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カラースキャナ創世紀の素描(2)―失敗に終った優先発明

※本記事の内容は掲載当時のものです。

このルーツから製版印刷用走査機械という、一本の枝が分かれ出た。

 その枝は当時のマーケットに対応する凸版彫刻機となって伸びようとした。この枝を生やした木とは別の地面に、ひこばえがそれ以前に生えていた。光電変換器がこの世に生まれる前の、そのひこばえは機械的に単線やハーフトーンを刻むというもので、C・G・プチは1878年に、石膏のレリーフにV字形の彫刻針で線を彫る機械を考案した。また、N・S・アムスツッツは、1899年に重クロム酸ゼラチンレリーフを、円筒に巻きつけ、やはりV字針で彫刻する、アクログラフという機械を設計した。光電池や光電管の発明で、こういった構想は一挙に走査彫刻の観念に飛躍した。単線や網点を円筒式走査機械で彫刻する発明は、魅力ある課題として多くの発明者をとらえた。アメリカの新聞記者ハーウェイ(W.Howay)という人は、電送写真の機械にヒントを得て、そのよな彫刻機の発明にほとんど後半生をうちこんだ。G・ワシントンも発明に苦心した。ハッシングとニースソンは、1938年に始めて実用の線に手のとどく機械を作った。

 ファクシミリから分かれた枝のひとつは、アメリカのフェアチャイルド会社のスキャナグレーバ(1948年)とドイツのドクターヘル社のクリッショグラフ(1953年)で完全に逞しい大きい幹に育ち、この幹から原色版彫刻機バリオクリッショグラフが生まれ出るにおよんで、それはみずみずしい緑葉をひろげ香わしい花を咲かせた。

 だがこの幹は原色版の凋落とともに、養分の吸収管が枯れ、生々と繁っていた葉はうちしおれた。

 しかしながら、その枝からまた一本の小枝が生えた。グラビアシリンダ彫刻機である。これはヘル会社のヘリオクリッショグラフになり、このほうは元枝をしり目に太く育っている。

 その製版印刷用の枝に、別の分枝が頭をもたげ出した。カラースキャナである。光電管がある、電子工学が発達していく、印刷原稿としてカラーフィルムの応用が発達していく、印刷原稿としてカラーフィルムの応用が増大する、オフセット印刷は印刷の第一勢力をめざす勢いで成長している・・・・この新しい芽にあり余るほどの養分が流れ上がってくるのに、十分すぎるほど肥沃な地盤が醸成された。

 すでに電送写真装置があり、その分流である写真版彫刻機の発明や特許が数しれぬほど知られている。カラー原稿を走査して色分解を行い、あるいはカメラ分解ネガを走査して、色を補正する走査機械が、だれかの頭に宿るための道具だては揃ってきた。

 発見や発明は、ふしぎと二人とか三人とか、まったくたがいに、無関係な複数の人間によって、期せずして同時に行われるという例が多い。

 バイオリズムという言葉を聞いたことが多分おありだろう。人間には、身体の調子と、感情と理性と3つを支配する周期があり、たとえば身体の調子は23日の周期で、S字を寝せた形の曲線をつくり、一本の水平線がS字の中央を水平につらぬく。この中央線から下にカーブがある時期は、身体の衰えをあらわし、上にある時期は体調快調である。Sカーブと中央線が交わる日、これが要注意日で病気になったりする――と、まあ、これは主張者の説である。

 この説を全くばかにする学者もあるが、非常に信ずべきものとする学者も多い。アクシデントとバイオリズムの関係は、おそろしいデータをもって証明されている。アメリカの飛行機事故13件を調べたら10件がパイロットか副操縦士の要注意日であった。2件の汽車の正面衝突事故も、運転士たちの要注意日であったという話が、アジア版リーディ誌にのっていた。

 このバイオリズムが、ドイツの医者フリース博士と、オーストリアの心理学者スウォボダの2人によって、同時に別々に考えられたというのである。しかも2人の考えた周期日数はピタリ一致していた。

 カラースキャナの発明が、やはりダブルヘッドなのである。というよりか、どちらも2人とか3人がチームを作って取りかかったもので、チーム間の競争という形になり、あとでは会社対会社の競争に発展した。そしてひとつのチームの着想は成功し、もうひとつのチームと会社は惨敗してしまった。着想の時代はどちらも1930年代の初期から中頃と推定される。

