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活字書体から写植書体、そしてデジタル書体(12)−フォント千夜一夜物語(45)

前回で、明治から昭和初期までの主流といわれた「築地明朝」と「秀英明朝」を紹介したが、「築地明朝」活字は、東京築地活版が1938年(昭和13年)に解散したため自然消滅した。しかし「築地明朝」という代表的明朝体の固有名詞は、明朝体の歴史に名を残している。

一方「秀英明朝」活字を保有する大日本印刷や、同業の凸版印刷、精興社など自社鋳造の印刷企業の他に、岩田母型やモトヤ活字、日本活字など著名な活字母型販売企業が、各社競ってベントン彫刻機を導入し、積極的に改刻を進めた。

自社母型を保有する印刷企業は、自社書体の流失を嫌うため営業政策上活字・母型販売を行っていなかった。そのため活字鋳造能力がない中小印刷業は、活字買いに活字業者に日参したものである。使いが門前に列をなして、当時は活字が飛ぶように売れたという。

そのなかで1号機を導入した大日本印刷は、その後2台を追加導入しいち早く改刻に着手した。1949年(昭和24年)頃のことである。他社の改刻はともかく、秀英体の改刻の経緯について若干触れてみよう。

5号(10.5ポイント)明朝が戦前の本文サイズであったが、戦後は本文用として8ポイント、9ポイントの使用頻度が高いことと、母型の劣化が激しかったため、まず8ポイント明朝の制作を優先した。つまり機械彫刻による「秀英明朝」の改刻である。

●ベントン母型の長所と短所
ベントン母型の制作工程は、まず原字設計から始まる。つまり活字書体の版下作成である。電胎母型の種字彫刻に似ているが、技術的にはまったく異なる方法である。

まず紙の上に、一辺50ミリの正方形を用意し、その枠内に文字を設計する。そして最初に鉛筆でデッサンし、その後墨入れを行う。道具は烏口と定規、雲形定規、筆を用いて塗り込み仕上げる。

種字彫刻は文字を逆向き(裏文字)に彫るが、機械彫刻の原字は正向きにデザインすることができる。このことは技術的や品質的にも、また能率的にも大きな違いとなって現われている。

それに比して種字彫刻は、いかなる名人が拡大鏡(ルーペ)を用いて彫ったとしても、小サイズの彫刻は至難の業である。例えば8ポイントは一辺2.8ミリであるから直線、曲線などの線幅、線間、エレメントなどの微妙な表現や調整は容易ではない。

したがって、50ミリ角の上にデザインする方が技術的に容易であり、正確にデザインできる。これらの要素が母型および活字品質の向上につながったわけである。

これらの版下作成方法は多くの利点はあるが、一字づつ仕上げていくわけであるから、数千字をデザインすることは長期間かかる。しかし種字彫刻と違って、作業の分業は可能であるため、原字版下制作時間は短縮できるわけである。

原字版下を基にして、写真製版法により文字パターンを作成するわけである。パターンはジンク板で作り、文字部分が腐食され凹型になっている。

このパターンを彫刻機にセットし、その凹部分をフォロアという針で内側をなぞることで、パンタグラフ式に所定のポイントをマテ材に彫刻される。しかしこの方法が書体デザインの微妙な表現に影響することになる。(つづく)。

※参考資料:「アステ」リヨービイマジクス発行、「明朝活字」矢作勝美

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2004/05/01 00:00:00


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