活字は標準化された工業部品の始まりでもあり、互換性が命のものであったので、活字製作者と別に、活字の利用技術が発達した。しかし文字サイズごとにフォントセットを作らなければならない活字で多様なデザインを展開することは困難だった。
写植時代になると原字の縮小拡大が可能なのでフォント開発に拍車がかかり、タイプフェースが多様化してフォントビジネスというものが開花した。しかし活字とは対照的にメーカーによる文字盤の互換性に欠け、基本的には利用者にとってはメーカーによる縛りがあって、普遍的なタイポグラフィーが論じ難くなった。良い面としては、ある程度の規模のメーカー同士の競争なので、そこで各社が文字に対する盛んな啓蒙活動を行ったため、デザイナから印刷会社まで、書体とか組版に関する共通の知識を得ることができた。主に商業印刷のようなグラフィックデザインの分野での議論が中心になり、ディスプレイ書体が発達した時代で、そこを中心にフォントが発達した。
基本的には各メーカーごとの制約内でのタイポグラフィーなので、文字そのもののデザインだけではなく、それをどう組むかとか、どういう出力方式かという3つは切り離せない問題であり、文字や組版の細部についてはメーカーを超えた視点の議論がだんだん困難になった。
これがDTPの時代になり、メーカーに縛られず自分で好きなパソコンなり出力機とフォントを組み合わせられるのだが、逆にフォント提供側はシステム一式を販売できないので、フォントだけでで稼ぐのは大変な時代になり、フォントビジネスの終焉かというような話もある。DTPの初期はAdobeだけでなく、モノタイプ、ライノタイプを含めて非常にフォントに対して投入していた会社が、もう投入しなくなった。
DTPになって、Type1やTrueTypeは活字のように流通が自由化するが、販売形態は大きく変わった。DTPのフォント選択における決定権はデザイナであるが、デザイナは写植屋のような投資はできないので、従来のメーカーの利益構造は崩壊していく。このようにメーカーの縛りがなくなると同時に従来のフォントビジネスはできなくなり、その代わりに欧米ではフォントデザイナが自立して自分でフォントを売ることが起った。
ところが日本では、文字数が多いとか、文字を縦組、横組それぞれ組んでみて、寄り引きをチェックするとか、OCFやCID、Windows/Macといったフォントの実装の問題、書体を世に知らしめる普及啓蒙の問題、それから文字コードのサポート・メンテナンスなどの問題があり、欧米と同じように進むのかよくわからない。
いずれにしろ、従来の写植の時に開花したフォントビジネスはパラダイム変化してしまった。今はそのギャップの只中であり、利用者にとっても書体に関する情報源が激減してきている。しかし利用者という畑を耕さなければ、新たなよいフォントも伸びることはできないので、文字への関心やフォント/組版の実用知識が最も求められる時代になっているのではないだろうか。
(テキスト&グラフィックス研究会会報 通巻138号より)
2000/08/24 00:00:00