20世紀の末に加速的に発達したのはコンピュータであった。20世紀の最初から1000ドルで買える計算能力をグラフにすると、見事に指数関数的に発達をしているという。そしてまだその発達は続いている。21世紀がどのようなものであるかを考えるときに、コンピュータの能力が人間の脳を上回るXdayが来ることは誰もが想像するようになった。
このことはコンピュータが人間の記憶容量を越え、判断速度が上回り、人間の仕事の能力を拡張すると共に、人間から仕事を奪うまでは誰でも考えるだろうが、その先にコンピュータは心を持つのか、さらに特定の人の心のコピーとして誰かの意思が広がってしまうのか、またコンピュータが独自の心を持つか? などSFに登場したようなことも、本気で考えなければならない時が近づいているのだろう。
シンポジウム「2050年に紙はどうなる?」においては、大日本印刷(株)北山拓夫氏から、OCRの発明家としても有名なレイ・カーツワイルの未来予測が紹介された。そもそもは一体印刷物は2050年にはどうなっているのだろうということを調べるために、合理的な考え方をしている例を探して行き着いた本で、翔泳社から出ている「スピリチュアル・マシーン コンピュータに魂が宿るとき 」(Ray Kurtzweil 著 田中三彦 / 田中茂彦 訳 定価2800円 四六判 504ページ 2001/05/18)の第3部が氏の未来予測である。
その本の紹介は、「文字認識ソフトやシンセサイザーなどを発明し、米国ナショナル科学技術賞を受賞した天才、レイ・カーツワイルが歴史的、科学的実証をふまえつつ独自の進化論をもとに描き出す21世紀の未来絵図。ビル・ゲイツ、スティービー・ワンダー絶賛!」となっており、原題:THE AGE OF SPIRITUAL MACHINES が示すように、コンピュータが人間の脳と同等の知能を持ち、さらには「こころ」までも持ち始めるとき、われわれ人間の生活――教育、医療、コミュニケーション、そして世界の政治、経済はどのように変貌していくのか? など、幅広く(漫談的ともいえるほど)、しかもものの見方が新鮮でわかりやすい本である。
書かれていることの個々については異論もあろうかと思うが、どういうことを踏まえると、次はどのようなことになるか、という整理はよくされているように見える。印刷など情報媒体にも関連のありそうなところだけを、以下に抜き出すので細かくは同書を見ていただきたい。
2009年
1000ドルのパソコンが毎秒およそ1兆回の計算をこなす。またウェアラブルコンピュータがでてきていて、ケーブル類なしに通信もできるようになる。音声認識やランゲージ・ユーザー・インターフェイスも広く普及する。コンピュータとのやりとりは、人間に摸した仮想パーソナリティとの間で行われる。当然従来の教室学習とともに、各教科を教える知的なソフトウェアが学習手段として一般化している。翻訳電話も利用される。
コンピュータ・テクノロジーの進歩により経済が継続的に発展し、コンピューティングの価格パフォーマンスの加速度的改善により、人間とサイバネティック・ミュージシャンとのジャムセッションとか、病気の死亡率が減小とか、ハッピーな面が多く出るが、一方新ラッダイト運動が盛んになる。
2019年
1000ドル(1999年のドル価)のパソコンが人間の脳とほぼ同じ性能をもつ。コンピュータの大半は目に見えなくなり、いたるところに組み込まれる。メガネやコンタクトレンズなどもコンピュータとのインターフェイスとして利用される。コンピュータとのやり取りは、ほとんどの場合、ジェスチャーや双方向の自然言語を介して行なわれる。
ナノテクが効果をあらわす。バーチャルな面では、人間はどこでもだれとでも好きなことができる。紙の書籍や文書はほとんど使用されなくなり、勉強はもっぱら知的なシミュレーション・ソフトである教師に教わる。擬似人間とのやり取りが大半を占めるようになる。
人々はしだいに自動パーソナリティとの関係を深め、それらが友人、教師、介護者、恋人などにもなり、仮想アーティストが活躍をはじめる。しかし人間が考える基準を満足させるものとはいえないかもしれない。
2029年
1000ドル(1999年のドル価)のコンピュータが1000人分の脳の能力に匹敵する。人間がコンピュータと効率的な情報のやり取りを望んで目や耳に移植手術が行われる。視聴覚、理解力、記憶、理性などを高めるサイボーグ化が可能になる。コミュニケーションの大半に人間はかかわっていない。
自動エージェントが自己学習し、重要な知識がほとんど人間を介さずに生み出される。コンピュータは人間や機械が生み出した文書やマルチメディア資料などをすべて読み尽くしている。
生産、農業、輸送などにおいて人間の雇用はない。基本的な生活必需品がほとんどの人類に行きわたる。機械知能が人間の知能とあらゆる点で同等か否かの議論がされる。機械がみずからの意識性を主張し、その大半が認められる。
2049年
食物も自然と同じモノが人工的に作られ、資源、不作、腐敗などに影響されなくなる。
2072年
ピコ・エンジニアリングが実用化する。
2099年までには
機械知能の世界と人間の思考との合体傾向が強くなり、人間とコンピュータとの違いは、はっきりしない。「脳」はすでに細胞でなく、電子やフォトンを土台にしている。人間知能の拡張から生まれた機械知能が人間であることを主張する。ソフトウェア・ベースの人間の数は、依然として神経細胞ベースのコンピュテーションを使用している人間の数をはるかに上まわる。
神経移植技術により、人間の知覚・認知能力が飛躍的に拡大させた人が普通になる。知的生命体の「平均寿命」はもはや死語となる。さらに何千年後・・・・・・知的生命体が宇宙の末路について考察する。
これだけ見ると、安物のSFのように思えるかもしれないが、この本を読むと20世紀末に起こったことや、今日の社会あるいは人類が望んでいることをベースに論理をたてれば、結構妥当な予測であると思うだろう。もしこういったシナリオを否定したいのならば、今我々が行っていることも否定しなければならないのかもしれない。さて、このような未来に向かって進んで行く中で、一体印刷の将来はどう考えれればいいのだろうか? 冒頭の「2050年に紙はどうなる?」に引き続いて、シンポジウム「2050年に印刷はどうなる?」を行いますので、ご期待下さい。
2001/08/28 00:00:00