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2.技術の標準化

コンピュータの100年と、インターネットへの相転移  その2

社団法人日本印刷技術協会 副会長 和久井 孝太郎

電気・電子計算機は過去いろいろな方式が開発されたし,また現にされつつあるが,現代を代表するのもはノイマン型(プログラム内蔵型)コンピュータである。ジョン・フォン・ノイマンは,ハンガリー生まれの米国人で高名な数学者であった。彼がプログラム内蔵型コンピュータを提唱したのは,1945年であった。当時彼は,米国の原爆開発プロジェクトであるマンハッタン計画の顧問をしており,同時にアバディーン弾道研究所の顧問をも兼ねていた。ノイマンは,電子計算機に興味を持っていて,この後で説明する電子計算機「ENIAC」 の開発プロジェクトに参加する機会を得て,その時に,本格的なコンピュータを開発するにはプログラム内蔵が不可欠と着想した,と言われている。

プログラムをメモリ装置(memory:記憶装置)に内蔵させ,CPU(Central Process-ing Unit:中央演算装置)と結合することで,例えば,計算の途中結果に応じ仕事の手順を自動的に選択するなど,コンピュータは効率良く仕事ができるし,何よりも機能が飛躍的に向上するはずであるとノイマンは考えた。

すでに述べたように,このような演算装置とメモリ装置は,LSI化された今日のコンピュータの中枢機能である。しかし,コンピュータ開発の初期にあっては,どの開発プロジェクトもメモリ装置の開発・実用化で苦労した。真空管を使った「フリップ・フロップ回路」を記憶素子として使用することは実用化されていたが,小規模なメモリ装置しか実現できなかった。プログラムを内蔵するとして,何がメモリ装置として可能なのか?

世界最初のコンピュータと言われる「ENIAC(Electronic Numerical Integrator Calcu- lator)」 は,弾道計算(微分方程式の解を求める)の高速化のために米国陸軍からの注文で,ペンシルバニア大学のジョン・モークリーとプレスパー・エッカートらのプロジェクトが1946年に開発したが,今日で言うプログラム内蔵型ではなかった。しかし「ENIAC」 プロジェクトは,その後のコンピュータ開発・実用化を加速するものとなった。

記録によると,この歴史的な最初のコンピュータは,形状がマンモス級で,全長30メートル,総重量30トン,1万7468本の真空管を使用し,消費電力は174キロワットであった。 ちなみに,最初のノイマン型コンピュータの開発は,英国のケンブリッジ大学のモーリス・ウィルクスらによる「EDSAC(Electronic Delay Storage Automatic Computer)」で,1949年に稼働した。このコンピュータは記憶装置として,水銀柱管を伝搬する超音波の遅延時間を利用した。1本の水銀柱管は,長さが5フィートあり 576ビットの情報を蓄えることができた。記憶装置とCPUで合計32本の水銀柱管が使用された。このようなメモリ装置を水銀遅延管方式と呼ぶ。「EDSAC」 には,全部で約3000本の真空管が使われ,入力は穿孔紙テープからデータを読み取る方式で,出力はテレプリンタ方式であった。この時代の別方式のメモリ装置としては,ブラウン管を利用する方式などが開発された。

参考

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2000/01/05 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会