「やったもん負け」から脱却するために

掲載日:2017年6月22日

組織や会社は不公平な部分もあるが、自信と覚悟をもって仕事の楽しさを知ると道は開ける気がする。

「やったもん負け」が常態化してはいけない

「やったもん勝ち」「言ったもん勝ち」は、リスクを負いながらもパイオニア精神とリーダーシップを発揮して新規ビジネスを立ち上げたときによく聞く言葉である。この場合はほめ言葉であり、彼らこそ先行者利益を享受できるといわれている。

しかし、それとは全く逆に「やったもん負け」「言ったもん負け」ということもよく聞く。自分の仕事の範囲を超えて、横断的なプロジェクトを任されるような人が経験することである。なにか建設的な意見を述べたら「じゃあお前がやれ」と丸投げされる。成功して当たり前で、失敗したら経営者や上席者から徹底的に責任を問われたり、「おれは聞いていない」「最初から無理だと思っていた」などと言われるのが関の山である。

「やったもん負け」が長く続く組織に明るい未来はありそうにない。それを目の当たりにすると、挑戦しない、リスクを避ける、余計なことはしない、だからミスをしない、という究極的な指示待ち族が生まれる。そして、ほかのことは知りません、それは私の仕事ではありませんという人が増えてくる。やらなくても給料は下がらない。上司からにらまれない。だったらやるだけ損だという論調である。

また一度失敗すると無能のレッテルをはられるという恐れが出て、何もできなくなる。結局は、決められたルーチンの仕事をこなすだけの人が上司や経営者の顔色をうかがいながら仕事をすることになる。平穏無事に何事もなく身を潜めて時が過ぎるのをじっと待つ。……これは処世術の一つとしては、あり得ると思うが、組織にとっても本人にとっても不幸なことではないか。

チャレンジする風土とモチベーションの関係

三菱総合研究所の松田智生氏によれば、やったもん負けの大きな要因として「減点主義」「マイナス思考」などの構図が挙げられる。さらに「むなしい」「むかつく」「むくわれない」をやったもん負け症候群を象徴する3Mといっている。

さらにやったもん負けを作らないためには、職場のリーダーが新たに取り組む人たちを正当に評価して、手を差し伸べて応援するべきである、そうしないとイノベーションが起きないとしている。

やらない人は、できない言い訳を並べるのも特徴だ。「本来の仕事が忙しくてほかのことまで手が回らない」とか「これ以上仕事を増やさないでほしい」というのが常套句であろう。「この給料じゃこれ以上やりたくない」というのもありがちだ。

またチャレンジしたのに報われずに、やったもん負けしか経験させてもらえない人は、やったもん勝ちする環境に身を移すこともあるだろう。正当に自分を評価してくれる職場に転職――キャリアアップしていく。残った職場には、やらない人しかいなくなるからますますチャレンジする風土が定着しない。

誰がどう考えてもこのような事態は避けるべきである。社員のモチベーションも下がる一方だ。こうなるといよいよ末期的状況になっているのではないかと思うが、縁の下の力持ちが評価されない組織は、人が活きるとはいえないだろう。

だから権限のある人が、いかに部下のやる気を引き出すかを考えなくてはならない。ひとりではできないことでも力を合わせて突破するのが組織力なのだから、個人の問題に落とし込んでしまう前に組織として何ができるか知恵を絞るべきだ。

「また君と一緒に仕事がしたい」

では負のループからの脱出を図るにはどうすればよいのだろうか? 一番大切なのは、自分の本気度を宣言することではないか。後出しじゃんけんして揶揄するような卑怯な人もいるだろうが、それ以上に自分の覚悟を表明してみる。人はなぜ挑戦し続けなくてはいけないのか。それは仕事に対する矜持ではないか。

あと自分のやったことは本当にやったもん負けなのか自問してみるといいかもしれない。誰がみても明らかな失敗であれば仕方ないが、評価者が誤った判定を下していることもあり得る。例えば、外部のある人から見たらそれは成功している場合だってあるだろう。

我関せずで、知らんぷりするような人よりチャレンジした人が、報われないのは健全な組織とはいえない。マネジメントとモチベーションの関係については、「JAGAT経営シンポジウム2011」で講演をした東京大学大学院教授の高橋伸夫氏が「また君と一緒に仕事がしたい」という言葉がシンプルで正当な評価だといった。もう何年も前のことだが本質は変わっていない。これが一番のほめ言葉であろう。人の上に立つような人は、やったもん負けを作らないように注意して、こういう言葉を投げかけてほしいと思う。

(JAGAT 研究調査部 上野寿)