Print Ecology(印刷業の生態学)
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米国PIAが2000年春に公開したvision21という印刷業の21世紀予測にしても、「redefine」という言葉を大切にしている。このリデファインというのは再定義するという意味だ。この言葉の通り私たちは21世紀の印刷業界を論ずる時、従来のInk On Paperを中心にした定義(definition)とは異なる定義すなわち「定義のし直し」(redefine)が必要になったと思っている。
勿論、旧来の印刷業の定義も明確ではない。Ink On Paperを中心に複数の印刷物を制作する業者、これは古い定義だろう。最近のものとしては「文字、画像の静止像を編集処理して紙、CD,ソフトビュアーなどのメディアに表現する業者」ということになるのだろうか。この二つの定義にしても21世紀の印刷業者を的確に表現していない。もっと別の表現があるだろう。どんな表現が良いのか分らないから世界中の印刷界が困っている。
さて、仮に印刷業について明解な定義があったとしよう。その場合その定義の内容については印刷人や一般社会人がみんな認知しており、その内容を表現するための技術、設備、経営パターンなどについても印刷関係者の中に合意があるものである。そうした一つの定義や概念について、それに関連した過半数の人たちが合意している時、その定義や概念は一種のパラダイムということができる。現在、印刷界は新しい定義を求めている、新しい印刷界の姿を探している、すなわち印刷界もパラダイムの変化、パラダイム・シフトの時代に入ったということである。そして私はこのシフト(移行)について多くの事を語ってきた。
シフトの時代、移行の時代は過去の価値観が変わる時代の事をいう。技術も設備もビジネスモデルも各種の慣行も印刷に従事する人の思想も、すべてが変化することを意味する。その変化が緩やかな速度ならimprovement(改善)であり、速度に加速度がつけばInnovation(革新)になり、非連続に変化すればrevolution(革命)になる。どうやら今日の印刷の変化、価値観の変化は過去の価値観が全く役に立たない非連続な変化、革命的な変化、非連続なパラダイムシフトだと考えた方が良さそうだ。そして、こうした非連続なシフトの時代、次に何が起るか予測不能な状態、それをカオス(chaos)と呼んでいる。
私はいままで印刷界の組織、経営、生産、技術、営業活動を論じながら、従来のパラダイムの行づまり、崩壊のプロセスについて論じてきた。この章ではさらに論点を進めて、新しいパラダイムへシフトして行く時の諸問題を論じながら、カオスからの脱出条件を考えたいと思う。
a)無機物質の形質変化
すべての物質は単体であろうと化合物であろうと、沢山の分子から構成されている。そして温度、圧力を変えて行くと、3相の形質に変化が生ずる。すなわち固相、液相、気相である。問題は3相間の転移点前後の物質の変異行動である。この相転換点前後の物質の形質変化の状況を「ゆらぎ」といっている。
私たちの日常生活の中で、一番身近な「ゆらぎ」現象は水で見る事ができる。グラスの中の水を熱していくと、一気圧の下なら100℃前後までは水の形質は変わることがない。水の分子量が大きいので熱をみんな吸収してしまう。100℃近くなるとグラスの底や周辺から水の分子が水蒸気になり泡になってブツブツと上昇する。水全体が100℃になれば泡は一層激しくなり、ついには全部が水蒸気になり空中に飛散してしまう。このブツブツと泡が出はじめる状況、すなわち前の液体という形質と次の気体という形質と、二つの形質が混在している状況を「ゆらぎ」といっている。
・経営体の中の「ゆらぎ」
私たちの印刷経営の中でも、この「ゆらぎ」の概念は非常に重要である。日頃から社員の志気が高く、何かの動機があれば一斉にその方向に動くような環境ができている会社なら、ISO取得をしようと決定しても、またCTP作業を開始するといっても、社員はついてくるだろう。もし逆に社内の志気が低く、少々のインセンティブを与えても日常の作業以外は動こうとしない社員が多かったら、すなわち社員全体がぬるま湯につかっているような状態なら、会社の如何なる事業計画もスタートしないだろう。
