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4.ソフトの充実/特性改善(2)

コンピュータの100年と、インターネットへの相転移  その5

社団法人日本印刷技術協会 副会長 和久井 孝太郎

4-2 【プログラミング言語の充実】

手順向きの汎用プログラミング言語には,翻訳の手段によってコンパイラ方式の他にインタプリタ(interpreter:通訳する)方式がある。機械語に翻訳されたプログラムのことを,オブジェクトプログラム(object program:目的プログラム)と呼ぶが,インタプリタはオブジェクトプログラムを作らずに,一つの命令ごとに解釈と実行を同時に行う方式で,コンパイラ方式と比較すると実行にやや時間を必要とするが,対話型言語に向いている。また,プログラム自体に誤りがあれば,そこで実行が止まり,メッセージが出されるのでバック取りなどで有利である。これに対してコンパイラは,ソースプログラムを一括してオブジェクトプログラムに変換する方式である。

IBM社のジョン・バッカスらによって,科学・技術の問題処理向きのプログラミング言語として開発された「FORTRAN」 は,最初,IBM704コンピュータ用に1957年に完成したコンパイラ言語で, 2万5000語の機械語からなり,磁気テープに納められていた。この「FORTRAN」 が52ページのきれいな取扱説明書と共にIBM704のすべてのユーザに配布された。最初に配られた「FORTRAN」 は多くのバグを含んでいたが,それでも当時としては大成功だったと言われている。 「FORTRAN」は,その後のプログラミング言語の開発に大きい影響力を及ぼしたことは有名である。

一方,「COBOL」 は多量の定形的なデーターの処理や,報告書の作成などの事務処理向き言語として,アメリカ国防総省が中心になって60年に開発され,アメリカ標準規格(ANS)として68年に制定された。ビジネス向きの典型的な高水準言語と呼ぶにふさわしい「COBOL」 の開発で,大きな役割を果たした,米国のグレース・マレー・ホッパー女史のエピソードは,コンピュータ開発の歴史に長く記憶されるだろう。プログラム上の誤りをバグ(bag:虫)と呼んだのも彼女だが,コンピュータと米国海軍を愛し,プログラミングの専門家で,優れたコンピュータの教育者・スポークスウーマンでもあった彼女を部下達は親愛の情を込めて「驚異のグレース」と呼んでいたのだそうである。

米国のダートマス大学の教授と学生にとって,コンピュータのTSS(Time Sharing System:時分割処理システム)は救いの神だった。1960年代に入ってTSSが導入される以前には,コンピュータを使う方法は,パンチカードにプログラムをパンチして,列車に乗って200Km も離れたコンピュータ・センターまで持っていって処理を依頼して,しかもその結果を何日も待たなければならなかったからである。

ダートマス大学数学科教授のジョン・ケムニーとトーマス・カーツが開発した「BASIC」 は,インタプリタの一例である。「BASIC」 は,複数のユーザが同時に利用する教育用TSSの初心者向け会話型言語として開発された。最初の「BASIC」 は,1964年に同大学のGE225 コンピュータのTSSの上で稼働した。その後,ダートマス大学は,「BASIC」 の著作権は保持したが,希望者には誰にでも無償でそれを使わせた。結果,「BASIC」 は広く普及したが,いくつのも変種が生まれることにもなった。

「ものごと」の進展のパターンでは少し先に飛んでしまうが,「BASIC」 に関連するエピソードなのでここで紹介しておきたい。'「BASIC」 は,最もポピュラーなコンピュータ言語になるには理想的であり,実際にその通りになった。「BASIC」 は,コンピュータが学生の教育に役立つことを教育指導者達に説得する一番の材料になった。これまでに,すでに1000万人から1200万人の学童達が「BASIC」 を学んできた。

