Print Ecology(印刷業の生態学)
5章までの掲載分のindex
6章第1回
印刷経営のシステムは複雑系
6章第2回
複雑系のシステムとは !
6章第3回
予測不能な印刷経営
6章第4回
経営管理もできない
6章第5回
経営のパラダイムシフト
6章第6回
利益志向の経営へ
これについても私は長い間論述をしてきた。工業化社会、企業中心社会の体質や中心思想に関するものだ。工業化社会を維持するためには、何も企業中心社会というパラダイムは必要ではなかったかも知れないが、工業化社会というパラダイムの効率を上げるには企業中心、企業一家という価値観がパラダイムになって、社会的に普遍的になった方が良かったということだ。それと同時に、当時の経済水準の下では個人中心より企業中心の方が安定感があり、社会全体としても企業中心に価値観を認めていたということだ。その意味では日本の工業化はまことに日本型の発展プロセスということだった。
1980年代の日本を称して、アメリカの学者が Japan as NO.1といったり、Japan is a rising sun といったのは正に工業化と企業中心思想の価値観の合体から生れたものだった。私の恩師(神谷慶治氏)も1950年から1980年代の日本社会をplant community(企業中心社会)と名づけておられた。
この企業中心のパラダイムの中にサブパラダイムとしての労務管理のパラダイムがあるのだが、その中で多くの産業人が共通した価値観として認識していた要素は次のようなものだった。終身雇用、年功序列型賃金体系、企業内労組、画一的社員像、生産性向上運動、画一的社員教育、社員福祉制度(健保、年金、雇用保険、および慰安旅行、海の家、社宅、寮、運動会など福祉施設や活動、さらに住宅手当、食事手当、社内預金などの各種福祉手当)。こうした労務管理思想や施策は企業一家としては必要な価値観であり、企業だけでなく社会全体を成長させるのに大いに貢献したものだ。
勿論、こうした思想や施策はその社会的背景として右肩上りの成長経済があったから成長しえたし、有効でもあった。今日の不況経済、市場経済化の下では、このパラダイムは共通の価値観を持ちえないから崩壊してしまった。しかし、終身雇用とか賃金の年功序列や社内労組という思想は、部分的ではあるが、ヒューマンリレイション(Human Relation)という基本的な組織命題と共通しているので、変形をしても残るだろう。
b)新しいパラダイム
労務の新しいパラダイムはどうやらまだ霧の中で、姿が全く見えていない。日本において明治、大正、昭和初期までの社会を家族中心(Family Community)と呼び、昭和の敗戦後からパブル崩壊(1990年)までを企業中心(Plant Community)と呼ぶならば、今日の社会はアンチテーゼとしては当然、個人中心(Individual Community)ということになる。しかしヨーロッパにおいては封建制農奴社会が壊れ、独立農(ヨーマンリー)が生まれ、さらに資本制の生産様式が誕生したのは18世紀のことだし、その中で自我(個人)が目覚めていたとなると、個人と社会とのつながりは、日本とヨーロッパでは余りに違いすぎることになる。もっとも個人主義や自我の目覚めは13世紀頃のルネッサンスの時もそうだったし、その社会の近代化の事情によっても個人主義の形は異るだろう。
現代の日本社会のように豊かな社会になってから個人が古いパラダイムの鎖から開放され、個人中心の新しい社会作りがはじまってもおかしくないし、ヨーロッパとは全く異なる個人中心社会が誕生するのかもしれない。それにしても、そうした社会のパラダイムはまだ定まった姿や社会ルールを見せていない。
しかし新しい社会のパラダイムが当分の間は情報化とグローバル化を合言葉とするものであることはほぼ確定的だ。勿論、前述したようにその情報化のIT技術の行く先は不透明だし、IT技術が作る新しいマーケットや社会構造も不透明だ。またグローバル化はWTOやIMFの失敗に見られるように、ルール作りを急いではいけないし、2国間や地域間の自由化の果実を積み重ねる方が先だということも分ってきた。特に各国が自分の国のアイデンティティを強化することが基本になる。パラダイムの方向は見えてきたが、姿やルールは全く見えていないということだ。
