共用品・共用サービス推進のためのアプローチ〜より多くの人が使いやすい製品・サービス〜(その1)
(財)共用品推進機構 専務理事 星川安之 氏
私がトミーに入ったのは22年ぐらい前だと思います。学生時代に小学校時代から親しかった友人に連れられて障害児のボランティアに参加しました。そこの保母さんが「うちの子供たちが使えるおもちゃが少ないのよね」ってポツンと言われ、数学の応用問題を出されたような気がしました。
会社に入る時期だったのでこれを仕事にできないかなと思い、トミーを訪問して面接で障害児のおもちゃをつくりたいと言いました。入社して6カ月後に「ハンデキャップトイ研究室」ができました。故会長の遺訓が「世界中の子供たちが遊べるおもちゃをつくっていきなさい」だったそうで、養護学校の先生ですとか障害を持つ子供のお母さんからの声も役員の耳に届いてそういう部署ができました。
この部署はだれも先輩がいないので1年間いろいろな施設の伝手を伝いながら千人ぐらいの子供たちに会いました。どういうおもちゃで遊びましたかとか、どういうふうに不便さを感じていますかですとか、どういうおもちゃが必要ですか、その当時も自閉症ですとか知的障害、肢体不自由、難聴、ろう、視覚障害等々。障害と言われているほとんどの子ども達に会ったかと思います。
1年間いろいろなおもちゃのアイデアを出して役員には好評だったんですけれども、担当役員から「おもちゃ屋というのはおもちゃを一つつくって初めて意味がある。研究しているだけではおもちゃ屋の意味はない」と厳しく言ってくれた人がおりまして、その言葉を励みに2年目からはおもちゃ開発を手がけました。
1年目の終わりに日本点字図書館にたまたま足を踏み込んだところ、点字がついたトランプや、蓋を開けると針が触れる腕時計というようなものがいくつか並んでいて、まずは目の不自由な子ども達を対象にすればおもちゃが作れるのではないかと思いました。
東京都の人に20人の目の不自由な子供たちを紹介してもらいまして、今まで遊んだおもちゃはどういうものですか、どこが使えなかったですか、どういうおもちゃが欲しいですかという質問三つを20軒の家庭に行いました。20軒とも同じ答えだったのが二つありまして、一つは書いてそれが浮き出てまた消せるという小さな黒板が欲しいと言われました。もう一つは音の出るボールであります。鈴の入っているボールは世の中にあったんですが、動きが止まってしまうと音も止まってしまって、見えない子供たちの遊びも止まってしまうと言われました。おもちゃについて,それで遊ぶ子供たち本人に聞くのが非常に難しく、お母さんに聞くというようなことを繰り返しました。
まだICのチップは非常に高かったんですが30秒メロディが出るICチップを中に入れましてスポンジのタオル地で包んで「メロデーボール」という名称で3,200円で発売をしました。2年間で3,000個買っていただきました。今視覚障害の18歳以下の子供たちは約5,000人で、そのうちの3,000個を2年間です。おもちゃの場合100〜200万個売れて初めてヒット商品と言えるかと思います。そんな中での3,000個はとてもヒット商品と呼べませんが会長の遺訓ということもありまして、あといくつか視覚障害の人たちのおもちゃをつくりました。
それから間もなくしてプラザ合意の円高がやってきました。1985年前後だと思いますが会社の大規模なリストラがあり、この部署も工場も閉鎖という悲惨な状態の時に、実は苦肉の策の結果として共用品が生まれました。
ハンディキャップトイ研究室は解散をして私は大部屋に移りました。自分で開発する玩具以外にもいろいろなおもちゃがつくられているのが毎日見られるような状態になりました。隣の先輩がつくっていたテトリスを盤ゲームにしたものを見て、このままでは見えない人にはとても使えないけれどもそのサイコロ状のところを触ってわかるような印にすれば見えない子供でも分かるんではないかと彼に言うと、「そんなことなんでもないからやろうよ」ということになって、そのシールに穴を開けて見えない人でも分かるようにしました。
初めて会社の中に見えない人たちを招いてモニターをしてもらうことで、社内は大騒ぎになりました。点字ブロックは敷かなくて良いのか?トイレはどうだ?今まで障害がある人に会ったことがない当時の人事部長は非常に心配をしていましたが、数年後、部長は会社の中に見えない人聞こえない人を雇用しようと率先して動いてくれました。
このテトリスは先程のメロディボールの3,000個とは違って最初から20〜30万個つくりながら、日本、イギリスで販売しました。視覚障害者用ということではなくて一緒に使えるものの第一号だったんです。一般のおもちゃ屋さんで他の玩具と同じようにパッケージに入って並んでいると見えない人が使えることがまったく分からない状態なので、パッケージに何か印をつけようということになりました。
見えない子供たちに一番親しい動物、盲導犬のマークをパッケージに表示して、これは盲児専用用のおもちゃではないけれども目の不自由な子も一緒に遊べることを表し、耳の不自由な子供も遊べるおもちゃにはウサギのマークをパッケージに表示しようということになりました。これがトミーだけのマークになって、他の会社が違うマークをつけて混乱をしてしまうことも考えられるので、日本玩具協会に話を持って行き、業界全体の活動にして、バンダイもタカラもどこの会社も付けられるような提案したところ、即刻理事会にかけていただきまして了解となりました。
最初そういう商品は1年目は2社から7点だったのが、2年3年経つうちに今では26社ほとんど大手メーカーは参加し、毎年300〜400という商品がパッケージにこのマークが付いております。
1990年に始まったこの活動は,2年後に世界の玩具協会の会議で、毎年いろいろな国から自分たちのやっている活動を報告もしくは提案をするんですが、この活動を日本から提案をしたところ最初にイギリス、次にアメリカ、その次にスウェーデン普段は福祉等が輸入してくれる国が真っ先に手を挙げてくれまして、この活動を今でも一緒になってやっております。一緒になってというのはその基準をつくるというようなことと、できた製品を選定するということ、それを多くの子供たちに知らせるためにカタログをつくる、展示会を開くというようなことです。
2002/8/22 シンポジウム「迫り来る超高齢化社会とユニバーサルデザイン」より
「共用品・共用サービス推進のためのアプローチ〜より多くの人が使いやすい製品・サービス〜 」(財)共用品推進機構 専務理事 星川安之 氏 から要約。(文責編集)
2002/09/14 00:00:00