シンポジウム「2050年に紙はどうなる?」から,新潮社 パーソナル事業部 次長 村瀬 拓男 氏の講演を紹介する。
村瀬氏は,CD−ROM版「新潮文庫の100冊」制作,eBookなどを担当し,紙以外のメディアに関する仕事に携わってきた経歴が長い。その立場から,「情報産業の一端にあると言われている出版社において,『情報』とそれを読者のもとに送り届ける『メディア』であるところの『紙』が全く分離されていないところに,出版ビジネスの特質があるのではないか」と切り出した。
経済性
「紙」は出版において非常に安価な媒体であったということがいえるのではないか。本のおおざっぱな原価構造を考えると,直接制作費が本の中で占める割合は,最大約20%で,このうちの約半分弱が紙の値段となる。
標準的に新潮社で発行するような単行本を例にすると,価格1,400円くらいの書籍を3万部売って商売にする場合,実際にかかる紙代,紙の仕入れ代は,約270万円である。製本が230万円,印刷が100万円であり,合計で直接のコストが約600万円。このケースだと,直接のコストが全体収入の約14%なので,実際に我々が売っている本の中で紙が占めている割合は約7%弱。製本,印刷まで加えて14%ということになるので,実に80数%の付加価値をつけて売っていることになる。
そういう意味では,圧倒的に付加価値,つまり,載っている情報を商売にしていることは間違いない。たくさん作るほど媒体代が相対的に安くなるので,紙は量産効果もある。以上のような点では,紙に依存しての情報配達はメリットがあったと言える。
情報表現力
現状ディスプレイの解像度は72dpiから100dpi,せいぜい100数十のドットで構成されている。印刷にも,同じく解像度という概念を当てはめると,具体的には1,000の桁になる。これは,あきらかに情報の表現力という点で跳ね返ってくる。
解像度の相違によって生じる違いを挙げると,画面上で校正をしてみると,たくさん見落としをする。ところが,紙に印刷をして,印刷物で校正をすると,かなりその間違いをチェックできることがある。
実際,無意識のうちに目は面白い作業をしており,ディスプレイの乏しい解像度の中のポイントを必死に頭の中で再構成しているのではないか。そこのところにあまり気をとられすぎて,誤字があるかどうかまで気が回っていないのかもしれない。
利用者の意識
文章は,少なくともこれまでは紙で読むものと意識してきた。最近,インターネット,携帯電話,メールの普及により,ごく一部の情報や短い伝言は,画面上で読むことがかなり普通の状況になってきたが,まだ,ある一定以上の長さのもの,ある一定以上のまとまりのあるものは,紙で読むものとして意識している。文芸書籍はもちろん,コミック雑誌などの場合もそうである。
また,「利用者の意識と紙媒体の関係」に着目すると,利用者は何に対してお金を払っているのか,という問題が生じてくる。例えば,同じ本を1冊買う場合,文庫本と単行本で発行された場合,また,個人全集に入っている場合,価格が当然違う。実際そこに盛り込まれている情報,すなわち文章,作品の実質的な部分に関しては,ほとんど差がないにも関わらず,価格差があることを,読者は当然のごとく受け入れている。このことは,紙媒体との分離を全く意識されずにやってきた出版ビジネスの特徴をよく表していると思う。
在庫・流通問題
出版業界においてよく言われる問題として,在庫・流通問題がある。紙は重くてかさばるものなので,限られた書店店頭のスペースでは,新刊が出れば,その分,返却しなければならない。現状,出版物の初回の返品率は40%を超えて50%に近づいていると言われている。紙を束ねたものが,本や雑誌,つまり出版ビジネスにおける商品の形態であるからこそ生じている問題といえる。
これに関して,我々が今,一番頭を悩ませている問題がある。かつて,「新潮文庫の100冊」という100冊分の文庫を1枚のCD-ROMに出して売るという商売で,それなりの成功を収め,その延長線上で,個人の作家の全集を1枚のCD-ROMで出してみようじゃないか,という提案が出た。
数年前に亡くなられた安部公房さんは,作家として,最も早い段階でワープロを導入した。「亡くなられたあと,遺作がフロッピーの中に残されていた」ことで話題にもなった人で,電子メディアで出しても面白いかと検討しているのだが,実際,安部さんの全集は,1冊5,100円くらいのハードカバーで箱に入れたものを全30巻出すので,全て買うと約17万円となる。データ量としては,CD-ROM1枚に十分入ってしまう。それなら,CD-ROM1枚を17万円で売るのかとなると答が出ない。つまり,我々が売っている安部公房全集の何に対して読者にお金を出していただいているのか,というところを露骨に突きつけられている。
また,「紙の束」を売っていることのもう1つの証拠になるのは,あくまでも出版にかかる経費は,初版を完売することによって,そこまでに発生した経費を回収するというのが,原則になっている。
つまり,情報は単体で切り出して売り,その利用に応じて,対価をいただいていくというのが,無形的なものの利用及び対価の支払い方法としては通常ではないかと思うが,出版物のお金の回収方法はそうではなく,物を作って,売り,売り切った段階で経費を回収する。さらに,出版社の社内体制も,全て,「紙の束」を前提にシステム化されている。
今,出版界で大きな問題になっている「BOOK OFF」という新古書店があるが,実際,法的ないしはビジネスの構造の観点から言うと,全くもって正当な商売なので,出版社としては何も言える立場にはない。そこで問題になっているのは,実際に読む人がどんどん増えているのに,権利者に対して正当な対価が払われていないのではないかという疑問が,特に,著者サイドから出てきていることだ。
しかし,前述のように,著作権者へのインセンティブは,基本的には,最初に物を作って売った時点で終わりだとこれまでも決められてきたし,そのような形で運用されてきた。そこのところの齟齬が,「BOOK OFF」の出現という形であらわになったのではないか。
以上の検討から,「出版は紙と全く不可分にしか存在しないものと提起せざるを得ない。紙の命運と,少なくとも旧来の出版の命運は,ほとんど共にせざるを得ない。紙がなくなるということになれば,これまでの出版の構造は根本的になくなり,全く違う構造の情報提供産業が出て来ざるを得ないだろう」と語り,「『2050年にどうなるか』,基本的には何も変わらないという結論を,出版の観点からは出さざるを得ない」と締めくくった。
最後に,別の観点からの投げかけがされた。紙がどうなるかということに関連して言うと,「紙」とは具体的に何なのか,ということも別の問題として出てくるだろう。パルプなどの資源から作られた一般的な意味での紙を念頭に置いているだろうが,「機能的に全く同じ物ができるのであるなら(これは,哲学的なテーマにもなりかねないが),例えば『eペーパー』と言われるものでも,紙としての意味は変わらないのではないかという意見も出てくるかもしれない」。
2001/09/22 00:00:00