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6.経済性向上/信頼性・操作性向上

コンピュータの100年と、インターネットへの相転移  その8

社団法人日本印刷技術協会 副会長 和久井 孝太郎

6-1【パーソナルコンピュータ(personal computer)】

パーソナルコンピュータ(パソコン)とマイクロコンピュータ(マイコン)は違うものか?普通は同じ意味と考えて問題はないが,前者はパーソナル(個人)が利用することを想定して商品化されたコンピュータで,後者はMPUを中心に構成された超小型コンピュータで我々が日常利用する電気洗濯機や冷蔵庫,テレビ受信機,自動車などに制御用コンピュータとして別の機械に組み込まれて使用されるなど応用範囲は極めて広い。ここでは,パソコンはメディアであり,マイコンはパソコンを構成するためにも利用されるが,制御機械としても利用する広い概念であるとしておこう。

パソコンは,インテル社が8ビットMPU「8008」を発表した翌年(1975年)に,米国のホビースト達の手によて誕生することになる。MPUが8ビットになったことで,英数字を手軽に扱えるようになった。75年に米国で電卓の組み立てキット(kit:部品一式)を販売していたMITS社が自作用のマイコンキット「Altair-8800」 を発売した。同時に,雑誌「ポピュラー・エレクトロニック」がAltairの特集号を発刊したことでパソコンが誕生することになる。手作りパソコン同好会「ホームブリュー・コンピュータクラブ」ができて,ここからはビル・ゲイツや後にアップル・コンピュータを開発するスティーブ・ウォズニアックなどの多くの人材が巣立つことになる。ゲイツはこの年,マイクロソフト社を設立して,AltairBASICを開発した。

翌1976年,ウォズニアックが作ったマイコン「Apple」を見て,彼らの仲間の一人であるスティーブ・ジョブスが「これは売れるぞ」と言った。そして,ジョブスとウォズニアックはパソコンを商品化するためのアップル社を設立,社長にはインテル社でマーケティング担当重役の経験を持つマイク・マークラが就任した。

パソコンの具体的な概念を最初に提案したのは,米国のアラン・ケイで1968年のことであった。その後ケイは,ゼロックス社のパロアルト研究所に所属して「Alto」と呼ばれる先進的な対話型小型コンピュータの開発を担当した。この「Alto」は,現在のパソコン機能として一般的に利用されているマウス(mouse:手のひらに入るおおきさの情報入力装置)やビットマップディスプレイ(bit-map display:表示画面のすべての点を制御して文字や図形を表示する方式),アイコン(icon:機能や命令,メッセージを表示画面上で絵で表した記号)など,いわゆるウインドウシステム(Window system)を人間とコンピュータのインタフェースとして初めて採用していた。

アップル社のエピソードとして,1980年に社員達がパロアルト研究所を訪ね,この先端的なコンピュータの開発を見学したことが,84年にアップル社の大ヒット商品に発展するマルチウインド・アイコン採用の「Macintosh」を開発することにつながったとされる。現在では「Macintosh」は,DTP(Desk-Top Publishing:パソコンやワークステーションなどの小型コンピュータを利用して出版物を制作すること)などで人気がある。

パソコンではハードもさることながら,OSの機能と性能が極めて重要な役割を担う。同じOS上で動かすことを前提に作られた応用ソフトは,OSが同じであればパソコンのハードメーカーが違っても(機種が違っても)共通に使用できる。OSのデファクト・スタンダード化は極めて重要である。このことなくしては,パソコンは発展できない。ゲイツのマイクロソフト社は,IBM社からの依頼でPC-DOSと呼ばれるOSを1980年に開発した。これをIBMパソコンの互換機メーカー向けに開発したのが,MS-DOSである。マイクロソフト社は81年に,パソコンOS「MS-DOS Ver.1.0」として発表した。

DOS(Disk Operating System:ディスクオペレーティングシステム)とは,その名のようにディスク(フロッピィ・ディスク[floppy disk:パソコンの標準的な外部磁気記憶装置]やハードディスク[hard disk:フロッピィよりも大容量で高速な外部記憶装置])に関連するデータ処理が主体のOSで,ディスクの入出力,キーボード(keyboard)入力,ディスプレイ(display:ブラウン管や液晶を使った画像装置)表示,プリンタ(printer:印刷装置)出力などのハード管理と応用ソフトの起動とパソコンのメモリ割り当て,それらを実行するための命令処理を実行する。マイクロソフト社が85年に発売した新OS「Windows」は,95年にはインターネットにも対応する「Windows95」 に発展して,完全にデファクトスタンダード化した。