ご存知のようにISO取得にしても、CTPを採用するにしても、会社の一部の幹部が努力すればできるというものではない。ISO取得なら全社員が主旨を理解し、マニュアルを正しく遵守する必要がある。CTPにいたっては、データ処理に関する知識を関係社員みんなが勉強しなくてはならない。営業もプリプレス部門や刷版部門も、データに関する知識を高める必要がある。ISOやCTPだけではない。短納期に対応するために弾力性のある勤務体制を作ったり、CIP3やPJTFといった社内のデータ通信ネットを作って、運用したり、これからの印刷企業は21世紀対策として整備すべき案件は山積している。
これらの案件を消化していくということは、会社組織の現在のフェイズ(Phase位相)から次のフェイズにポテンシャルを上げることだから、それはある種の相転換である。それには各種のエネルギーや力が必要だし、相転換の時の「ゆらぎ」を克服しなくてはならない。そのためには会社の殆どの社員が、会社の次のフェイズ、形質がどんなものであるかを理解し、会社はそれを全社員に伝達、教育しなくてはならない。勿論、社員側にそうした相転換を受け入れる、資質がなくては「ゆらぎ」は発生しない。こうした環境を日常作っておくことが21世紀の会社運営に必要なことだが、この次元の高い会社作りはそれぞれの会社ごとに一様ではない。大変な努力と時間の積み重ねが必要である。
b)有機生物の行動パターンとホロン
すべての生物は何十兆もある細胞を持っており、その細胞核内にBook of Life すなわちゲノム(Genome:固有の遺伝情報全体)を持っている。過日、ヒトゲノムの解析が終り、遺伝子の個数が人間は約3〜4万個と意外に少ないのに驚いたばかりだ。大腸菌は4,300個、(Oー157)5,400個、トウモロコシ約3万個、イネ5万個、ショウジョウバエ1.3万個などが発表になり、それに比べ人間の遺伝子の数が少ない。その上、遺伝子の中で個人差を決める遺伝子は全体の0.1%だという。ということは遺伝子の長いラセン状の鎖(DNA)が非常にアクティブで、各種の環境変化にも反応が早いということかも知れない。
さて、 すべての生物の成長のパターンは前述のBook of Life にすべて書かれている。細胞の中のゲノム(遺伝子geneと染色体chromosome との合成語)が司っていることになる。そこで問題になることは下記のようなことだ。
@生物の「種」ごとに成長のパターンが決っているということ。環境の変化が続き、ゲノムに異常が起きない以上、「種」ごとに特定の成長パターンがある。昆虫、爬虫類、霊長類それぞれ沢山の「種」を持っているし、人間にも特定のパターンがある。A個体は沢山の細胞からなっているということ。人間なら60兆の細胞があるといわれている。その細胞が個体を構成する各器官を作っている。勿論、細胞も分裂を繰り返し、新陳代謝という生活機能をもっているが、各器官もそれを構成する細胞のゲノムによって行動パターンが決定されている。すなわち各器官はそれを構成している細胞から見れば上位の組織体であるから全体という位置づけになるが、個体からみれば部分という位置づけになる。個体が生活機能を果たす上で、重要な意味を持っている各器官は無機質な物体の本体と分子という関係とは全く異なり、それぞれが特有の遺伝情報を持って独自の機能を果している。すなわち個体と各器官の関係は、個体を全体と見れば各器官は部分ということになるが、一方、各器官は細胞から見れば全体としての生活機能を持っている。従って各器官は部分であり全体でもあるという位置づけになるので、生物の各器官はそうした見地から「全体子」(Holon ホロン)と名づけられている。Holon はHolos という言葉とon との合成語である。Holosとは全体という意味だし、On は微細なものにつける語尾で、例としてElectron電子 やPhoton 光子がある。
Bもうひとつ大切なことがある。このホロンという各器官は自律と他律という二つの働きを行う機能を持っていることだ。個体の全体としての行動に反応してホロンである各器官も行動するという他律の働きがある。個体が激しい運動を行えば、心臓とか胃、肺という各器官もそれに応じて、それぞれの運動量を増やすことになる。個体の指示に基づいて行動をするという他律の働きである。一方、個体が睡眠しているような時、運動量が小さい時、そのような時でもホロンである各器官は全体の生命維持のためにそれぞれの働きをしている。他律の指示がなくても自律の行動機能を持っているということだ。このように他律と自律と二つの機能を持っていることをホロニック機能(Holonic Function)と呼んでいる。
2001/03/12 00:00:00