◆中日本印刷 eコミュニケーション事業部事業部長 宮田 陽一
DTPエキスパートチャレンジまでの道程
そもそもアナログな思考と感覚の私自身がそれまで歩んできた道程は,グラフィックデザイン出身の私がいったん「現場を知る」をテーマにプロセス製版から版下・アナログ写植・電算写植の経験を経て業界をさまよってきたものである。経験をする幅を広げるほど非効率的なプリプレスの工程をもどかしく感じ,その経験が「何もかもを自分の責任でやってみたい」という欲求を増幅させた。こんな経緯から,DTPは「何もかもをすべて自分の責任でこなすことのできる魔法の道具」という魅力的な像を描きながらチャレンジが始まった。
1992年,ずいぶん会社にムリを言ってMacDTP環境を導入してもらった。2台のMacを8人のデザイナーで取り合い,時差出勤など工夫をしながら運用を進める中で,社内では開拓者としての責任感からいつしか「魔法の道具」を使うデザイナーではなく出力センターと会社を行き来する調整役&トラブルシューターとして日々を過ごすようになった。現在のDTP環境に比べれば,トラブルシューティングなどあらゆる面で情報は少なかったし,時間の経過もアナログ工程のスケジュールが主流だったのでのんびりしていたがうまくいかないことが多く必死だった。「デジアナ対応」などと言って複合技で危機も乗り越えた。こんな毎日を繰り返す中,出力センターの人たちと仲良くなりハイエンド出力のノウハウとデータ作り・スキャニングなど随分社外との交流によって勉強させてもらった。
DTPエキスパートチャレンジと合格で得たもの
専門誌などに影響を受け,当時の日々に満足せず,「さらに前に進みたい」「もっとスピードアップしたい」と思いながら,名古屋では圧倒的に情報量が少なく社内では孤立しもんもんとしていたころ,DTPエキスパート第1期募集を知った。
これもまた全く情報がない。今でこそさまざまな書籍・問題集・講座など環境が整っているし,分からないことを尋ねる環境もあれば経験できる環境もある。たしかあったのはカリキュラムのみ。「前に進むか? 立ち止まる(後退)か?」そう自分を励ましチャレンジを決意した。これをきっかけに,ありったけの社外の人脈と社内の印刷おやじ(先輩や工務・現場の熟練者)に片っ端から分からないことを聞いて回った結果,後に多くの人たちが良き理解者となりDTPエキスパート育成・拡大の力となった。
無事合格でき外部との交流の機会も増え,情報交換や人脈拡大のチャンスを作るきっかけができた。顧客など,あいさつ(名刺交換)の場では必ず「このDTPエキスパートって何ですか?」と話題になり,その説明や会社の取り組みを紹介し信頼を得たり同行した営業マンや上司が過剰にPRして大きな期待をしていただいたりするなど,業界のデジタル化が進むにつれ私一人では負いきれないほどの期待や要望が内外から寄せられるようになった。また,JAGATの紹介で専門学校から特別講義の依頼を何度かいただき,教えること・伝えることでのいい経験もできた。この経験が後に社内でのDTPエキスパート育成・拡大にも生きた。
DTPエキスパート育成と拡大
外部との交流が盛んになり自身の向上とは裏腹に社内ではなかなか拡大のきっかけをつかめないまま(DTPエキスパート拡大への理解と受験希望者が現れず)黙々と更新試験を受け維持をしてきた。またしても孤独感を感じていたそんな折(1期合格から5年経過),組織の変更に伴い2名の新人とこれまで現場で育ててきたDTPに従事する数名のメンバーを集めその精鋭たちへの期待を語り対話をし,6名の次期挑戦(受験希望)者を会社に推薦し猛烈な勉強会を展開した。早朝勉強会と銘打って毎日朝8時から1時間,受験日までの約2カ月間,時には夜間や休日も利用してガムシャラに勉強した。脱落者もなく6名全員が受験できた。結果,5名合格,残念ながら新人1名を不合格にしてしまった。よりによって新人を……,申し訳ない思いでいっぱいだったが,後にその挫折感から本人の努力により優秀な人材へと育っていった。その後,14・18・20期と勉強会が夏の恒例行事(早朝勉強会は夏しか耐えられない)となって合格者が次回の講師となり合格者を生み…この育成サイクルができ40名を超えるまでになった。順調に見えるがここまでくるのに随分エネルギーを使った。成果として大きかったのは,勉強会を通じて部門を超えての交流が活発となり日常業務でのコミュニケーションが向上したことや,拡大のきっかけとなった最初の合格者を始め中核となって協力してくれた7名が後の育成サイクルの中ではリーダー的存在となり,ほかのメンバーに教えることで再勉強でき大きく成長したことである。
「自身が受験時に勉強した時よりも,ほかのメンバーに教えるために勉強をしたことがさらに理解を深めた」「教えながら一緒に疑問や問題を解決する中でやっと分かった」と育成に関わったメンバーは語る(それくらい受験時は覚えることに必死だったのだろう)。
露呈した問題点
「産めや増やせや」で急速に拡大した結果,いいことばかりではなく問題点も浮き彫りとなった。人事制度や組織体制などの環境変化により「社内におけるDTPエキスパート(育成)の魅力」に陰りが生じた。拡大初期に整備した暫定的な制度として「受験料・更新試験料の会社負担」「毎月の給与に手当を支給」などがあるが,これを「社内におけるDTPエキスパートの魅力」と勘違い(一部のメンバー)させたまま拡大したことによって「合格さえすれば…(喉元過ぎれば…)」となり,次期育成への役割を忘れ育成サイクルから外れたメンバーと拡大の中核となってがんばっているメンバーとの間で対立が生まれた。合格しながらも育成サイクルに理解を示さず批判的になったり,残念ながら不合格となったメンバーが次期チャレンジへのエネルギーを社内運営の批判に向けたり,一度もチャレンジしないままそのネットなどの悪報をもち出して批判するなど,拡大の規模が大きくなるにつれ中核となるメンバーの負担を大きくする結果となった。これらの問題点から「社内で勉強会を進めDTPエキスパートを拡大する目的」と「進め方」について考えさせられた。「社内コミュニケーションの活性」や「コミュニケーションインフラの整備」として「勉強会を通じた育成サイクルや情報共有」「一定のレベルの必要な知識をもってコミュニケーションが図れること」を目的とし,その効果が「社内におけるDTPエキスパート(育成)の魅力」としてきた初期の取り組みを再確認することとなった。
新たな原点と再スタート
人事制度や組織体制など環境変化を機に「DTPエキスパートの今後の取り組み」についても検討がされた。これまでの経過や社員の声を参考に「各自の自主性を基本」と会社からの方針が打ち出され,「社内コミュニケーションの活性」や「コミュニケーションインフラの整備」から遠ざかった感があった。しかし,手当をえさに拡大した時とは違う「本物の受験希望者」が出てきたことも事実で,そのメンバーと任意で集まって育てようと真剣に勉強に取り組み意見交換する現DTPエキスパートの活動こそ,本当の意味で「社内におけるDTPエキスパート(育成)の魅力」としてきた初期の取り組みに通じる姿となった。いくつかの失敗(経験)により悪戦苦闘の中から再び歩み出したDTPエキスパートへの取り組みが新たな原点となって,次期受験と有志とともに再スタートを切った11年目の夏である。
(JAGAT info 2004年7月号)
2004/07/15 00:00:00