プログラマーの中には「BASIC」 のプログラムによって巨大な財をなした者がいる。北欧のノルウェー,デンマーク,スウェーデンの人口を合わせたよりも多くの人が「BASIC」 を習った。1960年代に普通の人々がコンピュータに接する道を開いたことで,「BASIC」 は10年後にパーソナル・コンピュータ革命の到来を助けた。1975年,ハーバード大の寄宿舎の二人の学生,ビル・ゲイツとポール・アレンが「BASIC」 をパーソナル・コンピュータで走らせることを可能にしたことで,「BASIC」 はその絶頂期を迎えることになった。このダートマス大の二人は[注:ケムニーとカーツ],パソコンが開発されつつあることを知らなかった。彼らは自由に使える大学のTSSを持っていたので,個人用のコンピュータなど必要としなかった。

ゲイツとアレンの成功に引き続いて,「BASIC」 は,コモドア,アップル,TRS-80,アタリ,IBM-PC,さらにはシンクレアにまで移植された。結果的には,「BASIC」 は殆どありとあらゆるマイクロ・コンピュータの上で動き,数千のアプリケーションの基礎を築くことになった。

現在では,「BASIC」 はパソコンのメモリーに組み込まれ,無料サービス品になっていることが少なくない。数字を印字するのに複雑なアセンブリ言語のコードを入力する代わりに,「BASIC」 では単にPRINT とタイプし,続いて数字を打ち込んでやればよい。すると,パソコンはその通りに印字する。…'(*)
 [*筆者注:Robert Slater:'Portraits in Silicon',The MIT Press(1987) (邦訳)馬上康成,木本俊宏:コンピュータの英雄たち,朝日新聞社(1992)]

RPG はIBM が非手順向きの簡易型言語として,1961年に開発したものである。入出力条件や処理条件など,あらかじめ用意してあるパラメーターを与えると,表形式にまとまったレポートなどが比較的簡単に得られるようになっている。

特殊問題向き言語とは,特定の分野の問題を効率よく処理するための言語で,シミュレーションのための言語など,いろいろなものが開発実用化されてきた。1965年に米国ロッキード社が,NASAのデータベース(database:大量のデータ蓄積倉庫のようなもので,コンピュータからこれを検索して自由に読み出せるシステム)を開発,米国のGE社が商用TSS(Time Sharing System:時分割処理機能を持った大型コンピュータを複数のユーザが同時に使えるようにしたシステム)サービスを開始したのが翌67年であった。この頃から「データベース」の重要性が認識されるようになった。

4-3 【人間の意識構造とコンピュータのソフトウエア体系を見比べる】

先に議論した自己の意識構造を思い出してほしい。人間の意識構造の最も基底部分は,本能を含む無意識の領域であった。その上に個人的な意識領域と共有された意識領域が存在するとしていた。ここでは少し見方を変えて,無意識の領域の上に言語と生活の知恵的意識の領域,更にその上に常識と各種の実務的な知識,そして一番頂上に個人的な専門知識のピラミッド構造を想定しよう。

コンピュータのソフト体系の中で,人間の無意識領域に対応する基底ソフトは,これまでの説明からマイクロプログラムやOSなどの各種の制御プログラムであることは明らかである。コンピュータのソフト体系では,その上の層に言語処理プログラムと,まだ説明していないユーティリティ・ソフト(utillity software) ある。更にその上の層には,アプリケーション・ソフト(application software:応用プログラム) があり,一番頂上に,それぞれのユーザの個別問題解決のための個別プログラムが位置する,ピラミッド構造を考えることができる。

ユーティリティ・ソフトとは,メモリ管理ソフトなどコンピュータを使うための環境を改善するためのソフトで,サービス・プログラムと呼ぶこともある。また,アプリケーション・ソフトには,表計算ソフトや会計ソフト,ワープロソフトなど,今日では極めて多彩なソフトが準備されているが,コンピュータの生産者が開発したプログラムの他に,ユーザが個別プログラムとして開発したものが一般化して応用ソフトとして,流通しているものも多い。

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2000/05/05 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会