◆(株)泰明グラフィクス 情報企画室室長 斉藤 弘
私がDTPエキスパートの試験を受けたのは,1994年に行われた第1回。気づけば既に10年が経ってしまいました。広大な出題範囲と数少ない参考書(その当時は問題集や試験対策書籍など皆無)に悪戦苦闘しながら勉強し,何の自信もないまま試験当日を迎えました。
試験そのものは何をどうやって解答したのか覚えていないほど切羽詰まった状況だったのですが,答えが見当もつかない問題で鉛筆を転がしたことをよく覚えています。
結果的には何とか合格することができ,多少の自信も付きましたが,この時はまだDTPエキスパートが認知される以前の話で,後になってこんなにも周りに影響を与え,自分の人生をも変えるものだとは思っても見ませんでした。
当時,PowerMacintoshが発売されたころ,フォントがまだ選べるほどなかったころ,4色分解のフィルムを出力するのに半日以上掛かったころ,「DTPエキスパートなんて机上の空論にしか過ぎない」などと偉そうに考えていたころ。ある日某所からセミナー講師の依頼がありました。最初は印刷とMacintoshの話だったと思いますが,Macの話であれば何とかなるかと,迷った揚げ句にこのような私で良ければとお受けさせていただきました。
今考えると怖いもの知らずというか何というか,恥ずかしくないようにとそれなりに復習もしましたが,DTPに対する絶対的な情報量が少なく,また,難しい話をかみ砕いて話すスキルもあるはずがなく,JAGATから送っていただいたレジメを参考にしたにもかかわらず。パソコンを使うためにプログラミング言語の話をするような,そんな話に終始していたように思います。
この時初めてDTPエキスパートという肩書きがすごく重いものだと実感して,真の(JAGATが想定する本当の意味で)DTPエキスパートになるべく,いろいろな勉強を始めたような気がします。
ありがたいことに,DTPに関連するいろいろな知識を習得したり,新しいソフトを使うことは私にとって非常に楽しいことであり,「勉強」と意識せず済みました。そうでなければこんなにも長い間続けることはできなかったでしょうし,傍目には遊んでいるようにしか見えない私に理解を示してくれた会社に今でも感謝しています。
時代が進むにつれ,机上の空論と思っていたことがリアルタイムに具体化し,自分の会社にも転機が訪れ,設備の導入,運用と,「認証試験を受けていなかったら何をよりどころにできるのだろう」と思えるようなことが次々に起こり始め,それを発端につたない知識を総動員しての悪戦苦闘が始まりました。
とどまるところを知らないトラブル,写植から急激に変わっていく版下作成の現場,スタッフは入れ替わり,印刷を取り巻く世界が目まぐるしく変わり,対応に追われるままあっという間に3年,5年が過ぎ去って,自分の立場は単なるオペレータから経営者へと変わっていきました。
立場が変わると見えるものも変わるもので,今まで究極の資格試験だと思っていたDTPエキスパートが,単なる入り口に過ぎない,出発点だということが何となく分かってきました。そして,DTPエキスパートが生まれることによって起こる悲劇も…。
以前はまともにDTPが運用できるというだけで付加価値が付き,差別化もでき,なおかつコストの削減も行えたのですが,その立場に安穏としていられたのは,ほんの1年くらいのことで,DTPエキスパートの合格者が増えるのと反比例して印刷の価格は坂道を転がるように下落していきました。製版価格はあっという間に10分の1以下になり,印刷単価も半分に,まさに悪夢です。
受注価格が安くなるということは経営者にとってとてつもなく恐ろしいことで,私は何度も「みんなDTPエキスパートにならないでくれぇ」と心の中で叫んでいました。
DTPエキスパートが悪いわけでも何でもないのですが,どこかに責任をなすり付けたいのも人情で,「DTPエキスパートが増える」→「みんながDTP作業のプロフェッショナルになる」→「印刷は安いところに頼む」→「うちの会社も安くしないと仕事がこない」の図式で,追い打ちを掛けるように業界にも不況の嵐が吹き荒れました。
こんなもんもんとした日々を過ごしていたある日,たまたま友人に紹介されたクライアントからの受注でまたもや転機が訪れました。会社の転機というより自分自身の転機だったのですが,この時請け負った仕事によって「印刷」という仕事の本来の目的とDTPエキスパートが出発点だと感じたことの答えがようやく見え始めたのです。
「安くなったと嘆いていても仕方がない」「毒を食らわば皿までも」「行き着くところまでいかないと差別化なんてできっこない」,そんな気持ちで臨んだ新規受注でしたが,いくつか仕事をこなすうち,「いかにクライアントの売り上げを伸ばすことができるか」「いかにクライアントに喜んでもらい,さらにそのクライアントのお客様に喜んでもらうか」という,当たり前な商売の根っこの部分に行き着きました。
結局,自分の会社の売り上げを上げることは,クライアントの売り上げに直結していて,クライアントの売り上げは,クライアントのお客様が喜んでお金を払ってくれることにほかなりません。
この商売の基本とも言えることに十数年も仕事をしていてやっと気づいたという体たらくですが,この気づきはその後の仕事への取り組みに大きな影響を与えました。
現在のDTPエキスパートのカリキュラムは多岐にわたり,さまざまな未来の方向性と現状の情報とが絡み合っています。よく読んでみると,カリキュラムの一つひとつが印刷会社としての常識に裏打ちされており,クライアントの視点から見れば,印刷会社なのだから知っていて当然「当たり前」のことがほとんどです。「当たり前」のことですから,それで評価されるなんて独り善がりも甚だしく,DTPができるから仕事につながるなんて,最初から大きな勘違いでしかなかったのです。
クライアントから仕事を受ける前に,自分が(自社が)どれだけそのクライアントの役に立てるのか,それを考えた時,一つの出発点であるDTPエキスパートが,少しだけ(でもあるとないとでは雲泥の差)クライアントとわれわれとの距離を縮めてくれるものだと思えるようになりました。
当社は総勢10名ちょっとの小さい会社ですが,5名のDTPエキスパート認証スタッフを置き,柔軟な発想と個人スキルを生かした営業形態としています。しかし,取り巻く現実は非常に厳しい状況が続いています。
この状況を打開することは一朝一夕にはいかないと覚悟を決めていますが,「当たり前」のことをすんなり受け入れ,それを出発点として考えることで,クライアントと密接なつながりをもち,クライアントの利益を最大限に考えることで,解決の糸口がつかめそうな気がしています。
出発点はほかにもさまざまなものがあると思いますが,これほどまでに明確に体系化されて取り組みやすいものはDTPエキスパートを除いてほかになく,現在では毎回数千人の受験者を要する実績がその多くを物語っているように思えます。
クライアントとの橋渡しとしてDTPエキスパートがこれからも大きな意味をもつことは間違いないと思います。しかし,経営者にとって常にその先を考えなくてはいけないのも事実で,欲を言えば,JAGATにはさらなる極みを目指して,「よりもうかる,もうけることのできる営業・経営認証試験」をぜひ作っていただきたいと,スタッフ一同切に願っております。
(JAGAT info 2004年5月号)
2004/05/27 00:00:00