画面で見る作品は当然ながら,オリジナルの物の色とは差異がある。ただモニタ上の発光体の作品には,オリジナルや印刷物とは違った華麗さがあることは確かだ。
視覚に与える刺激の強さは,光ならではだ。同時にインパクトの強さもあって,作品の存在感は十分だろう。問題は前述した差異,再現性,解像度の点だと思われる。印刷物の色校正などでも,この点が一番重視されるのは当然であり,クライアントやデザイナーが厳しい眼を注ぐことになる。
昔(今もそうだろうが)化粧品会社のポスターなどで,肌の色の再現性のために特色を何色も加えて,よりリアルさを求める苦労話を見聞したことがある。確かに商品の色そのものが,直接消費者の購買意欲に関わるものであれば,そんな追求も必要なのだろう。食料品然り,貴金属や高級品もまた然りである(ほかにも多くある)。
しかし,しょせん現物と印刷物,モニタ画面が同一になることは不可能だし,また近年は商品のある面を誇張することで,現物が現物以上に魅力的となり,売り上げ向上に繋がった例も多く聞く。
ここに考え方のひとつの角度があるようだ。つまり,ギリギリ商品の色(や雰囲気も)の再現性を求める世界もあれば,再現性よりも視覚的効果によっての訴求効果を優先する世界もあるということだ。
ただ再現性の問題では,何度も校正を重ねOKとなったものが,本刷りで微妙に変わってしまった仕上がりに対して,校正時のシビアな眼と情熱で,これに対峙する人がどれくらいいるだろうか,という疑問はいつも抱いている。仕上がってしまったものは仕方がない,といった雰囲気が定着しているとしたら,校正という過程に向けられたものは何だったのか,となるだろう。しかし,そのあいまいさが,人間関係や企業同士の暗黙の了解事項になっているというなら,それはそれでいいだろう。
ここで述べたいことは,かように人間の眼や視覚というものは,厳しくもあり,また許容の幅をもったものだということだ。そんななか,筆者は印刷や画面上の色の再現性の厳密さよりも,型染版画の存在とその普及の一助になってもらえれば本望だし,手仕事に対する理解を深める一手段としての,gallery開設をありがたく思っている。
2001/10/24 00:00:00