※本記事の内容は掲載当時のものです。
「続・レタッチ技術手帖」が発刊されることになったのは、日本印刷技術協会の出版部の皆様の御尽力と、読者の皆様の 御声援のおかげである。
私が文学青年じみていた頃、一生の間に1冊の本を出したいと思っていた。私にとって日本印刷技術協会との出会いは幸運であり、ここに2冊目の本が出版できることとなった。深く感謝したい。
さて、《この湿板時代からトータルスキャナ時代まで》を書くについて、私は、目的を次の点にしぼった。
第1に知られざるレタッチのユニークな伝承的色演出技術を、生き生きとよみがえらせること。
第2に、過去を語るのではなく、コンピュータ時代に生きている修整テクニックを紹介し、現状とクロスすること。
第3に、現在使用されている色演出の方法のルーツをさぐり、その応用編を展開すること。 そのことは、印刷の技術史でありながら、そこに生きる人間の記録であり、画像演出にあけくれする印刷技術者の悩み・喜び・苦しみの血の通ったドラマでもある。
「マシンでできるものはマシンにまかせ、人間でなくてはできないことを人間がやる」ということが、コンピュータ時代の品質管理の基本テーマといってよい。
草創期のレタッチマンが、マシンらしいマシンもなく徒手空拳という状況の中で、画像再現に挑み、すぐれた印刷物を現在に残しているという事実は、人間の可能性を感じさせ、勇気を与えてくれる。それは、変貌する技術革新の今日の中で技術者達の生きてゆくよすがとなり、道標となるであろう。先輩たちのすぐれた技術を掘りおこすことは、トータルスキャナシステムをはじめとする、すぐれたコンピュータ画像処理ができる今日、手ばなしでコンピュータにもたれかかるなという警告となり、人間の色演出センスを磨くべきであるというメッセージを意味しよう。
印象派に影響を与え、今日でも世界で芸術的評価の高い浮世絵師の中で、歌麿、北斎などの名を知らない人はいない。が、歌麿、北斎達を世に送り出した天才的アルチザン達、「彫り師」「刷り師」の名を知る人は少ない。
歴史はこの「影の部分」を語ろうとしない。印刷文化史とは、名もなく、貧しく、すぐれた技術をもった印刷技術(能)者の沈黙の歴史であろうか。
めまぐるしいコンピュータ時代の技術革新の中で、人間の、人間による、人間のための技術として生き残るものは何か。印刷における伝統的技術の中で、継承され、変貌しつつ、発展してゆくものは何か。
私は執筆中いつも自分に問いかけていた。
「人間が紙の上でインキで刷ったものを見るあいだは《色を見る眼》は生きつづけるであろう。そして洗練された色感覚の持ち主は優れたカラーマッチャー(インキの色出しの名人)のように、エリートとしての重要な役割をするであろう」そう言い聞かせながら書きつづけた。
スキャナ時代の現在、よくオペレーターのセンスがいい、勘がいいと言う。勘とは、アナログのように聞こえるが、もとをただせばデジタル情報の集約されたものではないのか。印刷技術(能)者の中では、そうした感覚のすぐれたエキスパートが多い。
それは「見えないものを見る」というような能力でもある。カトマンズの山々には、「眼の寺」といわれる寺院がある。「眼の寺」は三つの眼を持ち、第三の眼は、人々が寝静まった夜も見開かれて、民衆を見守るといわれている。
印刷技術(能)者にとって「第三の眼」とは想像力であり、色演出力であり、遠く日本の芸術的、工芸的伝統にはぐくまれ、培われてきた血の流れのようなものといえるだろう。そして、この「第三の眼」は、技術革新に対応し、変貌して不死鳥のようによみがえる美意識でもあるのだ。
「ばらの樹に、ばらの花咲く、何事の不思議なけれど――」 と歌ったのは、詩人北原白秋である。
たしかな存在感として、そこに印刷がばらの花のように咲き誇るためには、コンピュータマシンのみでは不可能であろう。それを使う人間の「第三の眼」が印刷文化に輝きを与えるものと信じるからである。
1983年12月
坂本 恵一
(『続・レタッチ技術手帖』より)
(2003/03/18)(印刷情報サイトPrint-betterより転載)