本記事は、アーカイブに保存されている過去の記事です。最新の情報は、公益社団法人日本印刷技術協会(JAGAT)サイトをご確認ください。

印刷業に必要な現代的マーケティング力

和久井 孝太郎

去る10月24日、東京の発明会館ホールに100名を超える中堅印刷企業のトップが一堂に会し、経営シンポジウム2001「今問われる、印刷業のマーケット戦略」が開催された。 シンポジウムは基調講演として、(株)電通の前常務で現(株)エレクトロニック・ライブラリー相談役 農学博士 塚本芳和氏より「マーケティングの進化(過去・現在・未来)」についてユーモアあふれるスピーチが行われた。

引き続き、JAGAT会員企業4社からの「報告とパネル・ディスカッション」が行われ、パネリストとして(株)石田大成社 阿部乙彦常務、(株)大鹿印刷所 大鹿洪司社長、川口印刷工業(株) 吉田幸一社長、渕上印刷(株) 柳正保社長の各氏が、更に当JAGAT 山内亮一常務理事も参加、小笠原理事の司会で『マーケット戦略』の現状報告と熱心なディスカッションが持たれた。
各社ともに、創業後半世紀から1世紀を超える実績を誇る優良な中堅印刷企業である。現状報告を筆者なりに要約すると、『自社の外に向っては第一に営業努力、そして内に向っては、製品管理・コスト管理・品質の確保と向上が重要』、ということでパネリスト全員の意見がほぼ一致した。

すなわち、『マーケット戦略』とは『営業戦略』のことであり、現代マーケティングに相当する上位概念が含まれていない、と筆者には感じられた。これは、特定顧客筋からの受注を基本とする伝統的な印刷企業にあっては、当然の意識(慣習)なのだろう。印刷企業の殆どが、事業を運営するための中軸機能としてのマーケティング機能の育成強化を図ってこなかった。

なぜならば、わが国におけるかつてのマーケティング(古典的マーケティング)が、一般消費者を対象とした市場調査・分析、そのデータに基づく製品開発・生産・販売計画、広告・宣伝・メディア企画・実施・効果把握などを意味していて、消費財生産企業や広告代理店にとって必要な機能と認識されてきたからである。

しかし、古典的マーケティングのパラダイムは、米国などで80年代以降大きくシフトして、今や、業種を問わず企業が『顧客の創造と維持』を実現し、『企業の持続的成長』を可能とするための中軸機能として現代マーケティングを位置付けるようになっている。印刷業もその埒外ではない。

企業部門も、公的部門も、生活者部門も、すべての部門において環境が加速度的に変化を続けている。経営シンポジウム当日、踏み込んでのディスカッションはなかったが、各パネラーからも発言があったように、例えば、産業のグローバル化により顧客が海外に拠点を移す。印刷分野でも中国企業など新しい競争相手の出現が予想される。取り引き先の業態変化。自らの生存競争激化、川上の業務分野へ進出、マルチメディア化、IT化人事政策、自然環境問題への対応など、印刷企業の経営環境も様変わりしつつある。

高度成長時代の『グラフィックアーツ』、印刷企業の経営は『アーツ』であった。しかし、環境変化がますます加速される時代、21世紀の印刷企業の経営は、『アーツ』だけでは不十分であり、『サイエンス』の力を味方につける必要がある。
なぜならば、世界の変化を加速させているのも、伝統的な価値観に混沌(カオス)をもたらしているのも、その原動力は、『サイエンス&テクノロジー』の急激な進歩だからである。私たちは、いったん伝統的な価値観のカオスの外に出て、客観的な態度で慣習を総点検し、経営論理を再構築することが不可欠である。

結論を先に述べると、21世紀に印刷企業が発展するには、経営の中軸機能として『科学的現代マーケティング能力』を育成強化すること、企業トップから社員一人一人までがポジションに応じたマーケティングセンスを身につけること、更にマーケティング事業部を設けることも、生存競争を優位に進めるため事業戦略の選択肢の一つと考える。

科学的現代マーケティングとは何か

自律と自己責任、そして自由な競争。ここで言う現代マーケティングとは、『企業内外のすべての歯車を噛み合わせ、うまく回転させること』であり、最終的には企業トップが責任を負うべきものである。

科学的とは、企業と自らの『未来の夢』に対応する『仮説(hypothese)』を持ち、実践を通し仮説を検証しながら前進することを意味している。ニュートンの万有引力も、アインシュタインの相対性原理も、はじめは仮説であったが多くの観測結果(実践)がその仮説の正しさを保証することで、米国のトーマス・クーンが言ったように自然科学にパラダイムシフトをもたらした。

事業運営に関する仮説は、企業のポジションに応じていろいろなレベルのものが想定されるが、共通的に重要なものはマーケティングに関する仮説である。
現代マーケティングに詳しい慶応大学大学院経営管理研究科の嶋口充輝教授は、事業運営基本モデル(事業の本質)の中でのマーケティングの位置付けについて次のように述べている。

事業は生命体であり、その本質は、未来に向って堂々と営み続ける『永続性』にあることは自明である。嶋口は、このことを図1において基本命題と表記している。次に、事業の唯一の目的は、『顧客を創造しそれを維持すること』である。そして、顧客の創造と維持によって永続性を全うしようとするなら、そのための事業を運営する哲学、つまり事業理念は、『顧客満足』にほかならない。

顧客の創造と維持を具体化するための事業機能は、米国のピーター・ドラッカーが言ったように、「マーケティング」と「イノベーション」の二つの機能に分割できる。この場合マーケティングの本質的な役割は、顧客満足を価値観に据え顧客を創造・維持する仕組みをつくることである。そして、イノベーションとは時代の流れにそって出てくる新しい技術、アイデア、発想(総称して「新機軸」)を事業の中に取込むことである。

今日では、この二つの機能を統合したものを広義のマーケティングと、とらえている。従って、『マーケティング機能のみが企業成長を司る機能であり、他の経営諸機能は、すべてそのためのコストにすぎない』、と言って過言ではない。

図1は上から下への流れにそって考えるべきもので利潤は結果であり目的ではない。これが現代マーケティングの基本原理で、そのうえに時代環境に合わせた創造的適応のあり方を志向すべきである。例えば今後、ネットワーク文明の進展にともなって、売り手と買い手が新しい価値創造のパートナーとして相互作用的に共創価値を追求するインタラクティブ型マーケティング(関係性マネジメント)が重要さを増す場合などである。

いずれにしても、『利潤』を目的に据えて議論を展開してきた伝統的経済学の仮説と、現代マーケティングの仮説では、立場を大きく異にしている。後者は、事業の目的である『顧客の創造と維持』に広義の環境問題を含めて議論できるなどの特徴があるが、人間とはなにか? テクノロジーの変化とは何か? などの基本的な課題を科学的に理解することが不可欠になってくる。[※注:伝統的経済学では環境問題への対応はコスト]

21世紀の印刷業は、どのような基本原理に基づいて事業運営を行なうべきか、現在、JAGAT技術フォーラムが実施している『2050年の印刷を考える』プロジェクトの成果と合わせて更に検討を進めたい。

2001/11/08 00:00:00


公益社団法人日本印刷技術協会