[The Future of marketing and media(マーケティングとメディアの未来)]という副題をつけた[ Virtual Worlds Conference 2007]が今年の3月28日〜29日にニューヨークで開催された。
その中で、マーケティングなどにも効果が発揮できそうだとか、そこで使われるバーチャルマネーが広がり実体経済にも影響が出そうだとか、日本でも最近話題を振りまいている、多人数が同時に参加できるオンライン仮想3Dゲーム[Second Life]を運営するアメリカのリンデン・ラボ社の経営最高責任者Philip Rosedale氏が興味深いオープニングスピーチを行った 記事が、日経BPネット3月29日号に出ていた。
彼の結論は、[可能性は無限で、その先に何が待ち受けているかは誰も分からない]、というものであった。確かに、次にネット上でどんな新しいサービスが出現するか?そして、どれが大きいビジネスになるか?など個別ミクロなことは誰にも分からない、と筆者も思う。
しかし筆者は、文化進化レベルのマクロな未来は十分に予測可能であると考えている。それが、『グーテンベルグの銀河系』から『チューリングの宇宙』へ、である。
文化(culture) を科学的には人間の生活様式の総体と定義している。 『グーテンベルグの銀河系(The Gutenberg Galaxy)』とは、前述のマクルーハンが1962年に出版した書籍のタイトルである。この本は、グーテンベルグが17世紀半ばに開発した近代印刷技術が西欧の文化全体に与えた影響を論述したものであった。
グーテンベルグの印刷技術は、それ以前の印刷技術と違って高品質の印刷物を大量に、しかも安価に創りだすことに道を開いた。マクルーハンは、その印刷技術(情報技術)が拓いた文化の広がりを銀河にたとえた。
ならば、印刷を含む現代のデジタル情報技術(IT技術)が拓く文化の広がりを宇宙にたとえることは妥当であろう。例えば、コンピュータによる自然界のシミュレーションは、素粒子・原子レベルのミクロから宇宙レベルのマクロの振舞いまでコンピュータ上に創りだす。
マクルーハンは、残念ながら現代のITC革命を見ずして他界した。もしも、彼が今生きていると仮定すれば、『グーテンベルグの銀河系』が『チューリングの宇宙』へと広がった、と表現するのではないか?と筆者が勝手に想像したのである。
アラン・チューリング(1912〜1954)はインド生まれのイギリス人数学者で、彼が考案した論理マシン(チューリング・マシン:1936年)はバーチャルな万能コンピュータで、その後のコンピュータ開発に大きく貢献した。さらに、チューリングは人工知能(AI)の可能性について積極的な論理を展開した アラン・チューリング。このような意味で、チューリングは現代コンピュータの元祖であり、ITの父といって良い。
そして、第2次大戦後の科学・技術と経済を中核とする合理の人間文化の急速な進化がチューリングの宇宙的状況を創り出しつつある。現在、その中の一角にはデジタルワールドのWeb2.0も含まれている。
たかが3Dシミュレーションゲームのネットワーク版ではないか!と言うなかれ。 デジタルワールドの技術的能力の進歩を、「ムーアの法則」のように指数関数的に外挿して考えれば、シムシティ(SimCity:1989)、シムアース(SimEarth:1990)・・・・、シムピープル(The Sims:2000)、セカンドライフ(Second Life:2002)・・・・と、今後その能力も規模も飛躍的に向上するだろう 。
わが国の天気予報は、全国各地に配備されている気象観測端末や宇宙の気象衛星からのデータをもとにスーパーコンピュータで気象の近未来変化をシミュレーションすると同時に、予報官の頭脳による解釈を加えるAIと人間頭脳のハイブリッドシステムで行われている。
物理や化学におけるシミュレーションのように基本的には全てが合理の体系であれば、入力データや計算式が正しければコンピュータシミュレーションの結果は、実体の振る舞いと正しく一致する。誤差があるとすれば、データが不十分であるか、計算式が間違っているかである。
合理と不合理は同一線上の対極である。これに対して美や愛が代表する非合理は直交する軸上にある。科学・技術と経済の合理追求によって、合理の文化は巨大な広がりを見せてきた。
一方、その中で非合理の文化は伸び悩んでいる。なぜならば、非合理は人間個人の属性であり、前世代から次世代へ単純には引き継がれない。非合理の進歩は、直線的ではなくスパイラル的だ。非合理のデータ化はこれまで難しかった。
しかし今後、世界のインターネットが更に高速低価格化し、同時に高性能・低価格のパソコンや携帯端末が世界の人々に普及して「セカンドライフ」のような多数の参加者とコンピュータのハイブリッド型シミュレータがさらに進化すれば、合理・不合理・非合理を含む人間社会全般に関わる精度の高いシミュレーションが可能になるだろう。
ここではマーケティング目的のシミュレーション等はもとより、深刻度を増している西欧文明とイスラム文明の衝突の解決にも役立つのではなかろうか? 戦争もジハードもデジタルワールドに限定して実行してもらいたい!
