を考案した。当時アメリカにもフールニエ・ポイントやディドー・ポイントが輸入されていたので、それに刺激されたものと思える。しかしこの方法は一般的には行われなかった。
そして1886年に全米活字鋳造業者が集まり、マッケラー・スミス・アントジョルダン会社のパイカ活字の1/12を1ポイントに定めた。そして従来の呼称を捨て「グレートプライマー」を18ポイント、「パイカ」を12ポイント、「ロングプライマー」を10ポイントと呼ぶようになった。これがアメリカ式ポイント制である。
イギリスでは1898年に、アメリカ式ポイント制を採用した。ヨーロッパでポイント制が実施されてから、遅れること150年後であったといわれている。