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閃光の芸術−幻のロシア絵本

「紙と印刷技術は,イラストレーションの様式とふしぎな調和をしていたし,さらに,それらは実に新鮮なタイポグラフィと編集構成をもって作られていた」と,同時代に東京のデザイナーとして活躍していた原弘(はら・ひろむ:1903-86)は,ロシア絵本を手にしたときの印象を,こう述懐したという。

革命後,1920年代のソヴィエト(ロシア)では,1930年代後半の国家統制が行われるまでのわずか10年ほどの間に,ロシア・アバンギャルドのひとつの試みとして,子供向けの絵本でありながら,自由奔放なイラストレーション,斬新な色使いや発想による新しい絵本が続々と誕生していた。

絵本のジャンルは,身近な生活習慣について書かれた生活絵本や,数を覚えるためにつくられた知育絵本,あるいは,本のなかに紙の玩具の型紙が描かれており,切り取っておもちゃとして遊ぶことができる工作絵本など,さまざまである。

新生ソヴィエトの理想に燃えた若い芸術家達の作品は,原画にリトグラフの手法を用いるなど,繊細でありつつ原色をふんだんに用いた鮮やかな色彩と温かみのあるタッチで,それまでの絵本の常識を打ち破るものとして,パリやロンドンでも話題になったという。

革命後のソヴィエトでは,児童教育が国家的な急務とされており,子供のための劇場や図書館が次々と設立されたほか,1922年にはピオネールと呼ばれる,共産主義に基づく10歳から15歳までの少年少女のボーイスカウト的な組織が創設され,活動が熱心に推進されていた。

このような背景もあり,家庭や学校といった身近な場所で生じる出来事を通して,基本的な生活習慣や世の中の仕組みを教える生活絵本は重要な役割を担っていた。

サムイル・マルシャークの詩とアレクセイ・パホーモフの絵による「つくり名人,こわし名人」では,男の子が材木を用意して食器棚や額縁などを作ろうと挑戦するが,結局つくれずに,最後には壊してストーブの薪にしてしまうという話。右ページにコマ撮り風にあしらわれた絵が,男の子が悪銭苦闘している様子を楽しげに表現している(図1)。

動物を主人公にした童話は世界中にあるが,ロシア絵本においては,動物を擬人化することによる講話的な手法は用いられていない。大学で自然科学を学んだヴィターイー・ビアンキは,「動物のことなら任せて!」で,ストーリー展開がなく,動物たちが次々に登場する絵づくしの手法により,新しいジャンルを確立した(図2)。

一方,ロシア通信社で民衆向けに政治宣伝のポスターを描いていたウラジーミル・レーベジェフは,単純化した人物表現を得意とする手法により,躍動感あふれる絵本を数多く生み出した。詩人のマルシャークとのコラボレーションによる「サーカスがやってきた!」(図3)は,最高傑作と言われた。

しかし,1930年代の文化統制に基づく弾圧により,彼らの芸術が再び輝くことはなかったのである。

東京都庭園美術館では,2004年9月3日まで「幻のロシア絵本1920-30年代展」を開催し,ロシアで失われていた1920-30年代の絵本を,画家・吉原治良(よしはら・じろう:1905-72)所蔵の90冊の原本と,原弘が所蔵していた40冊に加え,柳瀬正夢,小西謙三のコレクションを加えた合計約250冊を展示するとともに,復刻版の販売も行っている。

参考:「幻のロシア絵本1920-30年代」芦屋市立美術博物館・東京都庭園美術館企画監修,淡交社発行

●東京都庭園美術館(東京都港区白金台、最寄駅はJR目黒)。開館時間は午前10時から午後6時(入館は午後5時30分まで),原則として第2・第4水曜休館。

http://www.teien-art-museum.ne.jp/

1.「つくり名人,こわし名人」

2.「動物のことなら任せて!」

3.「サーカスがやってきた!」

2004/08/08 00:00:00


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