政府の「イノベーション25」を読者はどのように感じられただろうか? 近い将来に間違いもなく、リアルとバーチャルを問わず多種多様なロボットが実用化され、人間の文化自体に多大なインパクトを及ぼすことになる、と筆者は考えている。ネットワークや端末の知的化(ソフトロボット化)もどんどん進むだろう。これをWeb3.0と呼ぶか?などどうでもよい。
リアルワールドの私たちの身の回りでは、格差や高齢化への対処、世界的な文明間の緊張や環境問題など一夕一朝には解決しないも多い。人間はもっと賢くならなければならない。そのためには個人をサーポートするマイパートナー・ロボットが必要だ。つぎの1]〜4]でも当面の推進役は生身の人間である。
1]コミュニケーション革命
2]ロボット工学
3]遺伝子工学
4]ナノテクノロジー
ITC革命を受けてメディアも、今まで以上に急速に変化するということだ。例えば、電子ペーパーの実用化が最近話題になっている。富士通の子会社、富士通フロンテック(株)と(株)富士通研究所が共同で2007年4月20日に発表したプレスレリースによると、カラー電子ペーパーを採用したユビキタス・コンテンツ・ブラウザ(情報携帯端末)を製品化して本日より発売、と報じている。
画面の大きさはA4とA5タイプの2種類で、A4タイプは480g、A5タイプは320g、両タイプ共に厚さ12mm、一度読み出し操作をした後は電源を使わずに最大50時間の連続使用が可能。情報携帯端末に4Gバイトの記憶装置を用いれば、新聞1年分、新刊書5,000冊分のコンテンツを持ち歩くことができるそうだ。
筆者は、1]〜4]などの進歩がからみあって、このような発表が今後も続々続くだろう、と考えている。なぜならば、電子ペーパーは人類の夢の一つだからである。私たちは、クロスメディアの哲学の確立と共に、クロスメディアの多様な可能性を継続して検討していく必要がある。
未来を夢見る中国やインド、ASANなども科学・技術力をつけて経済も目覚しく発展するだろう。自然から想定を超える強烈なインパクトでも加われば別物だが、人類が発展(development)の流れを止めることはないだろう。
現代人類の政治文化の大勢となった民主主義とは、経済発展に失敗すると政府が責任を取らされる制度である。未来を夢見てたゆまざる合理追求のdevelopmentが必要なのだ。従ってdevelopmentについてゆけない人間は落ちこぼれる。
この文化は、必然的に格差を内包している。落ちこぼれを防止し、救済するのも政治の重要な責任である。しかし、そこはすべてを合理で割り切ることはできない。美や愛の非合理が重要な役割を担う。政治・行政そして司法の民主主義高性能シミュレータの実用化を望む。
この問題に関しては、メディアの送り手側の論理ではなく、個人と文化の視点が何よりも重要であると筆者は考えている。
哲学は、生身の人間がより良く生きる知恵を生み出すのが役目だが、技術的特異点を目前にして「我思うゆえに我あり」の哲学体系から、「諸法無我」の哲学体系に無事移行することができるであろうか?
諸法無我および三法印
個人の人生は長く見積もっても100年である。一方、人類のDNAと文化はすでに700万年生き続けている。私たちの生き様は、DNAと文化に記録される。そして、DNAと文化は技術的特異点を超えてさらに生き続けるだろう。
すなわち技術的特異点とは、「我思うゆえに我あり」の生身の人間の特異点であって、文化そのものにとっては特異点でもなんでもない。強いて言うなれば、文化がDNA離れ(モノばなれ)して地球を超え宇宙へ発展していく記念すべき時代、とでもしておこう。
21世紀を生きる個々人にとって最も重要なことは、より良く生きる覚悟である。すなわち、より良い自己実現を目指すことである。 [http://www.jagat.or.jp/story_memo_view.asp?StoryID=10446]
私個人にとって[http://www.amazon.co.jp/]は、書籍探しの傾向をある程度のみ込んだマイパートナー・ロボット的存在である。新しい本が出版されると、その中から筆者が興味を持ちそうな冊子を選んで通報してくる。リチャード・フロリダ:クリエイティブ・クラスの世紀(The Flight of the Creative Class)、ダイアモンド社 2007.4とDIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー:クリエティブ資本主義、ダイアモンド社 2007.5もその中の一つである。
時代の変化が加速する世界にあって、創造力のある人々が重要視されるというのは当然のことでフロリダ氏に指摘されるまでもない。2000年にJAGATが出版した拙著:デジタル革命とメディアのプロのなかでも「ノマド(NOMADE)」=遊牧民として議論している。
アメリカのジョージ・メイソン大学公共政策大学院の教授でブルッキングス研究所シニア・フェローのフロリダ氏は、レポートの冒頭でアインシュタインの言葉'選択の自由がある間は、法の下での自由、寛容、市民の平等がルールーである国に、私は住むつもりだ'を、引き合いに出して数々の新しいデータをもとに、彼の言うクリエティブ・クラスの現状と将来を展望している。
