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電子メディアとともに紙は進化する

東京農工大学 農学部 環境資源科学科の岡山隆之助教授,グラフィックデザイナーの原研哉氏,日本製紙(株)研究開発本部 開発企画部 技術調査役 種田英孝氏による「環境・社会・文化の視点から」をテーマとした第一部パネルディスカッションの内容を紹介する。

紙と電子メディアは,追いかけっこ?

岡山:「人間との関わりのなかでの紙と電子メディア」を最初のとっかかりとして進めたいと思う。まず原先生から,電子ブックにはまだハードルがあるとのことだが,どのようなハードルがあるのか,紙の方が優れている点はどこなのか,お考えをいただきたい。

原:たしかに電子メディアは正確さや記録性においては圧倒的に紙に対する優位性を持っているわけだが,よくいわれるように,コンピュータの発明よりも紙の発明が遅かったらどうであっただろうか。紙はとても便利で画期的な発明であり,紙ができたおかげで今までモニターで見ることしかできなかったものが,簡単に外に取り出せて携帯もできる,ポケットに折り畳んで入れることもできる,といわれるのではないだろうか。
その意味では,紙はものすごく多様性を持っていると思う。それに対して,電子メディアが1つひとつ検証し,打ち勝っていくためには,紙と同様に多様なインタフェースを開発していかなくてはならないという局面があると思う。
もう1つは,電子メディアは見づらいという認識を誰もがお持ちだと思う。あらゆる環境のなかを,どのように大量の情報が流れていくかということに関する研究がまだまだ立ち後れていて,可能性や潜在力の部分で語られてしまっている。
したがって,第1に紙の素材としての多様性に対応する電子メディアのハード面での立ち後れ,第2に,コンテンツの部分で映像をどのように見せていくかという面からの研究の立ち後れ。この2つが相当にこなれてこないと,なかなか電子メディアは紙に打ち勝っていけないと思う。

岡山:種田先生は,「紙と電子メディアはライバル」と話していたが,その点について意見を伺いたい。

種田:電子メディアには,マスメディアを担うということと違って,個人的な発信ができるという利点が明らかにあると思う。そうした社会的な役割の違いのほかに,技術的な観点から触れると,今の電子メディアの多くは,紙の確立した技術を模倣しようという形で進んでいるような気がする。はたして,それは電子メディアにとっていいことなのかどうか。
また,Webページなどを見ていて個人的に思うのは,電子メディアが紙と決定的に違うのは,カラーが使えるということ。たとえば,電子ブックなどカラー画面で見ることができる。一方,われわれが手にする紙,オフィスで手にするコピー紙などはほとんどが白黒の世界。その違いは大きい。そういう意味で,まだ紙と電子メディアで「追いかけっこ」をしているのかなと思う。

新メディアによって解放された紙

岡山:これまでテレビやコンピュータなど新しいメディアが出てくるたびに,常に紙はなくなるのではないかといわれ続けてきた。しかし逆に,モニター画面では満足できなくて,必ずプリントアウトして見るという人間の習性があり,インタフェースとしては,紙の方がファミリアであるといえることから,実際には今にいたるまで紙は生き続けているし,むしろその消費量を伸ばしてきてしまっている。
ここから2050年の話をしていきたいと思うが,はたしてこのまま2050年に紙が存在し続けるかどうかという視点になると,私どもの世代よりも下の世代が,そのころの社会の最先端にいるわけで,次の世代が紙に対してファミリアかどうかということについてご意見を伺いたい。

原:まったく紙というものに触れないで育つということが可能であれば,紙に対してファミリアでない世代も育ちうると思う。
ただ,人類というのは紙が好きなのだと昔から思っている。というのは,情報を運ぶという点において紙が好きなのではなく,たとえば,和紙というすばらしい生産物に指先が触れた瞬間に,ああ素敵だなとみんなが思ってしまう。人間の知恵によって天然素材を加工し,人間という有機体に働きかけるという恵みが天然素材に内蔵されていて,その素敵さを享受するという喜びが,紙という物質の中に含まれているのだと思う。その部分は,仮にまったく紙にファミリアでないような情報環境で育った人に対しても同様の喜びを呼び起こすのだろう。
むしろ,新しいメディアが,紙の持っている潜在性を解放してくれたことになると思う。今まで紙は,情報を載せなくてはならないものであり,重い荷物を載せて運びなさいといわれていたようなものであった。それが,素材としての可能性を開花していくことで紙の未来を開きなさいといわれたようだ。

