この5月にJAGATは創立50年を迎えた。この50年間にどのようなことがあって、JAGATは何をしてきたのか。今回は設立年の1967年に焦点を当てて、時代の変化を見てみたい。【50周年記念】
政治や世相を見てみる
1967年2月に第2次佐藤栄作内閣が発足し、東京都知事選挙で美濃部亮吉が革新知事として当選した。10月には吉田茂元首相が死去、戦後初の国葬が営まれた。
石原裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」がヒットし、グループサウンズがブームとなった。イギリスではザ・ビートルズが8作目のアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を発表した。2017年5月26日には、アルバム発売50周年を記念し、CD、LPの計6枚組のアニバーサリーエディションが全世界同時リリースされた。
タカラからリカちゃん人形が発売されたのもこの年である。こちらも2017年をアニバーサリーイヤーとして「誕生50周年記念リカちゃん展」を全国各地で開催している。
多胡輝の『頭の体操』シリーズがベストセラーになり、有吉佐和子『華岡青洲の妻』、五木寛之『蒼ざめた馬を見よ』などが話題になった。マンガでは「天才バカボン」「あしたのジョー」(週刊少年マガジン)や「ルパン三世」(漫画アクション)などの連載が始まったのも1967年である。
こうして半世紀前を振り返ってみるだけでも現在につながることがいくつも見てとれる。その反面、1967年からの50年間をあらゆる角度から調べていくことで初めて理解できることもまたたくさんあるようだ。
1967年からの印刷業界とJAGAT
JAGATは1967(昭和42)年5月10日に社団法人格を取得したが、設立総会は同年2月6日に日本印刷会館の7階で行われた。初代会長に新村長次郎、副会長に芝周平、伊坂一夫、柏木謙一、永島豊次郎、専務理事に塚田益男各氏が就任した。
当時の資料を見てみると、印刷業界が将来の経済社会の変化に対応していくためには、印刷産業の調査、教育といった機能をより強固にしていく必要性があると感じていたことがわかる。
また世界の先進国には立派な印刷技術研究所があることにも触れている。アメリカにはGATFが、ドイツにはFORGRAが、イギリスにはPATRAがあって活躍している。当時日本には公的な組織が何もなく、これらに匹敵するような印刷技術協会を作りたいという思いが強かった。
ちなみに1967年の工業統計による印刷産業出荷額は、6762億8500万円であった。わずか3年後の1970年には1兆円を超え、その4年後には2兆円を超え、さらに4年後には3兆円を突破するという右肩上がりの時代であった。JAGATが創立された時代は、戦後の日本経済が急成長した高度経済成長期に突入していたのである。
この50年間の印刷産業および周辺産業は、著しい変貌をとげた。技術がもたらした変化は極めて大きなものであったが、それは印刷業界内における幸せな技術革新だった。生産性向上のための技術革新が進み、それに追いつくために新たな設備導入も盛んであった。そして、仕事も大量生産の時代だったのである。
しかし、現在直面しているデジタル、インターネット、AI、IoT、そしてマーケティングの問題などは、メディア、社会、産業界全体にわたる地殻変動であると思われる。そこではもはや一企業だけで完結するモデルはだんだん通じなくなり、できるところとアライアンスを組んでいく必要も出てきている。
『JAGAT50周年記念誌』では、1967年から50年間、社会の変化に対応して変身し続けたJAGATの姿を時代ごとに区分けして、その軌跡を辿るとともに、これからのJAGATの活動の方向を紹介する。また技術がもたらしたメディアについても言及していくつもりである。
『JAGAT50周年記念誌』は、『印刷白書』と二分冊にする方針で現在編集作業を進めている。2017年10月26日(木)に記念のJAGAT大会を開催して、その場でお披露目する予定である。『印刷白書』とあわせて読んでいただきたい。
(JAGAT 研究調査部 上野寿)