その中でも新しい労務管理のパラダイムの方向はどうやら見えてきたような気がする。個人主義思想の中には、かつて社会の中に、労働組合として荒れ狂った黒ヘル集団がいた。個人を絶対的実存として神格化し、社会のあらゆる組織を否定するアナーキスト集団だ。このような極端な無政府主義的個人主義を排除すれば、新しい個人中心社会における基本思想はヒューマニティ重視、個人能力重視というものだろう。その思想がどんな形を作るのかは全く不透明で、その意味では日本の労務管理は金融と同じくパラダイムシフトの谷間、すなわちカオス状態だといっても良いだろう。しかし基本思想の方向が見えた以上、新しいパラダイムについて予断することも、あながち無意味なことではないだろう。
・Holon型とマニュアル型
従業員の身分はこれからますます多様になる。正社員、嘱託、雇員、派遣社員、パートタイム社員、アルバイト、外国人従業員などいろいろだ。10年以上前は殆どが正社員だったが、最近では正社員は平均でも70%位になったのだろう。一方、米国で昔からよく言われるようにhigh brow とlow browという言葉もある。「ひたい」の広い人、知識水準の高い人、「ひたい」の狭い人、社会経験の少い人という意味だ。正社員ならhigh browであるべきだし、low browの人は一部の正社員とパートタイマなどの身分の人というように分かれるだろう。
さて、Holon型とは私が何度も記述してきたし、後の章でも詳述することになるが、要約すれば、個人は全体の一部であり、それでいて自分が全体の機能を他律と自律の情報を識別しなが判断し、実行できる「全体子」「Holonic機能」を持った人のことをいう。こういう人はhigh browな人であり、正社員の従業員像ということになる。
一方、マニュアル(manual)型とは多くのチェーン経営、たとえばマクドナルドの従業員に見られるように、大変すばらしい客との接待や作業能力をもっているが、それはすべてマニュアル(作業手順書)の教育によるものであって、自律的行動や判断は原則として禁じられている。こうしたマニュアル型従業員はパートタイマなどの身分の人ということになる。
・知識集約化、専門職、少子高齢化
これからの21世紀社会は高度情報化、高度知識集約化社会だと言われている。印刷界でも通信ネット技術、各種IT関連技術、高度文字・画像編集処理技術、生産工程ループ化技術(CIP3)、管理情報統合処理技術(JDF他)など5年以内に処理すべき技術が山積している。勿論、こうした技術を営業活動と結びつける営業マン教育も緊急課題である。21世紀は多忙な時代だ。こうしたことを実行可能にするためには、特別な教育をうけた専門職の人たちが各セクションにいなくてはならない。
一方、これからはじまる少子高齢化社会においては、マニュアル型作業においてこそ有能な従業員が必要になる。立派な手順書作りと連続的な教育が行われなくてはマニュアル型組織は成立しない。それを軌道にのせてくれるのは印刷界においては若年者というより、高齢者と女性パワーだろう。印刷界においてはデスクワーク作業が全体の70%にもなろうとしている。デスクワークの中にもマニュアル型作業がいくらもあるのだから、徐々に従業員の身分を変えながら新しい社会に対応した人事構成を作るべきだろう。
・オーケストラ型知識集約化小集団
オーケストラの音楽団員はみんな専門家である。ピアノの専門家、バイオリン、管楽器、打楽器、それぞれの専門家がコンダクターと一緒になって演奏を行う。印刷会社の各組識はそれぞれオーケストラの小集団と同じ機能を持っており、そのオーケストラ小集団が集って会社という大きなオーケストラを編成する。このオーケストラの団員諸子は個人でも独奏会が開けるし、小人数で室内楽のコンサートを開く能力を持っている。そういう能力を持った人、または将来持つことのできる人を印刷会社でも正社員、専門職として持つことができれば理想的な型だと思う。
こうしたオーケストラを裏方として支えてくれるのがマニュアル型従業員である。裏方の人がいなければ舞台装置も、楽器の輸送も、切符の販売もできない。同じことが印刷でもいえる。営業マンが仕事をとってきても、整理をしてくれる裏方の事務職が必要だし、デザインディレクターが仕事をとってきても定型的なDTPデザインをしてくれる裏方が必要になる。
会社の経営をこうしたオーケストラ型とマニュアル型にすることは一種の理想であって夢のように思っていた。しかし、21世紀が個人能力重視の時代になるということは、それを実現させる会社組織の方も、それに応える形でメタモルフォーズ(変態)をしなければならないということだ。オーケストラ型は私の一つの提案である。他の組織があるかも知れない。まだ新しいパラダイムの姿が見えないのだから、百家争鳴、みんなが意見を出し合い、実行し、トライ&エラーの中で情報化と印刷経営、グローバル化と印刷経営という新しい労務管理スタイルを作っていこう。
2001/01/02 00:00:00