第1期クロスメディアエキスパート認証第2部試験「与件: 国際芸美社」

掲載日:2016年6月20日
このエントリーをはてなブックマークに追加

状況設定

わが社

都市圏の中堅商業印刷の会社で,印刷以外にもプロモーションビデオの受注や,Web制作などをしている。子会社にデザイン会社がある。

以前はプリプレス部門でDTP化推進に関わっていたが,今はWebを含めて制作管理の立場で,社内の現場や外注の制作へ仕事を分配して,進行管理をしている。営業担当者の相談相手にもなっている。場合によっては営業担当者とともに顧客のところへ説明に行くこともある。

プロジェクト

この印刷会社の顧客に額縁などの製造販売を行う国際芸美社がある。台東区浅草橋に本社があり,工場や流通倉庫は地方や海外にもある。
わが社はカタログ・パンフ・説明書などを受注している。またポストカードや絵画の複製印刷物,個展や展覧会の図録の印刷なども国際芸美社を通じて受注している。同社のホームページの一部もわが社で手がけたことがある。
私は国際芸美社を担当している営業担当者から,近年のうちに木田社長が交代するので,それに向けて新たな方向性を出そうとしているという話を聞いて,何かこのクライアントを手伝えることはないかと相談を受けた。
そこで,国際芸美社のことを調べ直してみると,ポストカードとフォトフレームに関して新たな動きがあることがわかったので,営業と制作の何人かで提案プロジェクトを作り,私がリーダーを務める。

提案時期

社内のプロジェクトで国際芸美社についてまとめていた時点で,同業他社が国際芸美社のWebでの販促提案をしようとしているという情報が入った。そこで営業に様子を探らせた。
国際芸美社はWebでの販促を新規事業として意気込んでいる様子である。新規事業のプロモーションや受発注のシステム,またその委託先をどうするかを数社のコンペにより決めるようである。木田社長はこの件には意欲的で,来月半ばにはわが社の社長宛にプレゼンをするように要請するようだ。
このため,1週間以内に社内でラフな提案書を作成して,コンペに耐えられるよう一度揉んでおかなければならない。まずこのプロジェクトのリーダーである私が今日にも提案の骨子作り,社内に根回ししなければならない。

<社外秘>
KGプロジェクトメモ 2006.3.26 

国際芸美社 会社概要

<社名>
株式会社 国際芸美社
<設立>
創立1965年(昭和40年)10月21日
法人1974年(昭和49年)10月23日
<資本金>
2千万円
<売上>
13億5千万円(2004年)
<従業員>
65名(中国を除く)
<所在地>
本社 東京都台東区浅草橋6-1-3
大阪営業所 大阪市東区淡路町7-10-10
流通センター 千葉県市原市五井4-4-18
工場 国際藝美廠 広東省東莞市
工場 青島藝美有限公司 山東省青島市
<役員>
代表取締役 木田邦彦 専務取締役 若枝三郎 常務取締役 木田靖彦
<業務内容>
額縁/各種フレーム/絵画/木工製品/写真関連紙製品/各種包装資材
<売上>
卸:8億円,店舗:東京・大阪3億円,デパート外商:2億円
ネット販売:5千万円

<企業沿革>  
1965年 10月 東京都台東区浅草橋に額縁製造販売として創業する
1970年 3月 千葉県市原市五井に額縁製造工場を移転する
1974年 10月 資本金300万円 法人 株式会社国際芸美社とする
1976年 10月 大阪市東区淡路町に営業所を開設する
1978年 5月 資本金500万円に増資する
1983年 1月 中国東莞工場開設し 千葉県市原市は流通センターに
1988年 6月 資本金を1千万円に増資する
1994年 8月 フランス,アレコ社の日本総代理店となりインテリア商品を扱う
1995年 2月 資本金を2千万円に増資する
1997年 6月 中国青島工場開設
2000年 8月 銀座プランタン1Fにインテリアグッズの小売店として出店する
2002年 3月 通販事業部を開設し,ネットショップをオープン
2004年 12月 オーストリア,キレト社の代理店となりインテリア商品を扱う

歴史(沿革の補足説明)

株式会社国際芸美社は,上野で油絵のカンバス製作や美術館の額縁の修理をしていた木田工芸店を継いだかたちで木田邦彦が1965年に会社組織として創業した。
木田工芸店の時代から美術館などに出入りをしていたつながりで,当初から学校や画商など比較的顧客には恵まれていた。さらに,特定のニッチマーケットから抜け出て,企業や富裕層を対象にビジネスを広げたい,と考えたことが創業のきっかけであった。
1970~1980年代は事業が順調に推移する。いち早く中国に生産拠点を移して,国内は販売に徹することで企業としては大きく飛躍した。しかし国内の競争相手も同時に増加してバブル期を迎えた。

