否応なしに加速するデジタルシフト、後戻りはできない

掲載日:2021年9月7日

「週刊文春」は8月26日号をもって電車内の中吊り広告を終了した。呼応するように「週刊新潮」も9月末の発売号での掲載中止を発表した。両誌とも、車内広告コストを電子出版やデジタルコンテンツに振り向けるとのことだ。中吊りを雑誌文化の一つととらえる向きもあるが、デジタルシフトはある意味非情ともいうべきスピードで文化をも破壊して進展し、このコロナ禍でますます加速していくだろう。

当時、あまり大きな話題になった記憶はないが、「週刊現代」と「週刊ポスト」は、数年前すでに中吊り広告を終了している。「文春」「新潮」の終了で、週刊誌の発行部数トップ4すべてが撤退してしまうことになる。根本の要因は広告媒体としての効果が薄くなってきていることだろう。

そもそも電車内を見渡すと、誰もがスマホに夢中になり、顔を上げて上方を注視する人は少なく、中吊りなど目に入ってこない。また、かつては週に一度、中吊りで知った政治や芸能人のスキャンダル、ゴシップは、今やそのスマホに飛び込んできていつでも確認できるのだ。あらためて紙からデジタルへのシフトは加速していると感じる。

実は、最初に“電車から中吊り広告が消える”と話題になったのは、2014年に山手線の新型車両E235系の導入とともに、車内はデジタルサイネージ化され中吊り広告はすべて廃止すると発表されたときだ。
ところが2015年に実際に運行が始まったときには、中吊りは残されていた。その最大の理由は雑誌社を中心とする広告主が、中吊りの存続を望んだからということだ。
その時点では広告媒体としての価値を大いに認めていた彼らが、わずか6年の時を経て不要の判断を下すことになったのだ。
ちなみに、2017年に西武鉄道の40000系電車で、車内はすべてデジタルサイネージ化され中吊りの廃止は実現している。

話は変わるが、昔、といっても50数年前までは、誰もが簡易に計算ができる道具としてそろばんを使っていた。そろばんを使いこなすためにはそれなりの時間と訓練が必要で、その努力は大事で尊いものかもしれない。しかし、電卓の登場によってそろばんはあっという間に駆逐されてしまった。科学の進歩はこうした本人の努力とは関係のないところで進み、非情にもそろばん文化を破壊してしまう力を持っている。
山本夏彦ではないが、デジタルが「なかった昔にはもどれない」のだ。

コロナ禍によって、我々はニューノーマルというこれまでとは大きく違う環境や価値観の中で活動を強いられ、ビジネスの場においてもグレートリセットともいうべき変革が起こりつつある。それらのベース、インフラとなるデジタル化への取り組みは強化され、デジタル・トランスフォーメーションがあらゆるところで進む。
たとえ人それぞれに、さまざまな想いや思惑があろうとも、その方向は誰にも止められないし後戻りもできない。場合によってはこれまで築き上げてきたものや努力が、瞬時に水の泡と消えてしまうかもしれない。

しかし、われわれはデジタルシフトに対峙したり逆らったりするのではなく、うまく取り込み付き合っていくしか道はないであろう。繰り返すが進歩、進化は非情に進むのだ。
組織や企業にとっても、加速するデジタルシフトの中で、どのようにチャンスをとらえビジネスを展開していくのか、転換を図っていくのかがafterコロナ時代の大きな課題だ。

ここであらためてジョー・ウェブ博士の著書『未来を創る』(JAGAT刊)の中の言葉を思い出す。「印刷物への愛や重要性について語るのはもうやめよう」・・・すなわち固定化されたマインドセットからの脱却が未来を開くのだ。もはやノスタルジーに浸っている暇はない。

JAGATが発行する『印刷白書2021』(10月下旬発行予定)では、特集に「with/afterコロナの印刷ビジネスを考える」を取り上げ、コロナ禍がもたらした業界の変化とこれからのビジネス戦略について考察する。
また、印刷と密接な関係にある広告業界、出版業界をはじめとする関連業界の現状と動向についても毎年取り上げている。
ニューノーマル、デジタルシフトが加速する時代にどのように向きあていくべきか、ヒントを得る一助になるものとご期待いただきたい。

(JAGAT CS部 橋本和弥)

 

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