DTPの過去・現在・未来 その12
1997年7月31日T&G研究会ミーティング「DTPの発展を検証する」より (社)日本印刷技術協会 理事 小笠原 治
1994年にアメリカにいったら、DTPの会議でも彼らは「モゼイ」「モゼイ」としきりに言っている。最初は何のことだか分からなかったが、WWW用ブラウザのモザイクのことであった。当時はブラウザもWEBもなじみのない言葉で、モザイクが最もポピュラーな呼び名だった。突然大きな変化が起りつつあることが分かった。
モザイクのダウンロードは凄まじい数を記録し続けた。その理由は、それまではUNIXの世界でしか知られていなかったWWWが、パソコンの世界に浸透しはじめたからである。アメリカはWindows3.1の時代からイーサネットのLANが広がり、これがインターネットに結びつき始めたのが最大の理由である。そしてこの流れはWindows95で爆発的なものになった。
1992年にシーボルト氏が中間総括した中で、情報のエレクトロニックデリバリとか、デジタル化することによって,コンテンツとキャリアが,今までのアナログ,紙メディアのときは一緒になっていたものが,分離していくとか、後の変化をいろいろ言い当てている。ちょうどその前にマルチメディアは騒がれたのが、その頃は逆にマルチメディアもあまり面白くないといわれていた。しかし1993年になるとインターネットやWEBが脚光を浴びるようになった。大衆の気分はそういうものであったが、今度は時代が大きく転換してしまい、DTPの開発者も多くがオンラインに鞍替えして、その後DTPはあまり話題になることはなくなった。
まとめて振り返って考えるとDTPもマルチメディアも同じMACの土俵の上で開花したが、紙媒体のDTPと違って、CD-ROMとかWEBとかは結局はコンピュータで情報を見るというものだから,コンピュータ自身がメディアであって,そこのキャリアがプラスチックの板か通信回線か,通信回線が何かということはあまり関係ない。ではデジタル化にはどういう意味があるのか、デジタル化すると出版活動はどのように変るのか。
1980年代にデジタル化といっていたのは,例えばワードプロセッサができるとか,パソコンができるとか,FAXができるとか,ニューメディアといっていたCAPTINやいろいろなオンラインのもの,コンシューマ向きでも,例えばレコードがCDに変わるとか,電子手帳の登場とかである。当時のデジタル化とは結局情報機器をメーカーが開発する時の合い言葉だった。結局いろいろな情報機器ができたが,それらは全部今パソコン,特にWindows上に集約されている。先ほど言ったワープロであろうとFAXであろうと,通信であろうと,CDであろうと,結局はパソコンについている。情報端末は一旦パソコンに収束していった。
1990年代にデジタル化といっているのは,最近ITというような言い方もするが,コンテンツの加工である。デジタルメディアではコンテンツの表現という点での加工が進んだ。元々DTPも紙媒体という出力側を想定してオーサリングをする。CD-ROMでもWEBであっても,プレゼンテーションから逆算してオーサリングするということで,デジタル化はコンテンツの加工技術であった。MACはその共通のプラットフォームであったが、オーサリングソフトが鍵を握る時代が乗り越えられつつあるのが現状である。
2000年代を考えると,例えば今日本のホームページでは1週間おきに情報をアップデートするところもあるが,ホームページを見る側からすると24時間いつでもどこでもどこからでもどういうふうにでもアクセスできるのだから,1週間に1度しか情報を提供できないというのでは非常に大きなギャップである。これは結局情報を提供する側が情報を十分管理できていないからである。
コンテンツが王様だと昔よく言ったが,どこか倉庫の奥にあってなかなか探すことができないようなコンテンツは,ユーザから見たらコンテンツではない。だからここで必要になってくるのは,ユーザがコンテンツをほしいと思った時に、それをはいどうぞと取り出すことができる能力である。それは情報の管理や情報のパッケージ化の方法論など,いろいろなことが関連している。これからのデジタル化の鍵は情報管理になる。
DTPでもシュリンクパックのソフトを使っているだけではだめで,それをカスタマイズしなければ武器にはならない。まず作業環境としてはグループ作業ができるようにしなければいけない。このように最低限のDTPでもシステム構築をユーザごとにすることになるが,それに必要なのはDTPの知識ではなくて,情報管理のシステムの知識であり、コンピュータの世界でなにが起こっているかを捉えなければならない。
その1
DTPの発展を振り返る DTP前史 1980〜1984
その2
無視された夢想家 DTPの出現 1985年
その3
DTPの衝撃と定義 1986-1987
その4
形勢はDTPの逆転勝利へ 1988年
その5
アドビの最初のつまずき : 1989年
その6
アマ用DTPは消滅し、DTPはプロの世界へ : 1990年
その7
DTPは工場からオフィスへ : 1991年
その8
シーボルトが総括したDTPの完成 : 1992年
その9
カラーDTP時代の幕開け : 1993年
その10
3年遅れの日本のDTP : 1984-94
その11
…そしてAdobeが残った : 1994年
2000/07/19 00:00:00