今回は「エコーチェンバー」について考える。
JAGAT 専務理事 郡司 秀明
エコーチェンバー
JAGATでは、この10年くらい(特にここ2〜3年)「意味のある印刷物しか残らないのではないか?」と言い続けている。「意味のある」とは、内容はもちろんだが、デザインや紙質、表面加工などによる質感も総合的に含まれる。しかし、JAGATが切望しているのは、あくまで「印刷物の内容で勝負したい」ということである。
コロナ禍で、商業印刷は惨憺たる状況なのだが、出版印刷は巣ごもり需要のおかげで良いニュースも多い。その代表格が『鬼滅の刃』(以下、『鬼滅』)だ。印刷業界は出版に一家言ある人が多いので、『鬼滅』のヒットについて議論することも多い。特に、業界誌の記者・編集者には、文学系の編集者を目指していた人も多いので、小説(や漫画)の評価について語る方が多く、最近は『鬼滅』についてよく聞く。「テレビアニメは『?』だが、映画はよくできている」という意見が多い。確かに、劇場版の「無限列車編」はよくできている(方だ)が、「名作」と並び称されるレベルか?というと疑問が残る。
他方でマーケティングの専門家は、この『鬼滅』の大ヒットは出版社サイドのマーケティング戦略の勝利だと分析している。従来の漫画のマーケティングは“短距離”勝負が普通だったが、『鬼滅』は8カ月から1年という“中距離”マーケティングでの初めての成功例とのことだ。
さて、今回のテーマは「エコーチェンバー(現象)」である。エコーチェンバー現象とは、自分と同じ意見があらゆる方向から返ってくる「反響室(もともと物理実験でエコーチェンバーというと、残響室のことをいう)」のような狭いコミュニティーでは、同じような意見を見聞きし続けることによって、自分の意見が増幅・強化されてしまうことを指す。もともとインターネットは、情報が管理されている独裁国家でも海外の民主的な意見がスルーされて(漏れ聞こえて)入ってくるので、情報統制は難しいとされてきた。しかし、情報バブルと呼ぶべきだろうか、このエコーチェンバー現象は、SNSをはじめとした民主主義を象徴するインターネット上で起こるのだ。
例えばトランプ前大統領の支持者同士のSNSでのやりとりなどは、エコーチェンバー現象そのものである。これまでの政治変革でも、たびたびこのエコーチェンバー現象が観察されている。こうして考えや思想を同じくする人々がインターネット上で強力に結びついた結果、異なる意見を排除した閉鎖的で過激なコミュニティーが形成される。この現象は、サイバーカスケード(cyber cascade)とも呼ばれている。
また、インターネット上では、各人に最適化された広告やコンテンツが表示されるようになっている。つまり、インターネットのフィルターに牛耳られており、無意識のうちに似た情報や視点に囲まれてしまうのだ。これはフィルターバブルと呼ばれているもので、検索エンジンなどで興味のあることを検索しようとすると、過去の閲覧履歴などから予測変換されたり、欲しいものを自動的に検索・表示してくれたりする(GoogleやAmazon、Facebookはこの最右翼)。これは、裏を返せばGAFAが意図的に情報を操作できることの証でもあり、国家から恐れられている根源でもある。
このようなことは、インターネットのようなプル型メディア(久々に使った単語)では往々にして起こりがちなことだ。いわばインターネットの影の部分だが、使いようによっては光にもなり得る(と信じたい)。そして印刷にも、似たような状況はあるのではないかと思う。
エコーチェンバーの問題点は、常に同じ意見を見聞きしていると、それ以外の認識が間違っているように思えてくることだ。フェイクニュースだったり、倫理的に考えておかしいことだったりしても、本人たちは「正しい」と思ったままなのだ。
『鬼滅』は上手にマーケティングされたコンテンツだという分析にも頷ける部分は多い。似たような話では、AKB48の握手会的なものもそうであろう。握手会と称して音楽産業の一翼を担ったということは言えても、これが音楽産業全体を左右する存在という認識には疑問が残る。また、握手会に並んでいるファンに対して「こんなことばかばかしくないですか?」と理屈をこねても、意味のないことである。
それは、『鬼滅』にも同様のことが言えるわけである。コロナ禍で他に何も楽しみがないので、一人で何度も映画館に訪れている人が多いのだ。多かれ少なかれ、ブームの映画は一人で何回も見ることが多いと思うが、『鬼滅』の場合はコロナ禍という特殊事情とエコーチェンバー現象とで、これがかなり増幅されたのではないかと感じている。
(JAGAT専務理事 郡司 秀明)