今なら読めるかマクルーハン

掲載日:2014年11月6日

あらゆるメディアが生活そのものを覆い尽くしている現在、その本質を探ることの重要性はますます増している。

50年後の『メディア論』

最近のデジタルメディアを予測していたとして、カナダのマーシャル・マクルーハンが再注目されている。しかし、有名な割には、彼の本を最後まで読み通した人がはたして何人いるのだろうか。

2014年は、マクルーハンが『メディア論』を著してから50年経た年である。ついでに言えば、3年前の2011年はマクルーハン生誕100周年にあたり、イベントやシンポジウムも行われた。学術的会議でマクルーハンのメディア思想の意味などを今日的に議論するもので、学者・研究者が対象である。

とはいえマクルーハンの思想は「メディアとは何か」を主要テーマにしているので、一般のビジネスパーソンにも相通じる部分はある。ただし、いかんせんマクルーハンの著作物は、個人で購入するには高額であり、ぶ厚くて重たいうえに、とてつもなく難解で読みにくい。

『グーテンベルクの銀河系』とは

印刷業界でマクルーハンに親しみを感じるとすれば、そのタイトルから『グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成』であろう。活版印刷技術がもたらした人への影響について詳細に論じている。「マクルーハンは、印刷文化が人間の経験を解体し、知性と感性を分断したと見た(松岡正剛)」。

表音文字(アルファベット)と印刷技術の発明によって、人びとは印刷された文字=視覚情報を手に入れることができた。それまでは、聴覚的空間に生きており、新たな社会環境変化が起きた。マクルーハンは、それによって五感のバランス「感覚比率」が崩れ、つねに慢性的な不安状態になっていると考えた。
それに対しラジオやテレビといった電子メディアは、「聴覚」を復活させ、「視覚の極端な優位」から「五感の調和」へと人々を連れ戻すと説いた。その混沌とした状態を「グーテンベルクの銀河系」という言葉で表現した。

ただし、その書き方は独特で、モザイクのようだと形容される。ある人から「マクルーハンを理解しようとするから読めない、感覚で捉えろ」と言われたことがある。つまり文学作品を鑑賞するように読み進めろというのである。
実際『グーテンベルクの銀河系』には、古今東西の文学作品がこれでもかというくらい引用されている。それはアフォリズムとして、読むことも可能かもしれない。

『今こそ読みたいマクルーハン』を読む

マクルーハンの著作物は、読者に苦痛と忍耐を与える。誰かが入門編――それこそ「サルでもわかるマクルーハン」を書き著してナビゲートしてくれないかと思っていた。本人の書いたものはもちろん、関連書籍も研究者レベルのものがほとんどで、やはり一般の人には敷居が高い。
そんな中、2013年に出版された小林啓倫氏の『今こそ読みたいマクルーハン』は、マクルーハンをメディア論の大家から少しだけわれわれの近くに導いてくれた。

小林氏も「マクルーハンが難解なのは誰でも同じこと、だから学問的に読み込もうとしないで、マクルーハンが残した数々の言葉を、ビジネスに置き換えていくことで、ヒントになり得る」と語っている。極端に言ってしまえば、彼が残した有名な言葉の数々のいいところを自分のビジネスに当てはめて、解釈すればよいのである。

「メディアはメッセージである」というのがマクルーハンの命題だが、それをまともに受けると振り回されるだけである。彼はテクノロジーをメディア=媒体とし、それがすなわちメッセージであり、すべてが人間の器官の拡張と考えた。『メディア論』では、車輪は足の拡張であり、本は目の拡張であり、衣服は皮膚の拡張といった具合である。それを「身体の拡張としてのメディア」とした。

そのほかにも「ホットとクール」「テトラッド」「地球村」などを現代のデジタルメディアと関連付けてわかりやすく解説している。

中でも一番理解しやすかったのが、「テトラッド」という思考の枠組みの解説である。テトラッドとは「4つの組」という意味である。どのようなメディアにも「強化」「衰退」「回復」「反転」の4つの機能(5つ目は存在しない)を見ることができる。
・「強化」=それは何を強化し、強調するのか?
・「衰退」=それは何を廃れさせ、何に取って代わるのか?
・「回復」=それはかつて廃れてしまった何を回復するのか?
・「反転」=それは極限まで推し進められたとき何を生みだし、何に転じるのか?
テトラッドというフレームワークを活用して、身近なメディアをこの四象限に当てはめていくことで、実ビジネスの現場で応用できるだろう。

今なら読めるか?

マクルーハンは難解で捉えどころがないし、答えがないのも特徴だ。それに対してマクルーハンは「私は説明しない。探究するのみ」と言ってのける。「それって反則なんじゃないのかな?」と思わず突っ込みを入れたくなる人もいるだろう。しかし、マクルーハンは大まじめで「私は説明しない」と言い切るのである。

なぜならあくまでメディアの本質を追及しているのであって、預言者ではないからである。答えがないというより答えを出そうとしていないのではないかと思う。小林氏の解説によると「彼がメディアをどのように捉えていたのかを整理し、現代を生きる僕らが、その考え方をどう役立てることができるのかを考察すること」が本書の目的だという。

「身体の拡張」といえば、スマートフォンほど拡張しているものはない。耳と口と目が拡張されたものだし、位置情報まで共有できるとなると全身を拡張していると言えるだろう。ウェアラブルコンピューターになるともっと密着性が強くなる。しまいには、神経系統とつながるチップの埋め込みなど完全に人体と一体化することになりかねない。

 『今こそ読みたいマクルーハン』のおかげで、だいぶマクルーハンに近づけた気がする。これまで何度トライしても最後まで読み切れない、読んだとしても何が書かれているのか全く理解できなかったマクルーハンの著作だが、今なら読めるかもしれない。

(JAGAT 研究調査部 上野寿)

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