メディアビジネスに関わる印刷会社がおさえておきたいキーワードを解説する。「クラウド」の2回目。
JAGAT 専務理事 郡司 秀明
クラウド 2
コンピューターの登場からクラウドコンピューターにたどり着くまでには、紆余曲折があったのだが、コンピューターの歴史が順当な発展をしてきたことを、まずは再認識していただきたい。
世界初の商用コンピューターUNIVAC I は1950 年(頃)に登場して、メインフレーム時代が始まった。メインフレームとは、空調の効いた専用ルームに設置された大型コンピューターのことで、非常に高価なものだった。
UNIVAC の後、IBM が市場を席巻した。メインフレームは複数のユーザーが、同時に1 台のコンピューターを利用するという集中方式をとっていたが、メインフレームではGUI(Graphical UserInterface)での操作ができず、すべて文字や数字による操作が必要だった。
大学でもメインフレームが計算機室に鎮座しており、それをみんなで使っていた。入力方法はさん孔カードで、さん孔する装置が高価なので、プログラム実習の学生はマークシート式カードに鉛筆でマークしてプログラムを入力していた。オルガンの練習を、教科書に印刷された鍵盤で指の運びを覚えるイメージだ。
1990 年代に入るとクライアント/ サーバー時代へと移り変わっていく。この時代には大型コンピューターではなく、ミニコンピューター( 小型で安価なコンピューター。DEC がその代表) が普及した。印刷業界では1980 年代後半に、文字と画像の統合を目指して流行したCEPS(電子製版システム。 Scitexが代表)は、ミニコンの心臓部、DEC のPDP-11を使用する製版システムであった。大学でも力のある教授は、研究室専用のミニコンを持ち、大型コンピューターの使用スケジュールに左右されることなくコンピューターを使用できるようになった。コンピューターの価格が下がったことで、大学や企業は多数のコンピューターを持つことが可能になったのだ。
ミニコン後にはパソコンよりも高性能であるが、パソコンよりは高価(ミニコンより安い)なEWS(Engineering Work Station。SUN Microsystems が代表格で、EWS を使用したCEPS も開発された。RENATUS が代表格)がミニコンに取って代わる時代が、短期間であったが存在した。その後、Linux で動く高級パソコンに交代した。この頃からGUI での操作もできるようになった。
そして、処理速度を上げるためにクライアント側もコンピューターを持つようになり、一台に「集中」するのではなく、「分散」傾向が出てきた。分散したことで、データの管理がまたもや課題となってきたのだ。
1990 年代後半には、ウェブコンピューティング時代と呼ばれる時代が始まる。この時代には、コンピューターの価格が更に安くなり、導入のハードルはどんどん低くなっていった。今まで課題となっていたネットワークも、価格が下がっただけではなく、速度も改善されていった。
コンピューターの利用台数が膨大となり、コンピューター内にアプリケーションやデータをすべて入れ込んでおくことが困難となった。この問題はウェブブラウザーによって解消される。ウェブブラウザーを通じてアプリケーションやデータを持つサーバーへアクセスすることで、すべてのコンピューターにアプリケーションやデータを配布しなくても良くなったのだ。しかし、サービスがどんどん増えていったことで、多くのサーバーが乱立する事態となり、今度はサーバーをいかに管理・統合していくかが課題となった。
この課題の解決作というものが、「クラウド・コンピューティング」だ。ネットワークが高速になることで、世界に分散してデータを持つことが可能になってきたのだ。巨大なクラウド・サーバーがあれば、結果的にはスッキリすることになる。現在のAWS がこれに当たり、各社が競争はしているが、寡占化が進んでいると言える。
レンタルするという意味では、クラウドもレンタルと同じだ。しかし、クラウドには使いたいときに使いたい分だけ使えるという定義があるため、レンタルサーバーとは異なるサービスとして分類されている。
クラウドサーバーは、同じスペックのレンタルサーバーや専用サーバーと比較すると、割高に価格設定されていることが多い。そのため、継続的に利用すると料金が高くつく可能性がある。しかし、メリットである「コストの最適化」によって、クラウドサーバーを継続的に使用しても割安になる場合もあるため、総合的にどのくらい費用が掛かるのかあらかじめ確認する必要がある。
(会報誌『JAGAT info』 2018年2月号より抜粋)