近年の出版印刷分野で時々話題になるものに大活字本がある。弱視者とか高齢化向けのテキストや読み物としてのマーケットニーズは確かにある。新聞の字が読みにくくなって、新聞の購読をやめる高齢者はいたので、新聞では1段あたり14字詰めくらいだったのが、次第に文字は大きくなり、1段11字とかになってきた。文庫本なども少し大きな文字に組み直しているものがある。ここには2つの異なる問題がある。
新聞や文庫本はもともと読みやすいように考えて作られたものではないことと、新聞や文庫本はもともとマス市場向けで、弱視者用はマイナーな市場向けであることだ。新聞は第2次大戦と直後の物資のない時代に、限られた紙面になるべく字をたくさん入れるために、字を小さくしてしまったものが、次第に正常化してきたのが前述の大活字化である。文庫や新書も貧乏学生にも買えるように安く作るというのが商品コンセプトであった。
しかし読者のマスのイメージがこれから変るのである。これからの急激な少子高齢化で、国民3人に1人が65歳以上、今の中年女性は平均寿命が90歳を超えるだろうといわれている。これからの印刷物は読者対象のシフトの中で、「1ポイント字を大きくする」とかのレベルではなく、もう一度読みやすさという点で造本設計を考え直さなければならないだろう。そういう意味で、書籍のユニバーサルデザインというのは、まだ始まっていないといえる。
弱視者の問題はもっと複雑である。全盲の場合は国の福祉の枠組みに入っているが、弱視者の定義は曖昧である。国民の平均寿命が男女90歳前後になると、加齢による弱視という人も増えてくるだろう。つまり見え方の状態が年とともに変化していくようになると、検査して、等級を決めて、見合った施策をするとか補助するという、今の福祉行政では対応できないのではないか。つまり高齢化による読むことの困難さについては、福祉政策待ちではなく、情報発信をする側がこういう問題を想定して、健常者も高齢者も弱視者も含めたトータルな対策を考えなければならないということだ。
また弱視の子供の教育の問題を聞いたことがある。全盲の場合は点字教科書の負担は国で行うが、弱視の子供用に大活字の教科書を作っても補助はされず、しかも大活字本ではページ数が多くなってしまい、部数も少ないのでコストが何重にも割り増しになってしまうという。技術的にはオンデマンド印刷でも、画面での大活字ビュアーでも対応は可能になっているが、このようなサービスを社会的に定着させるための何かが欠落している。
また薬の能書や契約書の約款など小さい字で断わり書がいっぱい書いてあるもの、また内容表示などが義務づけられているがデザイン上わざわざ読み難くししているものなど、印刷におけるグラフィックス表現では問題解決には遠いものも少なくない。与えられた印刷スペースに情報が納まらない場合でも、技術的にはホームページやFaxサービスで詳細を知る事ができるようにできるようになった。販売促進という面ではこういう技術を使っているものの、利用者サポートという点では手を抜いているといわれても仕方がない。
同時に、印刷技術に頼ってきた認知・表示・読みやすさの世界は、今までのグラフィックアーツのノウハウを延長させて、日本の社会がこれから必要としている問題解決に向けて努力していないのではないか、といわれても仕方がないのかもしれない。
印刷は将来とも社会に必要なものであり、印刷への要求を満たしていこうとする企業も多くあり、近年は顧客の立場に立ったISOの品質管理、また環境資源問題、などへの取り組みに見るごとく、社会と調和的に経営を進めるビジョンを掲げている。そうであるとすると、上記のようなユニバーサルデザインの問題は、あわせて重要なテーマであるにもかかわらず、品質管理や環境資源問題に比べて著しく業界の対応は遅れているように見受けられる。
関連情報
シンポジウム「迫り来る超高齢社会とユニバーサルデザイン」
〜商品企画・デザイン・表現において問い直すべきこと〜
ひとつの糸口としてのユニバーサルデザイン
2002/07/28 00:00:00