マスター郡司のキーワード解説:万博

掲載日:2025年3月10日

正式名称は国際博覧会

新年第1回目に執筆するキーワードとして何を選択しようか?と考えていたのだが、多くの新年会に出席して、来賓挨拶の際に経産省関連の方(もしくは関西の印刷業界の方)が「どうぞ皆様、関西万博をよろしくお願いします!」とおっしゃっているのを聞いて、思わず「大変そうだなぁ」と心配してしまった。そういうことで、新年早々の軽いノリで「万博」について触れてみたい。他のテーマでは、「印刷に関連したAI」や「モノタイプ」(東海大学の高橋名誉教授が最近ご執心)も候補として考えたのだが、年始には重すぎるテーマなので避けた次第である。

さて万国博覧会だが、正式名称は国際博覧会(仏:Exposition universelle、英:Universal Exposition)であり、国際博覧会条約(BIE条約と言って、1928年に成立。フランス語のBureau International des Expositionsの頭文字)に基づいて行われる複数(2カ国以上)の国が参加する博覧会のことである。日本では万国博覧会と呼ばれており、むしろこちらの方が日本では一般的だ。略称では万国博や万博などと呼ばれており、エクスポ(英:EXPO)という言葉も一般的だ。

日本で万博といえば、なんといっても1970年開催の大阪万博だろう。1970年が今でもすぐに連想できるのは、三波春夫さんの歌「コンニチワ〜♪」の力が大きい。私が初めて関西に行ったのもこのときで、数ppmくらいの薄い血のつながりしかない親戚の家にお世話になった。関西在住の方は、万博のときに親戚が急に増えたのではないかと思う。私がお邪魔した親戚は、当時は浜甲子園の公団住まいだったのだが、羅針盤関連の特許で当てて今は宝塚のお屋敷に住んでいる。
しかしそれにしても阪神・阪急・JR(旧:国鉄)のヒエラルキーや、関西の各繁華街の特色等々、じかに触れることができてたいへん勉強になった。万博会場の千里は当時「イナカだなぁ?」という印象であったが、今や大阪を代表する高級住宅地である。「どこにお住まいですか?」「北千里です」と胸を張って言える地名(ブランド)になっているのだ。東京でいえば「新百合ヶ丘」という感じだろうか?(私が子供の頃は埃っぽい場所で、土埃が目に入って結膜炎になった記憶があるくらいだ)。

万博の思い出

万博の第1回目は1851年にロンドンで開催され、水晶宮(クリスタル・パレス)で有名な博覧会であった。水晶宮ばかりが有名だが、開催された場所がハイドパークだったということはあまり知られていないようである。ちなみに戊辰戦争が1868年の出来事であるから、当時いかにイギリスが進んでいたか?!が想像できる。その他の万博では、1889年の第4回パリ万博が、エッフェル塔(完成が1889年)で有名だ。イギリスに追い付き追い越せと切磋琢磨していたヨーロッパ各国だが、日本と比べれば各国共に超先進国である。

そして1970年の大阪万博では、それを見据えて少年漫画雑誌(当時の子供には一番身近なメディアである『週刊少年サンデー』や『週刊少年マガジン』)が、1960年代後半には万博特集を数多く企画していた。1955年生まれの私には、1967年のモントリオール万博(カナダ)が記憶に残っている。晴海で開催されていた国際見本市などの展示会(博覧会)が人気イベントの筆頭であった時代であり、遠い国で開かれるインターナショナルイベントには強い憧れを抱いていた。大阪万博に行きたくて仕方がなかったのだ。官民連携の宣伝工作に、見事に乗ってしまったわけである。なお、1962年のシアトル万博(アメリカ)では、現在もシアトルのシンボルタワーとなっている有名なスペースニードル(UFOみたいな塔)が作られた。

さまざまな博覧会

国際博覧会は会場の規模やテーマなどから、主に登録博覧会と認定博覧会に大別される(以前は「一般博」と「特別博」の2種類が定義されていた)。大規模国際博覧会である登録博は1995年以降、5の倍数の年に開催され(関西万博は2025)、開催地はBIEでの投票で決定される。開催期間は最大6カ月である。

万博以外にも特別博覧会として知られている国際博覧会は多い。日本でも1975年に「沖縄海洋博(特別博)」、1985年に「つくば万博(特別博)」、1990年に「大阪花博(特別博)」、2005年に「愛知万博(登録博なので万博なのだが、準万博という感じか?)」が開催されている。このうち大阪花博は特別博だが、実は「園芸博」というジャンルは昔から伝統的に開催されている国際博覧会で、正式には大国際園芸博覧会という区分だ。2027年には「2027横浜国際園芸博覧会」が計画されている。

(専務理事 郡司 秀明)