今回は「リチウム電池」について考える。
JAGAT 専務理事 郡司 秀明
リチウム電池
旭化成名誉フェローの吉野彰氏が2019年のノーベル化学賞を受賞した。日本の学校教育は批判されがちだが、韓国や中国に比べると「まったくダメだ」というレベルでもないようである(韓国の方が日本より詰め込み主義らしい)。
吉野氏は小学生の時にマイケル・ファラデーの「ロウソクの科学」を読んで、科学に対する興味を膨らませたと言っている。吉野氏と比べるべくもないが、私も少年時代には「相対性理論のなんちゃら」的なブルーバックスをよく読んだものだ。
日本の受験勉強システムの中でも、理系の参考書の中には名著と言われるものがあり、著名な数学者や物理学者が実際にペンを持って書いている(実際は「部分もある」という程度だと思うが)。特に「大学への数学」などは、現役の数学教師が趣味で問題を解いているくらいだし、この雑誌で数学力、数学的センスを磨いた学者も少なくない。
昔ながらの中学校には理科準備室が理科室の隣にあって、そこには理科好きの学生が風変わりな理科教師の回りに集まっていたものだ。今考えると、昔は風変わりといえそうな理科教師がゴロゴロいた。スポーツも楽しいが、理科が好きな学生は理科教室に、音楽が好きな学生は音楽室にたむろしていたものだ。
さて、吉野氏のノーベル賞受賞理由のリチウムイオン電池だが、世の中を変えたものとして、この電池の存在は大きい。
電池と言えば昔は「マンガン電池」で、小さい単三電池などは直ぐに電気がなくなってしまった。それが「アルカリ電池」になって、驚くほどのハイパワーにビックリしたのは私だけではないはずだ。電池の基本はマンガン、アルカリ共に、正極には「二酸化マンガン」負極には「亜鉛」を使用しており、違いは材料の量や形、部品そして中のつくりとなる。確かにアルカリ電池はハイパワーなので使い道は多いのだが、時計のように少量の電気を長く使うものや、たまにしか使わない携帯型の(イヤホン)ラジオなどでは、かえってマンガン電池の方が長持ちする場合もある。休んでいると電力が回復したりするのがマンガン電池の特徴だからだ。
ラジオもスピーカーでガンガン聴くのはアルカリ電池が向いているが、少量の電気しか消費しないイヤホンではマンガン電池で十分だ。消費電力の少ない時計やリモコンなどには、安価なマンガン電池が向いている。
生活スタイルを考えたリチウム電池
しかし、これらの電池は充電できずに消費(放電)するだけだった。充電できる電池は三洋電機の「ニッケルカドミウム電池(ニッカド電池)」ぐらいだったが、パソコンやスマホが一般的になり、大容量の電気を携帯で使用するようになると、充電ができてかつ大容量の二次電池(充電可能、充電と放電を繰り返せる)の実用化が急がれた。
MacintoshはノートPCがヨチヨチ歩きの時から充電タイプのニッケル水素電池を搭載したノートが普及していた。当時はディスプレイも白黒液晶だったが(省電力)、それでも直ぐに電池がなくなってしまうので、私のようなモバイル好きな人間は、ニッケル水素電池を何個も持ち歩いていた。
そして横綱、リチウムイオン電池の登場だ。この電池の登場なくしては今のスマホはなかったし、電気自動車だって現実のものとはならなかっただろう。軽い割に大容量で、充電も可能ときたら、スマホにはうってつけだ。
元素記号を覚えるのに「水兵リーベ僕の船」と暗唱したものだが、水素の次がヘリウムで、この二つは気体なので、その次のリチウムが金属となるが(べはベリリウム)、ダントツに軽い金属ということになる。リチウム電池の開発当初は負極に金属リチウムを使い、現在使用されているリチウムイオンバッテリー(二次電池)に対して、充電できない一次電池をリチウム電池と呼んで区別するなどしている。吉野彰氏はこのタイプではなく、正極にリチウム遷移金属複合酸化物を使用し、負極に炭素材料を用い、電解質に有機溶媒などの非水電解質を用いたリチウムイオンバッテリー(二次電池)の基本を開発したということでノーベル賞を受賞したのだ。
リチウムイオンが正極と負極の間を行き来して、放電や充電を繰り返せるということである。リチウムイオン電池はまだまだ開発途中であり、今後、画期的な製品も生まれるはずだ。そうなれば太陽電池や家庭用風力発電も現実味を帯びてくるだろうし、電気自動車も本格的に実用化するはずである。
(JAGAT専務理事 郡司 秀明)
(会報誌『JAGAT info』 2019年12月号より抜粋)