 1つのチームは、マサチュセッツ工科大学の教授で、色彩学の世界的権威ハーディ(A.Hardy)博士と、インターケミカルという大きい色材会社のワーズバーグ(L.Wurzburg)という人たちである。この人たちの最初のアメリカ特許申請は、1936年9月に受付けられた。カラースキャナに関するものとして最もはやいもののひとつである。このチームはいくつも特許を出して、考えを変えていった末、1940年に一台の走査機械のプロトタイプが作られた。

 この機械は平面走査式のもので、カメラで分解した連続階調値ネガから、ポジにかえして、このポジを3つの平盤ベッドにとりつける。その上には3個の光電管を付けたベッドがある。平らなベッドは前後左右に運動するから、ポジを下から照らした光で走査され、光電変換された電流はコンピュータで修整される。もう1枚の盤に感光板をとりつけ、光源で露光して修整された1色分のネガを手にする。それだから4色分修整するには、この運動を4回くり返さなければならない。しかも、そうして作ったネガからは、カメラで網ポジや網ネガを作る必要がある。

 それもこの機械の運動が早ければよいのだが、この試作機4色分露光するのに、4時間以上もかかったというのでは話にならない。これはインターケミカル・スキャナと呼ばれた。

 この発明は1951年にRCAという、大電子機械会社にバトンタッチされた。RCAは全く機構を一変して、2個のブラウン管と、複雑きわまる電子回路からなるシステムを作った。

 だがその機械も売品にこぎつけるところまではいかず、5年ほどたってから、R・R・ダンレーという世界一の印刷会社に遺骸を引取らせた。ダンレーという会社は、革新技術ならなんでもござれととびつく会社だが、このスキャナばかりはもてあましたようで、それから音沙汰をきかなくなった。つまりこのチームの発明はみのらなかったのである。
『印刷発明物語』(社団法人日本印刷技術協会,馬渡力)より

2002/09/30)(印刷情報サイトPrint-betterより転載)

カラースキャナ創世紀の素描(1)―カラースキャナのルーツ

※本記事の内容は掲載当時のものです。

エレクトロニックスを応用した、製版・印刷用の装置や機械のうち、爆発的なひろがり方をみせているのがカラースキャナである。カラープリント市場の急速な成長が、スキャナの流行の動因となり、精巧で美しいプリントの製作所要時間が、スキャナによって一挙に短縮され、それが市場にフィードバックされて、いっそうカラープリントの増加を促進する。この循環相互作用が、進歩した能率的生産設備に出費を惜しまない、わが国の印刷者たちの間に、スキャナ・フィーバーのうずを巻きおこした。

私が1976年、「印刷雑誌」にカラースキャナの入門記事を連載した頃、概算400台のスキャナがわが国にあった。それが一冊の本にまとめられたとき(1978年)600台にふえていると予想されていた。1000台の大台に乗るのはそう遠い日のことではあるまい――日本印刷技術協会の「プリンターズ・サークル」という雑誌に、私はこう書いた。

1980年7月に、電子製版協議会が行った精密な調査報告は、全国に1014台のスキャナがあることを、都道府県別、機種別のデータとともに公表した。

その後も毎月かなりな台数が設備しつづけられているから、この本が出版される頃には(*1981年)、1500~1600台や2000台近い数にもなっているかもしれない。

おそらく、カラースキャナの保有数では、日本が世界第一であろう、業者も私もそう信じてきた。アメリカはながいあいだ、スキャナの取入れを逡巡し、かれら自身保有数で日本にはるかに及ばないと、しばしば述べていた。西ドイツは元来保守色の濃い国で、新技術の採用に果敢な態度を示さない。

カラースキャナは大戦後に出現した。その歴史は浅い。それなのに、スキャナの歴史を書くことはかなり骨が折れる。それは資料がないとかとぼしいことによるものではなく、反対に材料が多すぎるのである。なかには、朝露のようにはかなく散ったものもあり、名乗りだけあげながら、ついに実体が完成しなかったものもある。そのようないわば虚の座標の中にあるスキャナは、実用という立場からは無視できる。しかしいやしくも歴史を書かねばならない者は、そのような今では忘却されてしまった遺跡の存在を看過して通ることができない。激しい流転がめまぐるしくつづいたこの三十年間ほどの間の、カラースキャナの興亡は、じっくりとりくんで調べると、ひとつのおもしろい技術史の断片を描くことになると思う。