この時期まで業態としては「木工屋」の範疇で,よいものを安く大量に作ることに注力し,画材店やデパートの外商などへの卸が主流であった。現在でもその延長にあるが,バブル後は企業向けの絵画販売が滞ったこともあって在庫量の増加が経営を圧迫した。
そこで,画材店のような自社店舗をインテリアショップのように変えて,独自で顧客にアプローチする政策をとり,卸の比率を6割近くまで下げていった。
インテリアの需要の開拓のために,額縁の中に入れる複製絵画や彫刻などの美術工芸品の扱いを増やし,またヨーロッパのインテリアグッズのライセンス生産をする拠点として,中国青島工場を開設した。

ショップが商業店舗向け営業拠点の浅草橋にあることが利点となり,インテリア用品が店舗設計のコンサルタントの目にとまった。これにより,額縁の売上の落ち込みをかなり補うことができた。しかし一般顧客向けには銀座に近いほうがよいと判断し,銀座のデパートにアンテナショップを出店した。
このアンテナショップによって,比較的高額な卓上のフォトフレームが,それなりに売れることがわかった。これは創業者の子息である常務取締役の木田靖彦がヨーロッパ留学していた折に,オーストリアのある小さな工房が百数十年前と同じものを延々と作り続けてきたことを知る機会があり,その工房から年2回くらい仕入れているものである。
フォトフレーム自体は100円ショップでいくらでも売られている時代なので,それまではビジネスとしては重視していなかった。しかし,ヨーロッパの伝統的で重厚なフォトフレームは,他ではほとんど扱っていない商品なので,これをネット販売してみようという話が持ち上がり,ネットショップを立ち上げた。ただしネット上では全商品を販売している。

事業上の課題

インテリア商品は額縁も含めて嗜好が多様化しており,しかも全般的には価格も下落傾向にあり,在庫管理に頭を痛めている。今までの総花的,デパート的なやり方は非効率になる。企業としてもポリシーを決めて特徴を出さなければならなくなっている。

インテリア商品は頻繁に購入するものではないが,気に入ってもらえれば,自宅に訪問した来客などに口コミで伝わる。うんちく話も効果があって「年に何個しか同じ物は作っていない」という話も一人歩きする。そうして知った人がネットで購入することがある。しかし口コミ頼みの受身から脱却しなければならない。

従来の顧客が油絵中心であったために,インテリア商品の選択もヨーロッパ中心にしないと顧客の反感を買う。そのために今日どこでも見られるような,動物や風景写真などの癒し系,カワイイ系キャラクタなどの商品は扱っていない。国際芸美社のポリシーとしても使い捨てのグラフィックには関与せずに,永く鑑賞に堪えられるものを中心にしようという考えがある。このポリシーによって自ら市場を狭めてしまわないように配慮している。

ネットショップではギフト商品がよく売れるが,額縁やフォトフレームという「容器」だけではギフトにならないので,コンテンツも品揃えとして必要になる。しかしそこにあまりコストをかけることはできない。またコンテンツがよくても,ありきたりではギフトとして選択されない。そこで資料Cや資料Dのようなコンテンツ販売をしていることころから仕入れている。これらコンテンツの販売サイトとの連携で,フレームの販売もしてもらえるような仕組みを模索している。

ネットでのギフトの選択は,購入者の信用をどのように得られるかで,売上金額が決まる。今のところ信用は口コミと購入者しかなく,社名のブランド力はない。またヨーロッパのライセンス元も日本では無名である。購入者のリピートや口コミ力を高めたい。リピート顧客であっても,以前と種類の違う商品を購入する場合が多く,ネットショップでの品揃えは必要である。しかし在庫は持ちたくない。

数年以内に今の社長が退き,常務が社長を継ぐとみられる。創業者が「木工屋」であったのと違って,常務は自らの滞欧経験からアートに貢献したいという思いをもっていて,資料Cや資料Dのようなコンテンツとの交渉も自ら行っている。常務の力で複製画や写真の売上は伸ばしてきた。これからの国際芸美社の方向性も常務の発言力が強く反映すると考えられる。営業担当者にも見る目を養わせようと,美術館や画廊に通わせている。

ご注意

本試験時点では、上記文書のほか、「財務諸表」、「参考資料(Webページの抜粋)」などが配布されます。