※本記事の内容は掲載当時のものです。
エレクトロニックスを応用した、製版・印刷用の装置や機械のうち、爆発的なひろがり方をみせているのがカラースキャナである。カラープリント市場の急速な成長が、スキャナの流行の動因となり、精巧で美しいプリントの製作所要時間が、スキャナによって一挙に短縮され、それが市場にフィードバックされて、いっそうカラープリントの増加を促進する。この循環相互作用が、進歩した能率的生産設備に出費を惜しまない、わが国の印刷者たちの間に、スキャナ・フィーバーのうずを巻きおこした。
私が1976年、「印刷雑誌」にカラースキャナの入門記事を連載した頃、概算400台のスキャナがわが国にあった。それが一冊の本にまとめられたとき(1978年)600台にふえていると予想されていた。1000台の大台に乗るのはそう遠い日のことではあるまい――日本印刷技術協会の「プリンターズ・サークル」という雑誌に、私はこう書いた。
1980年7月に、電子製版協議会が行った精密な調査報告は、全国に1014台のスキャナがあることを、都道府県別、機種別のデータとともに公表した。
その後も毎月かなりな台数が設備しつづけられているから、この本が出版される頃には(*1981年)、1500~1600台や2000台近い数にもなっているかもしれない。
おそらく、カラースキャナの保有数では、日本が世界第一であろう、業者も私もそう信じてきた。アメリカはながいあいだ、スキャナの取入れを逡巡し、かれら自身保有数で日本にはるかに及ばないと、しばしば述べていた。西ドイツは元来保守色の濃い国で、新技術の採用に果敢な態度を示さない。
カラースキャナは大戦後に出現した。その歴史は浅い。それなのに、スキャナの歴史を書くことはかなり骨が折れる。それは資料がないとかとぼしいことによるものではなく、反対に材料が多すぎるのである。なかには、朝露のようにはかなく散ったものもあり、名乗りだけあげながら、ついに実体が完成しなかったものもある。そのようないわば虚の座標の中にあるスキャナは、実用という立場からは無視できる。しかしいやしくも歴史を書かねばならない者は、そのような今では忘却されてしまった遺跡の存在を看過して通ることができない。激しい流転がめまぐるしくつづいたこの三十年間ほどの間の、カラースキャナの興亡は、じっくりとりくんで調べると、ひとつのおもしろい技術史の断片を描くことになると思う。
しかし、いま私はそれだけのひまと、そして十分な資料とをもっていない。この文章はその創世紀時代のスケッチである。
ここでカラースキャナ(color scanner)という名で呼ばれる機械の概念を明確にしておく必要がある。それは広義には電子彫刻機やカラー分解機や色修正機、あるいは遠隔通信用の色走査機など、電子的に色原稿を走査(スキャンニング)して、種々の出力を得るシステム類を総称する。
現在ではこのような広い概念を、カラースキャナの名に適用することはふさわしくなく、もっと狭義に、製版用の原稿のカラー分解をする電子的機械というものと考えられるようになった。すなわち、カラー原稿を光で走査し、原稿を透過した光、あるいは、原稿から反射された光を原色光に分色し、その各色光を光電管で光電変換し、この電流を増幅しコンピュータで、種々調節処理して、終局的には露光用光源の光力を制御して、感光材に露光して、色補正その他もろもろの複製上の条件を満足する色分解画像を手に入れる、そのために使う機械であると。
スキャナの偉力の中心は、そのコンピュータにあると考えている人が多いし、確かにそういえるが、光電管のほうがスキャナの心臓である。光電管なくスキャナの実現はありえなかったであろう。初期のカラースキャナに使われているコンピュータは、アナログ・コンピュータで今もてはやされているデジタル・コンピュータとは違うことを注意しておく。
広義の光電効果――光と電気との相関関係は、1880年に発見されたという。そのはじめは光電池という、素朴な光電変換器であったが、1930年頃ようやく、真空管の形の精巧な光電管が作られ、たちまち改良されて現在の二次電子増倍管(ホトマル)にいたった。この増倍管ができて、すべての精巧な光電変換に基づく機械類が発達することができたのである。
一方、対象を光で走査して、イメージ作成を行おうというくふうは、19世紀中頃、現在ファクシミリと総称されている機械の発想として生まれた。その基本的な発明者はA.ベインで、現在の走査という概念を確立したのはベークウェル(Bakewell)という人であったという(1847年)。
ファクシミリは電送写真(最初の電送写真装置は、エドアルド・ベリン(E.Belin)によって、1921年に作られた)や、模写電送、新聞紙面画像の電送、事務用ファックスと多角的に発展したが、カラースキャナのルーツも、このファクシミリである。
『印刷発明物語』(社団法人日本印刷技術協会,馬渡力)より
(2002/09/30)
(印刷情報サイトPrint-betterより転載)