しかし、いま私はそれだけのひまと、そして十分な資料とをもっていない。この文章はその創世紀時代のスケッチである。

 ここでカラースキャナ(color scanner)という名で呼ばれる機械の概念を明確にしておく必要がある。それは広義には電子彫刻機やカラー分解機や色修正機、あるいは遠隔通信用の色走査機など、電子的に色原稿を走査(スキャンニング)して、種々の出力を得るシステム類を総称する。

現在ではこのような広い概念を、カラースキャナの名に適用することはふさわしくなく、もっと狭義に、製版用の原稿のカラー分解をする電子的機械というものと考えられるようになった。すなわち、カラー原稿を光で走査し、原稿を透過した光、あるいは、原稿から反射された光を原色光に分色し、その各色光を光電管で光電変換し、この電流を増幅しコンピュータで、種々調節処理して、終局的には露光用光源の光力を制御して、感光材に露光して、色補正その他もろもろの複製上の条件を満足する色分解画像を手に入れる、そのために使う機械であると。

スキャナの偉力の中心は、そのコンピュータにあると考えている人が多いし、確かにそういえるが、光電管のほうがスキャナの心臓である。光電管なくスキャナの実現はありえなかったであろう。初期のカラースキャナに使われているコンピュータは、アナログ・コンピュータで今もてはやされているデジタル・コンピュータとは違うことを注意しておく。

広義の光電効果――光と電気との相関関係は、1880年に発見されたという。そのはじめは光電池という、素朴な光電変換器であったが、1930年頃ようやく、真空管の形の精巧な光電管が作られ、たちまち改良されて現在の二次電子増倍管(ホトマル)にいたった。この増倍管ができて、すべての精巧な光電変換に基づく機械類が発達することができたのである。

 一方、対象を光で走査して、イメージ作成を行おうというくふうは、19世紀中頃、現在ファクシミリと総称されている機械の発想として生まれた。その基本的な発明者はA.ベインで、現在の走査という概念を確立したのはベークウェル(Bakewell)という人であったという(1847年)。

ファクシミリは電送写真(最初の電送写真装置は、エドアルド・ベリン(E.Belin)によって、1921年に作られた)や、模写電送、新聞紙面画像の電送、事務用ファックスと多角的に発展したが、カラースキャナのルーツも、このファクシミリである。

『印刷発明物語』(社団法人日本印刷技術協会,馬渡力)より

(2002/09/30)

(印刷情報サイトPrint-betterより転載)

印刷発明物語 まえがき

※本記事の内容は掲載当時のものです。

印刷発明物語(発行:社団法人日本印刷技術協会,1981年)は社団法人日本印刷技術協会刊行の「プリンターズサークル」(月刊)の、1977年7月号から81年2月号まで、26回にわたって連載されたものを、一冊にまとめたものである。

この連載の間およびその後に、多くの知見を得たので、原文に加除訂正の斧鉞を加え、大はばに書きかえを行った部分や、削除した章もあって、原文とはかなり異なったものとなっている。誤りはできるだけ訂正して正確を期したつもりであるが、私の不勉強からまだ多くの過誤が含まれているかもしれない。

 この本は体系を組んだ歴史書ではない。思いつくままに、一つ一つの主題について、その発明のいきさつを述べたものであるから、時系列からみての前後撞着があり、一貫した印刷技術の史的変遷を展望するのには役立たない。そのことははじめから承知のうえで、とりかかった仕事である。

しかし、一般に技能者や技術者が軽視しがちな、歴史にかれらをなじませ、その理解がけっして徒事ではないことを悟らせたいという願望から、私としてはできるだけ興味をそえる努力をはらったつもりである。

また、これまでわが国で刊行されている印刷技術史書に見出される不当な記述や、誤解されている事実についての訂正にも留意した。

読者対象を印刷関係者として書いたので、いきおい技術の枝葉末節に入りこんで、煩瑣な事項を収録しすぎたことが気になる。もっと思いきって剪定作業を行うべきであったと思う。もし印刷に無関係な奇特な方が、この本をお読み下さるばあいは、無水平版、カラースキャナ、フォトレジスト、PS平版プレートの各章はとばして頂くとよい。

世の慣習にしたがって、文中人名に敬称を省略した点おわび申しあげる。

 ハウツーもののように、読んですぐさま何かの役にたつ種類の本と違って、この本はいわば閑時の書、無用の用といった性質の本である。したがって大きい需要があるとは思えない。にもかかわらず、あえて一書にまとめて出版を企画された協会と、煩瑣な仕事に携わられた同協会編集部の厚意に対して、心から謝意をあらわしたい。

