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UDはフォント一般に通じる心

フォントのウェイト・ファミリーの開発や字形の整備は電算写植の時代に一気に進み、それがDTPの時代も受け継がれている。それはシステム的にフォント集合の設計編集が可能なデジタルフォントの制作環境が導入されたことが大きな要因だった。Adobeの最初のアプリケーションソフトであるイラストレータは、Type1フォントの編集ツールから発展したものであったといわれているが、Mac/Lisaができたころには、それまでミニコンやワークステーションで作っていたフォントツールをパソコンに移植していたことになる。

日本でもそのころ電算写植書体が充実し、それはその後10数年掛けて紆余曲折しながら徐々にDTPに浸透していった。それにあわせてフォント制作環境のパソコン化も充実し、それまでは電算写植開発の一部門であったフォント制作が独立した仕事になっていった。しかし一方でユニコード対応や度重なる外字の取り込みによる開発対象字種の飛躍的増加は、フォントを独立した仕事にする人にとっては非常な重荷となり、経営を苦しめたと思う。

それにもかかわらずフォント開発は不屈であって、新たなニーズにも対応している。「もっと読みやすいもの」、新鮮なものに対する欲求はなくなることはないのだろう。実はそれだけではなく、フォント開発の考え方も以前とは変わりつつあるところがある。しかもそれは欧米先進国の考え方に近づいているように思える。最近はユニバーサルデザインを考慮したフォントの開発が多いが、これは至極当然な経緯であって、欧文フォントの100年以上前からの開発動機もほぼ同じであったに違いない。

明治以降に活版印刷が普及した日本においては、海外にすでにサンセリフがあったからそれに外観が相当する「ゴシック」を開発したのだろう。日本では本文明朝の開発は殆どのフォント開発者が心血を注いで行って、良いものが産み出されていったのに対して、ゴシックで本文を組んで納得できるものを作るのは難しく、かなり後になってしまった。

フォントに限らずそもそも外観イメージの模倣から始まったものは、なぜそのようなデザインになったのかという着想が欠けてしまっているので、先の展開に行き詰まることがある。日本人の当時の理解のズレがゴシックの名称に現われているように、ゴシックも先の展開という点では行き詰まりがちだったのではないかと思う。

ところが今日のように文字種が多く経費もスキルも必要というフォント開発の置かれた厳しい状況では、安直にすでにある外観の模倣的なフォント開発をして、あと手直しの連続ということはやってられなくなったのであろう。フォントデザインのコンセプトがよく練られていて、細部まで仕様を決めて、途中で評価しながら、回り道を少なくしてゴールにたどり着くような、開発方法も含めて「設計」に視点が移ってきた。

テキスト&グラフィックス研究会 会報 Text&Graphics 270号より

2008/08/13 00:00:00


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