カシオ計算機がオリジナルG-SHOCKのレストアサービスを始めた。レストアとは英語の“restore”のことで、意味は「元通りにすること」である。
レストアサービスといえば、代表的なものに自動車がある。自動車愛好家にとって例えば日産スカイラインは特別な車で、往年のスカG(スカイラインGT)にさっそうと乗りたい人が多く、レストアサービスが盛んだ。なお、自動車のレストアは、経年劣化した車両を新車同様の状態に復元して新品同様にすることで、オーバーホール(分解検査)とは異なる。
カシオ計算機のニュースリリースによると、2021年10月5日より、1983年に発売した初代G-SHOCK「DW-5000C」など8機種を対象としたレストアサービスの受け付けを開始した。ベゼルとバンド、電池を交換して料金は1万560円(税込)。2022年1月18日までの期間限定で実施する。G-SHOCKがこれほど長い間、世界的人気商品になるとは思わなかったのか(?)、樹脂ボディ用の成形金型を残していなかったようで、本物から新金型を起こしてからのレストア作業となったようだ。金型を新しく、それも現物商品から作るのは大変だ。
今号ではレストアサービスについて語りたい。私は1980年代にイギリスに駐在していたのだが、そのころのイギリスは古き良き時代の大英帝国への懐古趣味であふれていた。確かに古いモノ(年代物のブリティッシュ家具など)をリペアした方が、最新式より品質も良かったのだが(詳しくはP.34「専務のつぶやき」で触れることにする)、映画「アラビアのロレンス」のT.E.ロレンスにちなんだ“Lawrence”を出し、バイクのロールスロイスといわれているブラフ・シューペリアは、フランスで新品をいまだに製造している。日本でレストアサービスがはやること自体は、良いことなのか、若干疑問は残るのだが、日本も曲がり角を曲がってしまったのだと痛感する、エポックメイキング的な出来事である。
さてG-SHOCKだが、カシオ計算機の設計担当である伊部菊雄氏が腕時計を壊してしまったことをキッカケに、「絶対に壊れない腕時計を作ろう」と商品企画担当の増田裕一氏、デザイン担当の二階堂隆氏と共同で開発した腕時計だった(みんな20歳代の若者)。実験方法も昭和的で、3階のトイレの窓から落として壊れないようにしたとか、実に昭和だ。
日本の高度経済成長時代を含む昭和の時期には、「安かろう悪かろう」な製品も数多く生まれたが、良いものも多く生まれた。ホンダ(HONDA)だって毎週土曜日の夜に本田宗一郎氏が若い者を引き連れて、池袋(本田技研工業は東武東上線の和光が研究開発の本拠地)で飲みながらアイデアを生み出していたのだ。もちろん酒のつまみは「夢」で、その究極がロケットだった。現在のHONDAはライバルの挫折を横目に、ホンダジェットなどで宗一郎の夢を花開かせている。
小学生のころ、私も夢中になったスカイラインの生みの親・桜井眞一郎氏の話は、有名になり過ぎて作られた感が強過ぎる。今となっては、ライバルであるセリカの技術者たちの方が、車への情熱を感じる。これは、自分が歳をとったからなのだろうか? ランドクルーザー(ランクル)の開発物語も、技術者の車への愛を強く感じる。中東の金持ち御用達の完全冷房付きの防弾仕様などは『ゴルゴ13』でおなじみだが、防弾以上にタフさや乗り心地の良さなどの実用性こそがランクルの真骨頂だ。もちろんSONYのウォークマンなどは、iPhoneにまでつながる画期的な商品だった。
G-SHOCKは苦労の末に、当初の目標であるトリプル10(10m以上の高所から落下OK、10気圧以上の水圧OK、電池は10年以上持つ)を達成し、そしてアメリカで販売するためにカシオが採った戦略は、テレビCMでアイスホッケー選手にG-SHOCKをパック代わりにシュートさせるというものだった。しかしアメリカでは誇大広告として問題になり、テレビ番組で実証実験することになった。だが、その結果はプロホッケー選手がシャカリキに壊そうとしてもビクともしなかったのだ。テレビ局も必死で、トラックのタイヤでG-SHOCKを踏み付ける実験まで行ったのだが、これも頑としてはねのけてしまった。
その結果、G-SHOCKはアメリカ海軍特殊部隊(Navy SEALs)に正式採用されるまでになり、さらに世界中の軍隊や警察などでも採用され、その名声は不動のものとなった。ハリウッド映画にも数多く登場し、スターにも個人的に使用されるまでになったのだ。昭和の時代には、こんなとんでもない商品が数多く作られたのだが、話はさらに「専務のつぶやき」へと続く。
(専務理事 郡司 秀明)