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DTPは印刷を変えた(8)−印刷100年の変革

●Super DTP大地の登場
1990年頃の日本におけるDTPの状況を振り返ると,やっと日本にDTPが上陸し「日本に もDTP元年はやってくるか」といわれていた時代である。そして日本語DTPの発展普及を 妨げていた理由に,日本語組版とフォントの問題があった。

日本におけるDTPの普及およびDTPとCEPSとの融合化など,印刷業界における商業印刷 用文字・画像統合処理システムの進展を遅らせている原因には,ソフト/ハードの技術的 問題もあるが,突きつめていくと文字の壁にぶつかる。

当時のデザイナーや印刷発注者がMac DTPを使うとなると,印刷物に使われているフォ ントを指定する傾向がある。ところがそれらの多くは,フォントメーカーといわれる写植 メーカーのフォントである。つまりDTPでは使えないわけである。

今では多くのフォントメーカーから多種多様なフォントが,パッケージで市販されるよ うになったことがDTPの普及を促進しているともいえる。つまり日本語DTPも欧米並みに マルチフォント環境になったといえるわけである。

ところがもう一つの問題が日本語組版の問題である。Mac DTPの定番といわれる組版ソ フトの「QuarkXPress」や「PageMaker」などは外国産であるから,アルゴリズムが日本語 組版ルールから逸脱しているという問題である。つまり外国人には日本語組版というのが 理解できないからだ。

そこで写植メーカーS社に不満を抱えていた,当時のMac DTP信奉者(写植業者)の一 人が,Quark社のCEOに日本語組版の改善の必要性を熱心に説得し啓蒙を図ったが,聞き 入れられずに帰ってきたという経緯がある。

●日本語DTPは国産で
そのような状況下にあった1990年10月に,マルチフォント環境と日本語組版機能を備 えた国産の日本語DTPが発表された。「一太郎」で有名なジャストシステムが開発した 「Super DTP大地」である。

日本語組版ソフトと和文フォントは,ジャストシステムとリヨービイマジクスの共同開 発で,本格的な日本語組版機能を備えていた。

フォントは独自フォーマットのアウトラインフォントで,和文フォントはリヨービ書体 4書体(本明朝M/B,ゴシックM/B),オプションフォントとして6書体(シリウスM/B, ナウMB/GM/GB/GE)合計10書体,そして欧文フォントがライノタイプ書体40書体とい う,本格的なマルチフォント環境を実現している。

そして出力装置は,当時の普通紙レーザープリンタとしては高解像度の600dpiのプリン タから版下出力できるシステムである。後にフィルム直接出力を指向しイメージセッタと のリンクを模索したが,アプリケーションやフォントフォーマットが独自システムであっ たため挫折した。

しかし「Super DTP大地」はデザイナーや編集者の間では好評であったが,時代の変化 はDTPがカラー化に進むなかで,モノクロでしかもMac DTPより高価であったこと,そし てフィルム出力に難があるなどが障壁となり普及度はそれ程伸びなかった。

他連載記事参照

2002/03/09 00:00:00


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