種田:紙の特徴は「物質」であるということだ。人間は何かしら食べ物など「物質」を取り入れて生きていくわけだが,そのなかで,物質に対する親近感や物質を必要としている感覚が本能のなかにあるのではないかと思う。
情報とは,目に見えないものであり,それを具現化しているものは紙だということになる。情報を聞くというよりも,紙の束を見て安心する。たとえば,本を買って読まなくても,近くに置くだけで安心してしまうという感覚がある。その感覚は人類共通であり,本能に根ざすものではないかと思う。だから,コンピュータで育ってきた世代になっても,情報を意識するものとしての紙は,なくなっていかないのではないかと考えている。

パラレルワールド

岡山:紙の物質性のいいところ,そしてその延長線上だが,紙にこういう性質があったらもっといいものになるのではないかという視点での話があれば承りたい。

原:紙というのは環境形成の素材であるという点が最大のポイントで,なおかつ情報も載っているというのが紙のおもしろいところである。ディスプレイはあくまでディスプレイなので,環境形成,環境の定義は難しい。紙の可能性について問われるならば,コンピュータのメディアが発達していくのと同じだけの可能性を紙も持っていると思う。
ある種のヴァーチャルな世界が進化するのと並行して物質世界があり,この2つのパラレルワールドが,お互いに影響を与えつつ,進化していくという状況が長く続くと思う。
建築家の世界も同じで,今は情報の流露そのものが都市性を持ちはじめているので,情報の流れをどうコントロールしていくかによって,都市の様相も変わってくる。これからの都市性とは,ネットワーキングのなかにつくられていくものである,などといわれる。建築家たちはそういうヴァーチャルな世界で生まれている都市性から影響を受けて,実際の建築の様相を切り替えていっている。そういう意味で,フィジカルな物質の建築もどんどんおもしろくなっているわけだ。
最近,分厚い本が世界的に台頭してきている。個人が発生させる情報の量,書籍に置き換えればページ画面といってもいいかもしれないが,この発生したページ画面は今膨大に増えている。この膨大な量をどのように受け止めてくれるのか。もはやヴァーチャルな世界だけでは抑えきれなくて,物質にしたくてしかたがないという欲求が,分厚い書籍を生み出していったわけだ。

資源問題の解決を目指して

岡山:紙の製造の観点からすると,環境問題や資源問題が大きな視点として今後クローズアップされざるを得ないと思う。種田先生の話のなかでも,二酸化炭素の排出量の話,エネルギーの問題というLCA的な評価について触れられていたわけだが,その点から,資源としてどのようなことを考えていくべきなのか,ご意見をいただきたい。

種田:紙を作っている物質は,再生産可能な資源であると昔からよくいわれている。人間にとってどうしても物質とエネルギーが必要だとなると,将来,化石燃料から得ることができなくなるだろうことを考えていけば,太陽光などの自然エネルギーを利用せざるを得ない。自然エネルギーの利用の上で一番の欠点は,エネルギー密度が低いこと,あるいは夜間など利用できない場合があるということだ。それを何とか使っていくためには,蓄積するための技術と仕組みが必要になる。
そういう意味では,森林は,太陽光を効率よく受け止め,それを蓄積しており,重要な機能をこれからますます担っていくものと思う。
同時に蓄積という面では,それをいかにうまく利用していくかということもあり,たとえば木材をまず紙として使い,最後にエネルギー源として使うというようなシステムをうまく構築できれば,未来永劫,その物質の欠点としての資源問題やエネルギー問題から解放されるのではないか。
日本は,紙の回収率や利用率がかなり高いが,50年後をにらんだときには,日本がモデルとなって,ある程度,実行可能なシステムを構築し,それを広めていくという方法は重要だろう。特に現状で,紙を物質として回収するという部分は,それなりに進んでいるが,まだエネルギーとしては回収できていない。それはゴミ問題にもつながっているとのことなので,どのように立ち上げていくか,紙業界だけでなく社会全体の問題として,システムを構築し推進していくことが必要かと思う。