著者 馬渡 力

1981年7月21日

(2002/09/04)(印刷情報サイトPrint-betterより転載)

軟包装について教えてください。

※本記事の内容は掲載当時のものです。

ナンデモQ&A:特殊印刷

Q:軟包装について教えてください。

A:基礎となるデザインについてはメーカー側が制作します。印刷会社は受け取った原稿をグラビア印刷で再現する為に加工を施し、分版作業をすることになります。商品の訴求性を高めるためにユーザーの欲するデザイン再現を常に考えなければなりません。 顧客のニーズをいかに形にしていくかということです。 

 軟包装の印刷素材はPET、OP、ナイロン、セロハンなどが代表的なものです。軟包装は内容物の保護という問題があり、その要求を満たさなければなりません。内容物・食品のライフ・流通形態・デザイン性などを考慮する為、材質構成は多岐にわたっております。
 包装の中身にはレトルト食品から乾き物など様々なものが充填されていて最終的に袋にしないといけません。充填されるものによって、材質構成は単層から複層と変化し、要求物性に応じて貼合するフィルムの内容も変わってきます。袋にするためにはフィルム同士を接着させないといけません。接着させる素材としてポリエチレン系のものとポリプロピレン系のものがあり、熱を加えて樹脂を溶かして接着します(単層の場合は、接着部のみ接着剤をコートする場合もあります)。

 食品包材は、食品衛生法、食品包装材料印刷インキに関する自主規制(NL規制に基づく)など衛生基準に適応した材料を使用します。  使用するインキ、素材の組み合わせにより、色の見え方も変わってきます。版校正はカラープリンタ(フィルムに出力)を使用することが多く、ある程度の色の方向性を確認します。色校正は版を作成して校正機を使用する場合もあります。  隠蔽をもたせるための白インキ、金インキ、銀インキ、パールインキ、などの特色は制約事項があります。そこは営業がすべて把握しているわけではないので、技術・工場がバックアップして顧客と交渉することになります。

 印刷は最低でも2000メートルは印刷します。商業印刷用のオフ輪は最近のコンピュータ技術により自動化・プリセット機能が進み以前は7万部以上という大量生産向けの機械であったが、今では1万部以下のロットにも対応できています。しかし、グラビアの輪転の場合は今のところ大きな変化はないようです。
 世の中の消費者のニーズも多様化しており、メーカーとしては商品が売れるかどうか判断しにくく、メーカーが力を入れたからといって決して売れる時代ではありません。逆に力を入れないものが売れることもあり、先をよめむのは難しいです。
取材協力:㈱千代田グラビヤ      URL http://www.chiyogra.co.jp/ 

 

(2007年7月2日)
(印刷情報サイトPrint-betterより転載)

スチール(金属)缶の印刷方法と特長について教えてください。

※本記事の内容は掲載当時のものです。

ナンデモQ&A:特殊印刷

Q:スチール(金属)缶の印刷方法と特長について教えてください。

A:金属スチールへの印刷は意匠性、美麗性、機能性がありリサイクルできる環境に優しい金属製品(容器)であることが特長です。素材が金属のためインキ・塗料を全く吸収しないので焼付けや速乾性が求められます。印刷・塗装した後、鋭角な折り曲げ・ロール成型・穴あけなどの加工があります。デコレーション(デザイン性)を有する製品であるため金属と塗料との密着性、加工性、表面硬度・光沢・耐摩擦性などの塗膜性能が必要です。

金属原板はSPTFS(ティンフリースチール)、SPTE(ブリキ)などがあります。その選択は印刷被膜機能および印刷外観表現において非常に重要です。それぞれの機能・特性を十分に研究して使用することが望まれます。その成分および規格は、JISG3303によって規定され、新日本製鐵、JFEスチール、東洋鋼鈑の大手メーカーで製造されています。

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プリプレス工程では、通常印刷業界で使用されているソフトで制作され、特別のものを使用しているわけではありません。金属オフセット印刷に使用される原版のスクリーン線数は被印刷体の種類によって異なることはありませんが、175線以上になると網点再現性が劣るため、現在は150線が一般的に使われています。

刷版について、金属印刷はアナログで行われていましたが、最近はデジタルに移行しています。CTPになったからといって金属刷版の専用出力機ではなく一般の紙への印刷に使用する出力機を兼用しています。通常の平版オフセット印刷と同一で、AL板へ感光剤を塗布したPS版を使用しております。

