元祖、動く広告代理店

掲載日:2020年1月8日

令和はじめてのお正月、皆さま年末年始はいかがお過ごしでしたでしょうか。
2020年の干支である子(ね)年生まれは全国1062万人。出生年別では1948年生まれが209万人と最多。最も若い2008年生まれは108万人と最多の約半数というのは驚きでした。
今回はお正月らしく、楽しくカラフルな元祖、動く広告代理店を取り上げます。人目を引く仮装をして、鉦(かね)・太鼓・ラッパ・三味線(しゃみせん)など楽器を、ちんどんと鳴らし、地域店舗や商品の宣伝、広告をして歩く人のこと、さて何でしょうか。そうです、「ちんどん屋」さんです。私の記憶では、子供のころ近所の商店街で見たのが最後です。

インパクトある宣伝効果

ちんどん屋は、日本の広告請負業の一つであり、披露目屋・広目屋(ひろめや)、東西屋と呼ぶ地域もある。新装開店やイベント開催を知らせるレトロな宣伝メディアとして全国で親しまれているが、発祥は江戸末期の大阪(千日前)とされる。道頓堀に並ぶ看板同様「大阪らしさ」を感じさせたが、一時は絶滅寸前にあった。しかし独自のインパクトあるコミュニケーションなどで今では日本の魅力を発信する伝統芸能の一つだ。
伝統的なちんどんの技術を受け継ぎながら、現在はマスコミ、海外進出、ライブ出演など、時代にあわせた新たな活動を展開中だ。その背景には、先入観のない世代が多数になり新鮮さを感じるようになったこともあるという。今では宣伝やPRの手段として、ちんどん屋に注目している大企業もあるほどだ。

大阪では活躍の場を広げている

ちんどん屋の原点は1845年、大阪にあり当時、竹の鳴り物と売り声で人気を得た飴(あめ)売り「飴勝」が商売の傍ら、寄席の客寄せを請け負うようになったことが元祖とされる。後に飴勝を引き継いだ勇亀(いさみかめ)が歌舞伎や文楽の開演合図「東西、東西(とざい、とうざい)」という口上をまねて有名になったという。それ以降、路上宣伝全般が「東西屋」と呼ばれるようになった。その後、東西屋は東京へ進出し、楽隊の編成でも注目され、売り声、口上中心であった大阪でも取り入れられた。無声映画の解説業「活弁士」が無声映画の衰退とともに大量に転職するなど、時代ごとにさまざまな芸を持つ人材がこの業に流れ込んだという。

地域別では、東京は路上中心である一方、大阪のちんどん屋は、客とのコミュニケーションが得意な強みを生かし、ライブハウスや舞台など活躍の場を広げている。
ちんどん屋の構成をみると、先頭のリーダー役は、進路、進行を読みながら口上で宣伝する。続く2番手は、ゴロス(大太鼓)を担当しリズムを統率する。3番手は笛、アコーディオンなどメロディー楽器を担当する。

いつの時代にも重要な消費者の心に響く広告手段

積極的な宣伝行為をすることや服装を含めデザイン系の色づかいなどで、ハデハデなものにするとちんどん屋みたいだ、というダメ出しの表現をすることも時代の流れとともに耳にしなくなった。
似たような広告塔に、サンドイッチマンがある。これは、人体の前面と背中の両方に宣伝看板を取り付け、街頭にたたずみ(または歩行)、宣伝する広告手法である。 高額な費用をかけなければ出せない一等地の繁華街でも人件費程度で看板を出せる経済的な手法だ。広告用の看板を体の表と裏にさげていることから、広告でサンドイッチになっている、という意味で呼ばれるようになった。日本では1888年(明治21年)頃、銀座にてサンドイッチマンスタイルの広告が出現したとされている。

そういえば、昔よく見たアドバルーンも見なくなった。昭和に入り広告板やアドバルーンなどの広告が登場したことから、ちんどん屋は地域密着型になった。ちんどん屋は、デジタル主流のIT社会のなかでアナログ的インパクトある宣伝として、またイベントを盛り上げるとして見直されてきたというのも興味深い。
街頭でも、印刷分野でも、目にする消費者の心に響くインパクトある広告手段は、いつの時代にも重要なのだ。

(西部支社長 大沢昭博)

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