夏休みは有意義でしたか
■第42回テーマ(2002年9月号)
夏休みを有意義には理想,現実はスケジュール消化。
夏休みを有意義に過ごすというのは,欧米のように2週間から3週間目的をもって休まないことにはとてもできない。
当社の場合は,連続して1週間休んでよいことになっているが,小生の場合は3日間連続で休んで,後は1日だけ休暇を取った。
3日間はワイフと大雪山の登山ツアーに行ったが天気が悪く,不完全燃焼であった。ただ,最近は,夏休みにワイフと軽い登山かハイキングに行くのが2人の唯一の共同行為(?)だから夫婦の絆の確認という点では有意義といえるかもしれない。実際に山へ行くと中高年の夫婦も多い。
もう1日はお盆に休んで家族のためのいろいろな役所の手続きをまとめて行った。役所もやや閑散としているし,申請や相談に来る人が少ないので,いつもなら並ぶようなややこしい手続き・相談も比較的スムーズにでき,何カ所かで数件分の手続きを1日で済ますことができた。お役所の手続きの穴場とでもいえましょうか。
こんなわけでけっこう忙しく日程をこなしているので,ゆっくり充電などというような有意義な休みには程遠い夏休みです。
(商業印刷 常務取締役)
私の夏休みは少々豪華ですが,毎年ハワイのマウイ島で妻と1週間過ごしております。
何もしないのです。毎年同じホテルに宿泊し,朝5時半に起床し散歩します。その後,お気に入りのプールサイドや部屋のラナイで読書をします。ビジネス書あり文学書ありです。今年は『ゴール2』を読みました。
1年に1度何もしない時間をもてる幸せに感謝しながら,時間を止めます。この「止める」ことが仕事や人生そして会社の経営に関して,とてもプラスになっていると感じております。
この夏休みは1年間の最優先事項で私の正月のようなものです。
(東京・利根川印刷 利根川副社長)
久しぶりに田舎に帰り,親戚と会った。景気の厳しさはあいさつ代わりの言葉として口々に出てきたが,
驚いたことがある。
大人はもちろん,子供も年寄りも携帯電話を持って連絡し合っている。私の親戚が特別メカ好きかと思いきや,近所の店や町で出会う人たちも携帯電話を所持しているようである。その普及率の高さに驚く限りで,恐れすら感じた。
また,
農家のパソコン普及にも驚いた。企業人の自分の周りには,当然ながらパソコンの普及は高いものがあるが,農家のパソコン普及もなかなかであり,さらに
インターネットへの接続も行っている。決して農家が情報化が遅れていて当然だといっているわけではないが,遠い存在であると認識していた。
情報産業の一翼を担うと自負してきた私たち印刷業にとって,この携帯電話やインターネットの普及をどのように見たらいいのか。デジタル化された情報の端末としてすべてつながるこれらの機器。
情報コミュニケーションの根底を揺るがす大変革は,まだまだすごい波が来そうで,怖いようでもあり,楽しみでもある。この波に飲み込まれ海の藻屑となるのではなく,波に乗り,突き進んでいきたいものだと考えた,今年の夏休みであった。
(防府・大村印刷 浜田泰)
7月初旬,
兼高かおるが世界で一番美しい街と評した「パース」から電車で30分の「フリーマントル」を訪れた。
忘れもしない3月3日雛祭りの日だった。娘からワーキングホリデーで1年間オーストラリアに行きたい,5年間の添乗員生活で計画的に資金は調達済み,了解だけしてほしいと言われた。
年頃の娘がと一瞬戸惑ったが,子供の人生設計を信頼し4月に送り出した。
その後娘の生活も落ち着き,このチャンスに家族で訪問することになった。
オーストラリアの入国審査は厳しく食料品は一切持ち込めないとの情報が入ったが,トランク一杯のレトルト食品や乾物類をだめなら捨てる覚悟で持ち込み,
身振り手振りで子供へのお土産であると訴えた。
入国審査は全員がトランクを開けさせられ時間が掛かり,最後に並んだわれわれは心臓が踊る。結果はチーズいか以外すべて大丈夫だった。良い休日をとチーズいかも手渡された時,世界は一つ人類皆兄弟とばかり嬉しい旅のスタートとなった。
フリーマントルはパースから西に20km離れ,インド洋に面した港街で静かなたたずまいだった。19世紀末に造られたコロニアル調の古い建物は時間の流れを忘れさせてくれる。1987年に開催された世界的なヨットレース,アメリカズ・カップがこの地を観光地として育て上げ,多くのレストランを開店させたそうだ。オーストラリアは食事がまずいと聞かされていたが,シーフード・中華・ベトナム,どれを食べてもおいしく安い。
無料の市内循環バスで無料の海洋博物館・美術館・マーケットを散策し,地ビール工房の新鮮ビールを片手に,インド洋に沈む夕日をのんびり見つめ,至福の一時を過ごす。
次回はワイルドフラワーとスワン川上流ワイン醸造地帯を巡る「ワインクルーズ」や「オリエント・エクスプレス」での鉄道旅行も夢みている。
(福島・タカラ印刷 林常務)
私は
これまで夏休みといってまとめて取ったことはありません。
私の会社は,夏休みを7月から9月までの3カ月間に3日取れるようになっていますが,
会社自体が暦どおりに動いていますので,皆が調整し合ってお互いが重ならないように気を遣って取っていました。
管理職になれば,特に取りにくく,部下優先になります。ここがサービス業のつらいところです。浜松にいた時は,地元出身の人が多いために,地域の事情もあってか,お盆は皆一斉に夏休みを取りますから,私は開店休業状態の事務所でお留守番していました。
これが現役時代の私の夏休みの実体でした。
さて,
現役を離れてかなり自由になった今は? といいますと,やはり同じような夏を過ごしています。いつの間にか人が大勢出る時は出ない,と決心しているらしく,その一方で,渋滞の高速道路に冷ややかな眼で快哉している自分がいるのです。
8月のある日,学生時代の気のおけない仲間が料亭に集まりました。
入学時の事情から年齢に2,3歳の違いはあっても卒業が同期ということで,今まで年齢の差を全く気にも止めませんでした。ところが,この年齢の差が,60歳前後になって大変大きいことに気づかされました。
もう定年とまだ現役の違いがまざまざと仲間の心を複雑に揺り動かすのです。そして共通している最大の関心事は「今何をしているの?」であった。そして次の関心事は,年金であった。昔話に花が咲くと,だれ彼の消息もまた,関心事であった。
あの人の消息を知りたくもあり 知りたくもなし 夏休みかな。
(田中昌六)
2002/10/07 00:00:00