色校正についてはケースバイケースですが、平台校正機または本機校正で行います。尚、平台はブランケットがあるが、圧胴がなく版と板をテーブル上に固定して印刷しています。

印刷方法は、金属原板専用の平版枚葉印刷機で印刷されます。使用されるインキはUVインキで紫外線乾燥させる方法と、油性インキで熱乾燥させる方法があります。下版から納品までの納期は20~30日が目安です。

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金属印刷製品(容器)に使用する材料(スチール)は人と自然に優しい製品であり、リサイクル率が85.1%(2008年スチール缶リサイクル協会調査)と他の材料(PETボトル66.3%、古紙74.5%、)と比較すると優れたリサイクル容器であり、スチール缶(容器)は何度でも新たな資源としてリサイクルできます。

分別排出されたスチール缶(容器)は、磁力選別を行い他の材料(AL缶、樹脂)と区別されます。磁力選別されたスチール缶(容器)はプレス加工が行われ、鉄鋼メーカーに集められ圧延(溶けた鋼は圧延機で延ばされる。)され転炉(スチール缶等の鉄スクラップは溶かした鉄鋼石と転炉で一緒になったり、電炉でそのまま溶かされて鋼になる)の工程を経てスチール缶、冷蔵庫、洗濯機等の家電製品、自動車、橋やビルの鉄骨、自転車、講演遊具等、身の回りに有るあらゆる製品にリサイクルされます。

スチール缶をリサイクルすることでスチール缶を新しく作るよりエネルギーの消費が 1/4、CO2の発生を82%減らせ地球温暖化防止に寄与できます。スチール製品は材料、インキ、染料の組合せで種々の意匠(デザイン)のバリエーションの有る製品をつくります。スチール缶(容器)は保全(密封、防湿)、防ぐ(遮光)、守る(耐衝撃)、強い(耐水耐熱)、安心(危険物滴性)の特性を有しています。

取材協力、資料提供:共同印刷(株)

 

(2009年4月6日)
(印刷情報サイトPrint-betterより転載)

GCRとUCRとどこがちがうのでしょうか?

※本記事の内容は掲載当時のものです。

ナンデモQ&A:グラフィックス

Q:GCRとUCRとどこがちがうのでしょうか?

A:GCR(Gray Component Replacement:グレー成分を置き換え)とUCR(Under Color Removal:下色除去)の基本的な考え方は同じです。UCRはシャドー部分のCMYをスミ版に置き換え、GCRがハイライト部からシャドー部、つまりすべての階調部分のCMYをスミ版に置き換えています。このときCMYをどのくらいの割合でスミ版に置きかえるかで細部の再現が変わってきます。 印刷ではCMYKの4色のインキが重なり合ってカラーを表現しています。しかし、特に高速で運転するオフセット輪転機では、重なった網点の面積率の合計がある一定の%以上になるとうまく刷り重ならないという現象が起こることがあります。そこで、CMYで作られるシャドー部のベタを何割か減らしてスミ版に置き換えています。  またUCRは、CMYからB版を差し引いていく考え方で、シャドー部の色かぶりの補正やグレーバランスをとることにも利用されています。  GCRは、CMYで構成されたグレー部分をブラックインキに置き換えます。置き換えた分だけインキは除去され、適当な量のブラックインキが生成されます。これにより、シャドー部のコントラストと細部の再現性がよくなります。 

 

(2001年10月1日)
(印刷情報サイトPrint-betterより転載)

GCRによるカラー印刷再現性への影響やコスト的メリットは?

※本記事の内容は掲載当時のものです。

ナンデモQ&A:グラフィックス

Q:GCRによるカラー印刷再現性への影響やコスト的メリットは?

A:GCRを使うのは、絵柄のグレーをよりニュートラルに表現したいときなどに使われているようです。CMYを重ねて刷るよりも、カラーバランスなどのことをそれほど気にせずに刷れると思います。
日本の伝統的な考え方に基づいて、CMYを刷り合わせてグレーを表現しなければならない物については、GCRはあまりかけられないことにもなります。
また、GCRを掛けると通常のプロセスカラーの総インキ量が300%近くあるのを、相当減らせることができます。つまり、ポスターなどの1枚ペラのものにはさほど影響はないと思いますが、分厚いカタログ類などの場合は重量が減るので郵送料金にも差が出てきます。
しかし、あくまでも絵柄にあわせて、お客さんの要望にあわせて印刷することが重要だと思います。したがって、墨インキが価格が安いというメリットも二義的には考えられると思いますが、メインではないと思います。