中国・インドの紙需要は…

岡山:今後おそらく,中国やインドなど人口の多い国が経済的に発展していった場合,当然のことながら紙の消費量も増えていくと思うが,資源的,環境的な意味を含めて,発展途上国が成長することによる影響は,2050年までの間でどのように推測するのがいいだろうか。

種田:紙の消費がインドや中国で増えていくだろうことはおそらく間違いないと思うが,現状で紙をあまり消費していない,たとえば新聞などのメディアにあまり接していない人々が,紙と電子メディアがほぼ同時にきた場合,どちらを選択するかという問題は,個人のレベルと社会のレベルと両方から考える必要があると思う。
社会のレベルというのは,紙を媒体として使うためにはそれなりのインフラ整備が必要だということだ。製紙工場,印刷工場,媒体を国中に配るような運送システムも必要だ。
それに対して,無線の携帯電話のようなものを考えると,電子メディアを各個人に配布するのは,それほど社会的なインフラコストは高くないだろうと思われる。その場合にどちらを選択するのか。あるいは紙の資源としての木材が減少していった場合,それなりに紙のコストも上がるだろうし,そのなかである程度の均衡はとれていくのではないかと思う。必ずしも中国やインドが,日本やアメリカと同じ勢いで紙需要を増やしていくという傾向になるとは考えてはいない。

もし,紙がなくなったら?

岡山:紙がなくなったと仮定して,そのときに社会はどうなっていくのかを想像していただきたい。

原:万年筆を使い肉体を使って文字を書くということ,そういう身体性をもっている私というものの存在を,紙は受け止めてくれる物質であると思う。言語や文字は,文字を書くという身体行為を通して,ある種の身体性を持つ。環境のなかでの紙というのは,身体を必然的に宿命的に引き受けている存在である人間というものを受け止めてきた素材なので,それがもし全部,キーボードに置き換わっていくと,私たちは自分たちの身体性を持て余すと思う。

種田:紙がなくなると製紙会社がいらなくなるというのが明らかにあるので(笑),困ってしまうのだが,紙の特徴としては,安さというのがあると思う。われわれが何かを残そうと思ったときに,高いものではなかなか残せない。何かを残そうという原動力になるのが,紙の特質にあるのではないかと思う。だから,もしも,紙がなくなってしまう状況になるとすると,そういう文化的な活動自体が縮小していかざるを得ないと思う。

紙は,進化していく

岡山:2050年という非常に微妙なタイムスパンのなかで考えると,それほど大きな変化は,紙自体にはないのかもしれない。電子メディアはかなり発展的にいろいろなものが出てくるような気がするが。最後に何か補足などあればお願いしたい。

原:紙は残っていくというより,むしろ進化していくと考える。電子メディアの変化と,紙の物質世界の変化は,並行的に進む。したがって,一方が止まって一方が進むのではなく,一方の進化がもう一方に影響を及ぼしながら,今までとはまったく違う紙の様相が生まれてくるだろう。そしてそれは,新しいメディアがそこに刺激を与えるからであると申し上げておきたい。

種田:まだまだ紙自身の研究は進めていかざるを得ない。紙がなくならないのは,それなりの良さがあるからだと思う。そのことはまだ充分に認知されていないから,このようなシンポジウムもあるのかもしれない。紙がなぜ,そんなに優れているのか,紙に代わるべきはどういうものか,ということを,深く深く追究していかざるを得ない。

岡山:私自身,紙は残るという視点に立っていたが,むしろ原さんのいわれたように,紙はさらに進化する可能性をもつという形でまとめたいと思う。

報告記事をご覧ください。

2001/08/20 00:00:00


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