「千夜一夜物語」というとメルヘンチックな内容に聞こえるが、堅い内容の文字フォント に関することである。自分の周辺で見聞した事象が中心になるが、過去50年の軌跡を辿っ て話をしてみたいと思う。独断と偏見でいろいろな開発の苦労話や業界の舞台裏について 「いまだから話せる」式で語ってみたい。
更に日本の文字行政の問題を含めた、デジタルフォントの歩みを雑談的に語りながら現 在でもまだ課題を抱えている日本語フォント環境について、探求していきたいと思う。
変革のページネーションとエレクトロニック・パブリシングのテーマの基に、今後のペ ージネーションの方向性を示した。
プリプレスの専門展示会と銘うっているが、当時の日本語DTPはまだハード/ソフト関 連が未熟で、電算写植/電子組版などの専用システムが幅を利かせていた。そして当時の カラー画像処理の目玉はDTPとCEPS(カラー画像処理システム)の融合化であった。
今年の「Page 2002」はDTP/プリプレスの専門展示会として、14年前に比して大きな内 容の変化をきたしている。つまりテーマが「コミュニケーション再構築」である。
今年の注目することは、印刷機の分野に入る「CTP on Press」の「DI印刷機」が、プリ プレス専門ショーに展示されるようになり、プリプレスからポストプレスまでトータルな デジタルワークフローの構築を示唆していたことだ。
話は変わるが、今日漢字がコンピュータで扱えるようになってから約35年、日本語ワー プロが登場してから約24年である。わずか30年ほどの間にわれわれの文字文化は大きく 変わったものである。
現代はコンピュータという言葉を違和感なく使っているが、コンピュータは米国から入 ってきたもので、当初日本語で「電子計算機」と呼ばれていた。英語に直訳すると「エレ クトロニック・カリキュレータ」となり、「コンピュータ」という訳語は出てこない。 いまでも筆者のコンピュータ関係の古い友人は「電子計算機」の言葉にこだわっている のは面白い現象である。電子計算機が、単に高速で正確に計算する機械だけであったら、 現代のような万能な機械の代名詞である「コンピュータ」と呼ばれることはなかったであ ろう。
中国ではコンピュータのことを「電脳」と訳している。うまい訳し方であると感心する。 電子計算機では言い表せないニュアンスを、わずか2字で表現していることは漢字のもつ 業といえるであろう。
その漢字がコンピュータで扱えるようになってから、日本語処理が大きく変わった。そ してコンピュータで文字を扱うためのフォント関連技術が、現代まで多くの人たちにより 研究されてきたわけである。
いまでは「アウトラインフォント」の言葉が当り前のごとく使われているが、これまで 多くの先人達の苦労があって今日がある、ということを忘れてはならない(つづく)。
■DTP玉手箱■
2002/04/02 00:00:00