6-2【オープン化の代名詞になったUNIXシステム】

ワークステーション,オープン化,インターネットの発展を考える時,UNIX(UNIX)の存在は極めて大きいものがある。UNIXは,1969年に米国ベル研究所のデニス・リッチーとケネス・トンプソンによって開発された。彼らは,TSS方式では十分でない自分達の仕事をやりやすくするために,マルチタスク(multitask:同時作業),マルチユーザ(multiuser:多人数利用)を可能にするミニコン用(後に,ワークステーション用)のOSであるが,ハードには依存しないように設計されていた。

UNIXは,ベル研の親会社である巨大通信企業AT&T社や,カリホルニア大学バークレー校(UCB)を中心に,主に研究機関や大学などで利用され発展してきた。特に,UNIXプログラムがAT&T社が無償配布したこともあって,世界の多くの研究者の手に渡り,彼らも参加してUNIXをさらに洗練させ機能の向上とオープン化の流れに大きな役割を果たしてきた。

UNIXが普及する過程では,方言に例えることができるUNIXの改良版がいくつも登場することになった。紆余曲折はあったが1993年には,UNIXを二分してきた標準化団体,UNIXインターナショナル(UI:AT&Tや米国のWSメーカーサンマイクロシステムズ社等)とOSF(IBM社やDEC社等)が,オープンシステム環境プロジェクトを作りUNIXの統一を図ることに合意,規格統一問題は事実上の決着を見た。その後,このプロジェクトは中立的な団体X/Openとなり,UNIXという商標の管理もAT&T社からX/Openに移り現在に至っている。この「X/Open」は,マイクロソフト社の「Windows95」に対抗するために,コンピュータメーカーが結束して作ったものだという見方もある。
いずれにしても,UNIXは研究者達が創りだしたもので,次のような機能と特徴を持っている。

●プログラムを含む文書作成用ソフト,エディタ(editor)をもつ
●電子メール(electronic mail:Eメール)機能をもつ
●あるプログラムの処理結果を別のプログラムの入力データにできるパイプ(pipe)機能をもつ
●ソースプログラムに利用者が独自に機能を追加できる
●プログラムの開発環境が充実している
●システム記述用としてC言語をもつ

システム記述言語とは,コンピュータのOSや言語処理プログラムなどを作成するための言語である。Cと呼ばれるシステム記述言語は,1972年頃に米国のベル研究所で開発されたもので,UNIXを作成するために使われた言語である。その後,大型コンピュータから小型コンピュータまで,いろいろな規模のコンピュータのOSを開発するために利用されている。 一方,パーソコンのOSは,シングルユーザ・マルチタスク型であり,すでに述べたように,ディスクでOSを起動しファイルの複写を行なうなど,ディスク装置を制御することが多いのでMS-DOSがOSの代名詞になった。IBM社とマイクロソフト社は,共同でMS-DOSの後継OSとしてOS/2を開発して1987年に発表した。しかしその後,マイクロソフト社は独自のパソコンOS「Windows」を開発することになり,OS/2の開発から撤退した。

パーソコンでは,モニタ上に同時に幾つかの画面(マルチウインドーと呼ばれる)を表示して,ユーザの手元のマウスで画面の中のアイコン(絵文字)を指定するだけで,ほとんどの指示を行なうことのできる。UNIXでもMITが開発した「XWindows」 は,このような機能を備えている。

イーサネット(Ethernet:米国のゼロックス社・DEC社・インテル社が共同で開発した代表的なLAN方式)などのコンピュータネットワークは,UNIX上に構築されているので,イーサネットを十分に使いこなすためには,UNIXを知る必要がある。
いずれにしても,UNIXはWindowsなどのパソコンのOSと共に,インターネットの基幹的な基本ソフトであると言うことができる。

そして,ワークステーションとパソコンの壁も急速に低くなってきた。1992年には,ワークステーションとパソコンの米国における販売金額の合計が,汎用コンピュータのそれを上回った。前者は74B$(B=Billion:米国では10億),後者は73B$であった。
「基本充足」から「高度充足」の時代へ入って,階段が大きく二つに分かれることは前項で述べた。コンピュータ展開の本流は,「ソフト化サービス化」を指向した。

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2000/06/07 00:00:00


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