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電算写植の歴史−印刷100年の変革

電子写真植字方式で呼ばれる世代とは、出力機(写植機)の構造や機能により区別され る。第1世代機は光学機械式をいい、キーボードから直接駆動するものと、鑽孔テープで 駆動するものがある。日本にはこれに該当する機械はない。

第2世代機は第1世代機と同じ光学式であるが、文字は鑽孔テープまたは磁気テープな どを媒体として、これをコンピュータの指令により電子的に植字する写植機である。文字 盤はアナログ式であるからアナログ写植機と呼ばれ、日本では「SAPTON」や「FACOM」システムなどがこれに相当する。

第3世代機はCRT写植機と呼ばれ、文字盤を使用せずにコンピュータのメモリにデジタルフォントを記憶させ、コンピュータの指令に応じて所定の文字を取り出し、CRTの蛍光面上に文字を描く方式である。そして第4世代機は、文字をデジタルフォントとして記憶させることは第3世代機と同じであるが、光源にレーザを用いるところが異なる。

第2/第3世代機までは、文字処理を主体とした「タイプセッタ」と呼ばれたが、第4 世代機は文字・図形・画像をイメージとして扱うことから「イメージセッタ」と呼ばれ区 別されている。現在DTPの出力機として使われているイメージセッタ/プレートセッタなどは第4世代機に相当する(図参照)。


●第2世代写植機
欧米での自動写植機は、インタータイプ社の「フォトセッタ」、フォトン社の「フォトン」などが稼動していたが、日本における自動写植機の歴史は1960年に写研が発表した「サプトン-N」に始まる。と同時にテープ編集機「サプデジタ-N」も発表され、実用的なサプトン・システムが誕生した。この写植機は光学式の第2世代機である。

その後ハードウェア/ソフトウェアの改良が進むと共に多くの新聞社に導入され、ホッ トタイプの自動モノタイプに代わる文字処理システムとして新聞組版に活用された。そし て1968年に一般印刷用の「サプトン-P」と「サプデジタ-P」が開発された。

続いて1969年に、和欧混植やルビ処理ができる「サプトン-A」システムが発表された。 文字データの入力処理にミニコンピュータを用いて、「SAPCOL(サプコル)」と呼ばれる組版言語により編集処理を行なう方式へと進化した。

このサプトン-Pは1971年以降に多くの印刷会社が導入し、電算写植の普及の口火を切った。続いて1972年には一段と性能が向上した「サプトン・スピッツ」を発表した。このシステムの特徴は、ページ組み機能、収容文字数の増加、書体交換機能などを備え、漢字入力装置として紙テープ鑽孔機「サベベ-S3001」などで構成されている。

このサベベ-S3001は、ユニークな「一寸の巾」式見出しシフトキーを採用した文字盤配 列に改良され、組版言語の「サプコル=SAPton COmposition Language-HS」は、行末揃え、欧文処理、ルビ処理、表組処理、ページ組み処理など高度な組版が可能になっている。

しかし当時の電算写植のシステム構成は、漢字キーボード(紙テープ鑽孔機)と入力テ ープを組版処理するコンピュータ、そして電算写植機などで構成され高価であったため、 中小印刷企業や写植業者では容易に導入できなかった。

そこで1977年に、コンピュータと写植機一体型で低価格の、経済的モデル機として「サ プトン・ソマネチ」が開発された。このシステムは、Stand Alone(コンピュータ内蔵独立型)の普及型の棒組み専用機であるため、見出し処理や版下作成のフィニッシュワークなどを必要としたが、CPU Slave型(コンピュータ従属型)のシステムに比して経済的価格であったため、写植業界や中小印刷企業への普及を促進した(つづく)。

他連載記事参照

2001/07/28 00:00:00


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