彼の調査による世界のクリエティブ・クラスの人口比率順位では、1位アイルランド、2位ベルギー、3位オーストラリアで、日本や中国、インドは必要なデータが得られなかった、と報告している。しかし、その後に出版されたDIAMONDハーバード・ビジネス・レビューでは記者のインタビューに答える形で、彼が見る日本の長所と短所を論評しているので興味があればご覧頂きたい。日本人には大いにクリエティビティ(創造力)がある、というご宣託である。
ピーター・ドラッカーがかつて次のように言っていた。[知識労働者は、自らのマネジメントに責任を持たなければならない](Management Challenges for the 21st Century,1999)。今や、私たちは自分自身のマーケティングとマネジメントを考える時代に入っている。
ここでは、第1章で述べたマーケティングに関する嶋口氏の事業運営の基本(Fig.2) を個人におけるマーケティングの視点で書き換えてFig.6に示した。そして、より良い自己実現とは何か? Fig.7を併せて読み解くことで、全てのキーワードを容易に関係付けることができる。
従来、マーケティング・マネジメント・イノベーション、それを支える創造力の問題は、エンジョイ(利潤を享受する)と一体で議論されてきた。しかし、これからは自然環境の問題を含めて『調和』を重要なキーワードとする三位一体の形で議論を進めなければならない。
つぎに、文化進化の中の個人について考え方を整理しておく必要がある。Fig.8は、自分とは何者なのかを考えるためのイラストである。
現代遺伝学が教えるところ自分のDNAは、父親のDNAと母親のDNAの1/2を引き継いだものであり、自分の身体を形成する約60兆個のそれぞれの細胞(自律的に働くミクロなロボット)の核内に存在する[http://ja.wikipedia.org/wiki/細胞核]。
とすると、自分の父親と母親より前のすべての世代で夫婦間の子供が1人と仮定すればFig.8(a)のDNAのピラミッド構造が成立する。この場合は、10世代前に遡ると正確な数字で、1,024人のご祖先様が自分を支えてくれていることになる。
そして、この仮想のケースでは、33代前まで遡れば約84億人という巨大な数字になる。更に重要なことは、いずれかの夫婦に子供ができなかったとすれば、それ以降のDNAピラミッドは形成されないことである。
現実には、すべての夫婦の子供が1人ではない。Fig.8(b)は、子供が複数である場合のDNAピラミッド構造をシミュレーションしたものである。この場合は、世代を遡るごとに過去の世代の地域の人口、国の人口、世界の人口に収斂することがすぐに理解できる。
そして重要なことは、Fig.8(b)のケースでも、DNAピラミッド構造のどこかの部位で夫婦間に子供ができなかった場合は、今の自分は存在し得ないという事実である。すなわち、私たち一人一人が太古に共通の祖先を持つ巨大なご祖先様のDNAピラミッドの頂点に立っているのであり、それを自覚することと自己愛を持って自らをマネジメントすることで個性を発揮し文化に貢献することが重要である。
生身の人間は、DNAの運び手であり、文化要素については過去の文化要素の運び手であると共に、文化進化の要素としての破壊と創造の実行者でもある。ただし、進化は個々人が考える価値とは無縁であることに留意すべきだ。
マクルーハンはThe Medium is the Messageをメディア論の名著として評価の高い自著UNDERSTANDING MEDIA〜The Extensions of MANの中で述べている。これに対してドラッカーは、[メディアはコミュニケーションの方法だけでなく内容さえかえる]、とも言っている。
さらにドラッカーは、[マネジメントとは、伝統的な意味における一般教養である。知識、自己認識、知恵、リーダーシップという人格に関わるものであるがゆえに教養であり、同時に実践と応用に関わるものであるがゆえに教養である]、とも指摘している。
クロスメディアは、個人の立場からすると、それぞれ独自の特徴を持つメディアを自らが交差的に活用することで自己の拡張を図るものである。一方、メディアの運営主体からすると、自らが運営するメディアの価値を高めるためにユーザーに対して他メディアと交差を容易にするサービス機能を向上させることである。
クロスメディアは、基本的にはリアルワールドにおける紙メディアを含む伝統的なメディアとデジタルワールドにおけるWeb2.0型メディアなどを交差させ、人間の能力を拡張することを使命とする。
例えば、伝統的な教養を持つ記者や編集者が制作する新聞は、大判見開き紙メディアならではの一覧性がある。公共組織や企業は、新人に対して新聞を読むように指導するところも多い。一方、新人はWeb2.0型メディアにすでになじんでいる。クロスメディア・リテラシーの向上にチャレンジする必要がある。今、全てのメディアが「メディアの大分岐点」にさしかかっている。
筆者は、自分のマインドと多様なメディアをクロスすることでこの報告書を仕上げた。参照情報のすべてに経緯と謝意を表す。
2007/07/12 00:00:00