もともとTVのCFのように短時間でインパクトの強い映像を作らなければならない世界では、特殊映像が多く作られていた。面白い映像で「これはどうやって撮ったのか?」と考えさせられた。最近の傾向としては動物を擬人化したようなものがCG合成で作られる。そのようなテーマは今日ではCG映画が作られている時代なので、当然といえば当然なのだが、「これは動物タレントか? CGか?」と不思議に思うものは多くなっている。セゾンカード・UCカードの永久不滅ポイントのCFは、競走馬から撮影で3D情報を取り込んで作った特殊な着ぐるみと、CG映像の合成で作られたそうだ。上半身はCGで下半身は着ぐるみであることが見ている人にわかるであろうか?
CGでリアルな表現をするにはいくつかの理由がある。現実には全くあり得ないSFX/VFXばかりでは鼻につくが、日常見慣れているものでもシャッターチャンスが滅多にないものや、ペットに演技させるようなものは視聴者にもよく受け、実際TVのCFでは動物園で人気者になっている動物のしぐさのようなCGが使われる傾向がある。
当然ながらCFのハイライトシーンは印刷原稿にもなるので、CGで解像度は自由にレンダリングできることは印刷用としても大きなメリットである。アナログの時代はレタッチを重ねるごとにビットマップ画像は劣化するものであったが、CGはどのように見え方をコントロールしても画質の劣化はない。むしろ質感表現のアルゴリズムを改良すれば、同じデータからでもさらに質の高い画像を作り出すこともできる。
工業製品の商品写真のCG化というと「プラスチック」な質感のイメージがあるかもしれないが、今取り組まれているのは自然の情景をCG化することである。草原の光景でも日出から日没まで自由に変えられると、写真表現の範囲は豊かになるだろう。
これから写真とCGの立場は入れ替わるようなことになるのではないか。つまりCGのデータこそがレタッチ済みのデータとなり、また今後使い回すためのマスターデータとなっていく。画像あるいは画像の部品のうちで今後とも変わらない基本要素はCG化することにメリットがある。例えば肌が日焼けした感じを加えたければ、実際の肌の感じを人間からサンプリングするのが良い。その場合には写真をとって、その肌の感じをCGに貼り付けるようにするのだろう。つまり写真は素材・あるいは現実世界をサンプリングするのが役割になる。
これは電子楽器にも似たことが言えて、電子ピアノとグランドピアノを聞き分けられる人はもういないという。それはグランドピアノの音をサンプリングして電子ピアノで再現しているからである。しかし電子ピアノはアナログ楽器の模倣ではなく、アナログ時代には聞くことができなかったような音楽も可能にする。それはすでにわらわれの周りにあることである。そのような人間とシンセサイザーの関係のようなことが、これからグラフィックアーツの世界にも起ころうとしているのだといえる。
テキスト&グラフィックス研究会 会報 Text&Graphics 269号より
2008/07/03 00:00:00