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活字書体から写植書体、そしてデジタル書体(25)― フォント千夜一夜物語(58)

今まで活字書体や写植書体、そしてデジタル書体のなかで、いろいろな伝統的書体や創作書体を紹介してきた。多くの書体はメイドイン・ジャパンであるが、ここで外国製のユニークな書体を紹介したい。

1996年に第2回「新しいタイプデザインの可能性」と題して、ダイナラブセミナーが京都で開催された。台湾のダイナラブ(現ダイナコム)が、日本法人ダイナラブジャパンを設立して3年目のことである。ダイナラブは、台湾のフォントメーカー、ソフトウエアメーカーとして知名度が高かった。

当時ダイナラブのフォントテクノロジーは、電子機器メーカーの間ではその名を知られていた。そこで当時のシャープが、自社のワードプロセッサ「書院」にダイナラブのアウトラインフォントを搭載し話題を呼んでいた。初期のワープロの多くはドットフォントが使われていて、アウトラインフォントを使ったのは画期的なことである。

今ではアウトラインフォントは、当り前のフォント・フォーマットになっているが、当時はアウトラインフォント生成技術やフォントメモリ容量、フォントラスタライザなどの問題があって、アウトラインフォントは優れていると判っていても、いろいろな技術的問題が介在していた。

ダイナラブは、独自の革新的なフォントテクノロジー「ストロークベース・フォント方式」とフォントラスタライザを開発し、漢字アウトラインフォントを制作していた。「ストロークベース・フォント」とは、漢字の「ハライ」「トメ」などを数百のエレメントに分解しアウトライン化する。そしてこれらのエレメントを各文字の字形に基づき組み合わせて、文字を生成するというテクノロジーである。(図1参照)

このテクノロジーの大きなメリットは、フォント制作の生産性が数倍に向上し、加えてフォントデータ・メモリの容量は、書体により異なるが、漢字数千字で約1MBと少ないことである。

●インターナショナル日本語書体の登場
1996年にダイナラブは、スペシャルパックとしてオリジナルフォント15書体パックを発売した。中国の伝統的に著名な書家の筆書系書体を日本語用にアウトラインフォント化したものである。

なかでも「痩金体」や「魏碑体」、「唐風隷書体」、「流隷体」、「康印体」など、今までにないユニークなフォントを日本市場に展開している。ここでは特にユニークな「痩金体」について紹介してみよう。

「痩金体(そうきんたい)」のデザインは、基本の漢字を中国人デザイナーによるデザイン、そして平仮名・片仮名のデザインを日本人デザイナー、また欧文フォントを欧米デザイナーによりデザインされた、三国合作のインターナショナル・フォントである。(図2参照)

漢字デザインは、中国人デザイナーであるダイナラブのフォント制作マネジャー「サミー・オー」によりデザインされたもので、そしてその漢字デザインにマッチした平仮名・片仮名のデザインは、日本の写植書体のタイプデザインで著名な「字遊工房グループ」のデザインによるものである。加えて欧文フォントは、世界的に著名なタイプデザイナーである「マシュー・カーター」に委嘱してデザインした。(図3参照)

「痩金体」は、中国の宋時代の西暦1100年に即位した「宋徽宗(そうきそう)」皇帝の作である。宋徽宗は歴代皇帝の中で、書道の堪能者として有名な皇帝である。

「痩金体」は、線が細く、長く、そして竹の節のような強い筆勢をもち、筆劃の最後を強調する勁烈(けいれつ)な線質と剛健な表情をもつユニークな書体である。

「痩金体」は、元来「痩筋体(そうきんたい)」という名前がつけられていたが、皇帝の作ということから、人々は皇帝を尊重して、「筋(きん)」を同じ発音の「金(きん)」に入れ換えたといわれている。中国の「閨中秋月詩帖」は「痩金体」で書いた文書として有名である(つづく)。

図1 ストロークベース・フォントの例



図2 インターナショナル・フォント 上から漢字デザイン(中国)、かなデザイン(日本)、欧文デザイン(米国)

図3 欧米デザイナーによる欧文フォント

※参考資料:ダイナラブのフォント関連資料


【参考】プリプレス/DTP/フォント関連トピックス年表
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フォント千夜一夜物語

印刷100年の変革

DTP玉手箱

2005/01/01 00:00:00


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