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…そしてAdobeが残った : 1994年

DTPの過去・現在・未来 その11
1997年7月31日T&G研究会ミーティング「DTPの発展を検証する」より (社)日本印刷技術協会 理事 小笠原 治

今のDTPの原型はアメリカでは1993年頃に完成したといえる。結局,何を我々は追い求めてきたのか。1970年代にゼロックスがパロアルト研究所で行っていたものが,今我々が使っている環境のベースである。ワークステーションがありLANがあり,WYSIWYGになり,マウスを使い,オブジェクト指向で,とかいうことは,ほとんど原型が70年代にあり、このパロアルトの夢を現実の製品にする努力をしてきたといえる。

パアロアルトに触発されて,いろいろな人がいろいろな会社を興してきたが,失敗してなくなった会社の方が圧倒的に多い。部分的な新技術というものを,これはすごいということで追いかけていても,それだけでは仕事に使えないものである。実際の仕事はいろいろなものの組み合わせ成り立つので、あまり部分的な技術に深く突っ込んでいくと、それとバランスをとるために、あらゆる技術を全部自分が引っ被ってやらねばならなくなり、孤軍奮闘する。

つまりモジュール構造にしなかったために挫折していった会社が多い。AdobeはIllustratorやPhotoshopなど「部品」作りから入った点では成功したが、PageMaker、FrameMakerなどを引き継いでうまく発展させられなかったことも、モジュール化していないソフトウェア製品の末路をあわらしており、このことはAdobeの後のアプリのモジュール化に繋がっていると思う。

マイクロソフトなどが成功しているのは,新技術を追いかけすぎていない点にもあり,技術が枯れ始めて、多くの人が認知して取り組んでいくのを横目で見ながら,タイミング良く製品を出していくことが,商業的な成功につながった。Adobeはエンジニアの会社だが,やはりそういうことを行っていた。例えば,PostScriptが出たころはアウトラインフォントの議論が多くあった時代なのだが,アドビのRIPの一味違う点は,そこにはライノタイプの高品質なフォントが入っていることで、レーザーライタを買うメリットは,写植のフォントが使えるというアドバンテージが明確であった。アウトラインの技術を売っていたのではなく,フォントというコンテンツを含めて売っていたのである。

ただ,それをあまり独自技術でやっていくと,アドビがフォントを独占するのかと批判され,Type1の仕様は公開してしまい、フォントのビジネスは,あるところで柱ではなくなってくる。その頃にその先の手として打ったのは,Illustrator88でカラー化したことである.それは分版出力できる高精細イメージセッタが一挙に増えた時でもあったし,Macのカラー版が出てくるタイミングでもあった。それまでのMacは小さい画面のモノクロであったがのが,Mac2でカラーになりグラフィック機能などが高まってくるときに,Illustrator88のカラー版を出したことで,風当たりが強くなって怪しくなったフォントビジネスの代わりに,アプリケーションのビジネスを立ち上げていった。
PostScriptの言語の特徴は一般の人にはわかり難い。PostScript記述ならこんなことができるということは,アプリケーションがなければわからない。それでもともと社内のフォントツールをIllustratorというベジェ曲線の特性をうまく引き出したアプリケーションに変えて投入した。これによってPostScriptも理解してもらうことができた。

それから,パソコンが32bit化し、ストレージの能力が高まり、スキャナも一回り安くなりつつある時にPhotoshopを投入した。これは外部で開発されたスキャナのオマケソフトを買い取って改良したものだが、そこにカラーDTPに必要な機能を次々に盛りこんでいき、ダントツの成功をした。一見単独のアプリのようでもあるが、背景にはPostScriptがCEPSに挑戦するための一翼という使命があった。同時に、網点の作り方はPostScriptなら簡単に式が書けるとか,フォントのキャッシングと同じように網点のキャッシングができて,網点の描画速度は遅くならないとか,CEPSとの対抗上PostScriptの技術上の強みをうまく利用した。

その後,Acrobatに至るまで,アドビは非常に周囲をよく見回してアプリケーションを出していく.やはり成功するところは違う。1994年3月某日にDTPエキスパートの第一回試験が多摩美で行われた時に、関係者の控え室では前日のSeyboldBostonでPageMakerのAldusがAdobeに合併される話で持ち切りだった。Quarkがカンカンに怒っていたということだったが、DTPのアプリケーション開発競争の終局の一面であった。この頃以降はDTPでの画期的なソフト開発はなくなった。

DTPはあくまでも紙の世界から興って、Acrobatのように電子文書化しても紙にも出せるという範囲でプレイしていたのだが、技術は紙や印刷を超えるところに来ている。それはもはや,プリプレスの専門家を相手にするのではなく,コンシューマ向きの展開が見えだしたからである。そういうマーケットにアプリケーションを提供していくのが,DTPの開発側にとっては大きな課題になると思う。実はその分野は,まだたくさんやり残したことがある.Adobeもその事には早くから気づいており、PostScriptがオフィスには入り損ねたことの敗者復活戦としてAcrobatは登場し、目的の半分くらいは達成できたのだろう。

しかしオフィス市場の移り変わりはDTPよりも激しいものであった。MicrosoftOfficeの世界的な席捲、WEBという電子文書の世界的な席捲の前には、Adobeの神通力もそれまでのようには通じなくなっていた。

その1 DTPの発展を振り返る DTP前史 1980〜1984
その2 無視された夢想家  DTPの出現 1985年
その3 DTPの衝撃と定義 1986-1987
その4 形勢はDTPの逆転勝利へ 1988年
その5 アドビの最初のつまずき : 1989年
その6 アマ用DTPは消滅し、DTPはプロの世界へ : 1990年
その7 DTPは工場からオフィスへ : 1991年
その8 シーボルトが総括したDTPの完成 : 1992年
その9 カラーDTP時代の幕開け : 1993年
その10 3年遅れの日本のDTP : 1984-94

2000/07/17 00:00:00


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