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ISOが意識改革,業務革新を推進

〜ISO9001認証取得への道のり〜
中島 弘稀 氏
(大丸印刷株式会社 ISO推進本部長)


当社は1999年5月にISO9001の認証を取得した。デジタル・ネットワークの時代に地域による分類も陳腐ではあるが岐阜県下の印刷業界では初めての取得であった(注:現在は県下で6社が取得・登録あり。JAGAT記)。
私が内部品質監査員の講座を受講してから約10カ月。達成スピードは速かったと思うが,その分困難や至らなかった点も多かった。また「なぜ9001か?」という点も含め,これらを時系列的に明らかにすることにより,認証取得を目指す各社のご参考になれば幸いと思い請われるまま記述した。

■1998年7月「キックオフ なぜISO9001か」
取得前の当社には,手順を定めたものはあるが品質ルールを定めたものはなかった。そこで迷ったときに帰着すべく「原点=ルール」を定めることにより,言わば「法治国家」を目指した。当社はルールを策定するにあたり,手順を「合理性」「省スキル」などの視点で,従来の手順を過大・過小いずれにも偏ることなく客観的に評価し,その使える部分に不足を補うことを根幹とした。
認証範囲については各社が自社の業務分析を行い,「設計」の必然性の有無を考えれば「9001」なのか「9002」なのかは自ずと決まると考える。実務を鑑みて,例えば印刷工場のみの取得で「刷版を供給されてから印刷まで」を対象範囲とする場合は「9002」かもしれないし,逆に当社のように対象範囲が「9001」になるかもしれないが,それは各社の必然性から端を発したことであり,そこに優劣はない。
当社ではすべての実務を対象範囲としたルールを得ることを目的とし,当初から「9001」での認証取得を目指したが,年間を通じ設計数が2,3の業種と比べ,毎日何十もの設計が必要な印刷業において「設計」を認証取得の範ちゅうにするか否かについては慎重にならざるを得ないであろう。「設計」が規定するにも維持するにも最も大変な項目の一つであることもまた事実だからである。

■1998年8月「コンサルタントは必要か?」
大都市ならばISOのコンサルタント会社は数多くあるだろうし,実際に審査を依頼する認証機関の関連会社からコンサルティングを受けることができるのであればベストであろうが,費用やフォローの面から当社は名古屋のコンサルタントにお願いした。品質マニュアルと標準規定集は参考図書を基に自力で作成したが,結果的に品質マニュアルはほとんど改訂となったし,標準規定集は追加が相次いだ。結論としてコンサルタントは必要であると考える。例えコンサルタントに印刷の知識がないとしても「ISOの規定の解釈」については「プロ」だからである。

■1998年10月「教育・訓練」
常々,品質保証体系に限らずシステムの完成度の高さは,技術的熟練度の要求度を低めると考えており,業務遂行上必要となる教育訓練についてほとんど規定していなかったので「教育・訓練」についてはコンサルタントと連日メールで討議し,教育訓練体系を大きく見直すこととなった。また業務上の教育訓練以上に重要なのは全員への「ISO教育」である。予備審査中にも「教育訓練を受けている。と言う」と書いたオペレータのメモが机に貼ってあり冷や汗をかいたこともあった。「教育・訓練」の規定は簡単そうに見えるが,ことほどさように当社は苦戦した。

■1999年3月「予備審査」
認証機関から3月予備審査,5月登録審査という通達があり,3月に予備審査を受けた。
脱落者もある程度は覚悟しておくべきであろう。当然のごとく各部門のISOの責任者を実務の部門長が兼任していたのだが,10部門のうち3部門の部門長が8カ月の成果がほとんど発揮されなかった。予備審査では,実際に行っている業務について説明すれば良いのであるが,質問の意図とは違うことを延々と話し,あげく自ら墓穴を掘るなど,ISO独特の言い回しの質問にパニックになる部門長もいた。
その部門長をあと2カ月で徹底教育し審査に臨むのか,別の者を一から教育するのか?
知識はともかく2カ月で口頭質問時の機転や,質問の理解度などはどうなるものでもないし,またそのような人員配置がそもそも問題であったろうとのトップ判断で,事務局はその3部門のISO担当者を新たに選出すると同時に実務的組織変更も行い知識面の重点教育を開始した。

■1999年4月「模擬審査」
模擬審査が実施された。模擬審査は最終チェックのつもりであったが,かなりの問題点がまだ指摘された。しかし模擬審査は,人体に例えれば健康診断であるので病気を隠さないほうが良い。模擬審査結果を認証機関に報告するわけではないので,この際,反証は胸に納め問題点を客観的に洗い出してもらって対策したほうが合理的であり目的に合致する。
残り1カ月となり各責任者はマニュアル,規定類の理解,特に自分の関連する部分の徹底理解を迫られた。ある責任者はマニュアルの「重要」と思われる部分にアンダーラインを引いて理解に努めたのだが,マニュアルはムダな記述を省いてあるため結果的にすべての文にアンダーラインが引かれることとなってしまった。「重要」のインフレが起こったわけで,側から冷静に見るとこっけいであるが本人の取組みは真剣であり,それで審査も余裕をもって受け応えできるならばそれはそれでも良い。

■1999年5月「ゴールデンウィークにラストスパート」
事務局は,各自PCを自宅に持ち帰ったり休日出勤したりして自分の責任となる部分の最終確認をして,問題点をつぶしていった。各自が責任感をもって守備範囲をこなせば完成するわけであり,電話もかかってこない連休が審査前にあったことは,思えば幸運であった。

■1999年5月「登録審査」
抽出され審査される案件に限って,不備が見つかるのは不思議である。2件連続で同じ不備が見つからないのでメジャーには至らないのであるが,当日の審査が終わってからも23時過ぎまで明日の審査項目の最終チェックを行いアウトカウント(指摘事項)を2つのチームで確認し合った。指摘事項は増えることはあっても,良かったからといって減ることはない。良くて当たり前なのである。

■まとめ「洋魂和才」
当社程度の規模では,問題も発見されやすく改善も速く比較的,周知徹底もしやすいが,それは規模的にトップの顔が見えるサイズだからであろう。後日談であるがコンサルタントは模擬審査の段階でも審査を延期しようかと悩んだらしい。私も迷ったが実際に締切を延ばしていたとしても緊張感の緩みにより実質的な向上は望めなかったに違いない。数カ月の審査延期という手段よりも「期日に取得」というトップの意志のほうが,それが強固で明確であればあるほど有効な手段となり困難を克服する。
ISO認証取得は全員参加が必要であることは間違いない。しかし成否はトップの意志と事務局という参謀の立案する作戦に大きく影響される。このように思考の方向性まさにスピリッツ=「魂」の部分を欧州型とし,テクニックすなわち「才」を日本的な管理手法を用いる「洋魂和才」であたることが,早道ではないかと考える(JAGATinfo1999年9月号掲載)。
※同社・中島氏には、取得後1年半の経過について続報をお願いしています。10月ごろ予定。ご期待下さい。




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2000/08/29 00:00:00


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