 

(2001年10月1日)
(印刷情報サイトPrint-betterより転載)

日本でのヘキサプリンティングの市場について。

※本記事の内容は掲載当時のものです。

ナンデモQ&A:グラフィックス

Q:日本でのヘキサプリンティングの市場について。

A:日本でのHexaCromeの技術を利用した6色印刷の市場規模はどのくらいかという問い合わせがありました。
結果からいいますと、高品位印刷についての市場を捉えた客観的なデータはないようです。
HexaCromeの技術を利用した6色印刷については、アメリカではありますが日本では無いようです。
 7色印刷については、興味をもたれている会社はあるようですが、本当に採用しているのかどうかの確かな情報はありません。
 高精細印刷や、FMスクリーンを使って印刷できる印刷会社はあります。そういう会社では毎月高精細印刷やFMスクリーンの需要はあるようですが、それが全体の何割を占めているか、またどういうものに印刷しているかというデータは公表されていません。
 高品位印刷については、1994年ごろに注目を浴びて、特に高精細印刷やFMスクリーンについて、各印刷会社が新しい印刷技術の波に乗り遅れてはいけないという意識から積極的に取り組んでいた印刷会社が多かったようです。それ以来、取り組む会社が少なくなり、現在にいたっているというのが現状のようです。

 

(2001年11月26日)
(印刷情報サイトPrint-betterより転載)

キャストコート紙に印刷するとインキがこすれて汚くなるのはなぜですか?

※本記事の内容は掲載当時のものです。

ナンデモQ&A:グラフィックス

Q:キャストコート紙に印刷するとインキがこすれて汚くなるのはなぜですか?

A:キャストコート紙の場合、印刷が終わるとビヒクルが用紙に浸透し、顔料が紙面上に取り残されてしまい、その結果顔料がこすれてチョーキングのような現象を起こすことがあります。こうしたケースではインキに約5%ほどニスを混ぜてみると効果的です。
また、1年程経過すると変色することがあります。この現象は、用紙のpHの酸性値が高いために発生することが考えられます。なるべく中性の用紙を使用することをお勧めします。

 

(2001年12月10日)
(印刷情報サイトPrint-betterより転載)

4色のカラー印刷でスクリーン角度を変えることにより色相が変わることがありますか。

※本記事の内容は掲載当時のものです。

ナンデモQ&A:グラフィックス

 

Q4色のカラー印刷でスクリーン角度を変えることにより色相が変わることがありますか。

A:印刷の色の濃淡を表現するには網点の大きさを変えることにより表現しています。その網点は、縦横、水平垂直に規則正しく並んでおり、このことをスクリーンと呼んでいます。
人間の目は、水平方向垂直方向には敏感という特性をもっていますが、斜めにするとスクリーンの並びが人間の目に目立たなくなります。そこでモノクロ一色で印刷する場合はこの角度を45°にして印刷します。この角度のことをスクリーン角度といいます。
しかし、2色以上の色を使って印刷する場合互いに網点情報を持ったスクリーンが重なるとモアレが発生し、スクリーンがお互い平行になったときがモアレが一番大きく、一方を傾けていくとだんだんモアレが小さくなります。一番モアレが小さくなる角度はお互い30°離れたときです。
4色のカラー印刷する場合、4つのスクリーンが重なります。色々なケースがあり一概には言えませんが、よくあるケースとしてマゼンタを45°の角度にもってきてこのマゼンタを中心に30°離してシアン(75°の位置)、ブラック(15°の位置)を設定します。そして、イエローは0°の角度、つまりブラックより15°離しておくことがよくあります。
こうしたかたちで、スクリーン角度を設定してモアレを最小限に押さえています。マゼンタとブラックの角度を交換したときに、印刷物としての色に影響があるか否かという問題については、色の角度を変えることによって、モアレの出方も微妙に違ってくることが考えられますから、部分的に影響が出ることも十分考えられます。ハイライトの部分の色相の変化はあまり目立たないかもしてませんが、中間調からシャドー側にかけて、特にブラックが入っているところは変化が考えられます。
 したがって、各絵柄によって影響が出たり出なかったりするものなので、どのように色相が変わるかはやってみないと判りません。

 

(2001年12月10日)
(印刷情報サイトPrint-betterより転載)