印刷技術とメディアの変遷(その参)

掲載日:2017年7月5日

いよいよDTP編に突入だが、RIP(ラスターイメージプロセッサー、出力用の演算)の計算に時間がかかるため、CEPSをDTP用出力機として使っていた時代が、CEPS後期と言える。しかし、この時代もDTPにカウントされるようだ。

電算写植とCEPS(レイアウトスキャナ)が印刷業界にとって、デジタル時代の幕開けと言われたのだが、思いの外、短命に終わってしまったのは知っての通りである。ましてやこの時代はアナログ終焉期と言われている。

文字と画像の統合は電算写植とCEPSでも実現されたのだが、印刷史での文字と画像の統合は電算写植とCEPSでは認められず、DTPで初めて統合されたことになっている。

そのDTPも最初は問題だらけで、特に日本語は「二書体(リュウミン、中ゴ)しかない」「そろえが出来ない」等々、問題点の枚挙にいとまのないくらいだった。そんなに不便なDTPでも、みんな文句を言いながらでも確実に普及していったのだ。

DTPの特性として安い電算写植、安いCEPSというのがあるが、確かにこの手の高いシステムをDTP前夜に初めて導入した印刷会社は、高い金利がかさんで、勢いを無くしてしまった会社が無いとは言えない。また逆に高い電算やCEPSを導入することなく、いきなりDTPからプリプレスをはじめた印刷会社は、いま元気な会社の中に目立っている。

例えばお隣の韓国が、普通の国なら長かった鉄道時代を抜かして、いきなり高速道路網を整備して、無駄な投資をせずに経済発展したのは有名な話である。また中国が電話回線やインターネット回線を引く前に、電波によるスマホが普及してしまったように新興国ならではのメリットはあるものである。

しかし、韓国の場合は、経済的に余裕が出てくると、時代を戻るように新幹線にトライしはじめたが、上手くいっていないのは周知のことだと思う。印刷業界でも今まで歴史を積み上げてきたところのメリットは何なのか?!をしっかり明示したいのだが、スッキリハッキリしたことは言いにくいのが正直なところだ。

ただし、DTPの功罪として、ボーダレスという問題があり、「写植業が無くなる」「製版業が無くなる」と大々的に問題化したものだが、確かに心配したとおりの事は起こったのだが、日本の自浄能力の高さなのか?写植業界の東京リスマチックやバンフウは押しも押されもしない印刷業界の大看板に成長したし、印刷通販のビッグツーはそれぞれ製版出身である。

その他の印刷通販も製版や写植が関係しているところが多い。やっぱり危機感というものは会社を強くするし、体質も変えるし、新しいビジネスを生み出す原動力になるのだろう。

さて話が前後してしまったが、DTPのDTPらしいことというのは何だろうか?安い電算?それもそうかもしれないが、私はPostScriptというページ記述言語で、最初から最後まで同じデータを使えるということを挙げたいと思っている。

それまでの印刷業界というのは、それぞれの業界が、デジタル化しても独自フォーマットを使って、それぞれの業界をまたぐ際には、版下やフィルムのようなアナログ生成物でやりとりするという時代錯誤なことをやっていたのだ。そして自分の世界に取り入れるときには、毎回清書し直すわけだ。これが何回も続くという馬鹿馬鹿しいことをやっていたのだ。こういう事を考えると、やっぱりCEPSはアナログというジャンルに入れるべきだったのかと思い知らされてしまう。

しかし、DTPはPostScriptというページ記述言語を、デザイナー、カメラマン、イラストレーター、編集者、オタクな著者、写植業者、レタッチ業者、製版業者、印刷業者、ポストプレス業者、等々が全員同じデータを同じソフトで使うので、ボーダレスという概念が生まれてしまったのだ。

例えば、デザイナーがちょっとしたアンブレラ(照明装置)まで持って、写真撮影してしまう。そしていままでは製版会社や専門のレタッチャーがやっていたレタッチだって、デザイナー自身がやってしまうケースも多くなってきたのだ。しかし、今度は逆に新時代のレタッチャー(特に今までの職人というより新興勢力)が登場し、カメラマンよりレタッチャーの方が多くお金を取ることが当たり前のようになってしまったのだ。

そんな時代も♪あったのだ。美人のレタッチャーなども多く。確かに彼女たちは格好良く。すごいスキルを持っていると思い込んでしまう。では現在はどうかというと、小康状態と言おうか、新興レタッチャーが実力以上の収入を得るということはなくなり、CGがらみでないと高収入は難しくなっているようである。

結局、DTPは物事をものすごくシンプルにしてしまい、「私データを作る人(デザインする人)」「私印刷する人」「私製本する人」を当たり前にしてしまったと言えるのだ。DTP以前は、デザイナー、イラストレーター、版下職人、フィニッシャー、レタッチャー、カメラマン、スキャナーオペレーター、印刷オレレーター、等々といった何々オペレーターが山ほどいたのだ。それが「私デザインする人」「私印刷する人」でお終いなのだ。

これを是と観るか非と観るかなのだが、このところ50周年記念ということで、先人にお話を伺う機会が多いのだが、ほとんどの人が「しょうがないんじゃない。やっぱりそうなるよ」と返ってくる。そういう意味ではDTPを肯定して、推し進めてきたのはJAGATなので、「間違いではなかったのかなぁ」と、毎日問い詰めているのだ。そしてDTPは、紙以外へもデジタルデータは伸びていくわけであり、そこまで考えると「こっちが伸びるのは、しょうがないよなぁ」と思ってしまうのである。

(JAGAT専務理事 郡司秀明)