印刷と創造のバトン

掲載日:2021年7月1日

印刷博物館P&Pギャラリーで開催中の「グラフィックトライアル2020 ‒BATON‒」を通じて、印刷表現の魅力と可能性を探る。

凸版印刷は、クリエイターとプリンティングディレクター(以下PD)による印刷表現の実験企画「グラフィックトライアル」を2006年から継続しており、その成果を印刷博物館P&Pギャラリーで発表して国内外の注目を集めてきた。

15回目となる「グラフィックトライアル2020 ‒BATON‒」は新型コロナウイルス感染症の影響で2020年から2021年に延期された。2021年も緊急事態宣言を受けて4月28日から臨時休館となっていたが、6月1日より再開館している。

今回の参加クリエイターは、佐藤卓氏、野老朝雄氏、アーロン・ニエ氏、上西祐理氏、市川知宏氏の5人。テーマの「BATON」をそれぞれの解釈でビジュアル化し、PDとともに印刷手法を探って実験を繰り返した。その成果を反映して各自が5点のポスター作品を制作し、実験過程の解説とともに会場で展示している。

佐藤 卓 氏「みそ汁 Miso Soup」

担当PD:田中 一也 氏

佐藤 卓 氏「みそ汁 Miso Soup」

和食の基本であるみそ汁の豊かさを将来に伝えることをコンセプトに、みそと具材の写真を重ねて紙面を構成した。
鍋に具材とみそを順番に入れていくように、1点ごとに4色刷りを重ね、合計で22〜26色刷りとなった。
シズル感を出すため、大根は四角い網点・粗い線数というように具材によって網点形状と線数を変えている。
完成したポスターは、みそと具材が鍋の中で踊っているような、躍動感と奥行きを感じさせる。

佐藤 卓氏
グラフィックデザイナー(株式会社TSDO)
NHKのEテレ「デザインあ」総合指導のほか多岐にわたる芸術文化功績で2021年に紫綬褒章受章。

野老ところ 朝雄 氏「REMARKS ON BLUE」

担当PD:須江 啓一 氏

野老 朝雄 氏「REMARKS ON BLUE」

野老氏が一貫して追い求める藍色の表現をコンセプトに、百段階の濃度の青で構成されたデータを、さまざまな条件で印刷。
黒い用紙に印刷すると想定外の発色が得られ、透明素材に印刷して幾重にも重ねると青の深みが増した。印刷後に直射日光に近いライトを当てると、イエロー・マゼンタが退色してシアン・ブラックが残り、シアンの耐光性が実証された。
野老氏はこれらの作品を後世に残し、青の強さを伝えたいと語る。

野老 朝雄氏
美術家(TOKOLOCOM)
東京2020オリンピック・パラリンピックエンブレム作者。美術・建築・デザインの境界領域で活動。

アーロン・ニエ 氏「Out of Sight」

担当PD:山口 理一 氏  

アーロン・ニエ 氏「Out of Sight」

既存の枠組みを壊し再構築することから新たな時代が始まるという考えの下、5点のポスターでグラフィックデザインの歴史を表現した。
アナログ印刷の時代からデジタルの台頭、発展、そしてサイバーアートの時代へ。判型はB1規格にとらわれず時代に合わせて変形、色調では特色ブルーの彩度にこだわった。
時代に挑戦してきた先達への敬意と、さらに新しい表現を次世代に引き継ぐ意思を作品に込めている。

アーロン・ニエ氏
アートディレクター(AARON NIEH WORKSHOP)
音楽CD、ブックデザインをはじめ幅広い分野で活躍し、台湾のデザイン界に新風を吹き込んでいる。

上西 祐理 氏「Powers of 10」

担当PD:冨永 志津 氏  

上西 祐理 氏「Powers of 10」

時間の流れをバトンと捉え、そこに次元、ミクロとマクロの視点という要素を加えてイメージを構築した。
印刷表現では光と物質感をテーマに実験を重ね、異世界に入り込むようなイメージのポスターを完成させた。
作品の一つ「ブラックホール」は石の断面の顕微鏡写真を素材に、スミを5回刷り重ねて宇宙の闇を表現。「虹彩/光彩」は目の虹彩をアップで配置し、再帰反射インキ*を用いて、明暗のコントラストを強めた。

* 再帰反射インキ:再帰反射とは受けた光が屈折せず光源に向かって反射する現象。この性質を生かした再帰反射インキは、光を当てると印刷部分が発光するような効果を得られる。

上西 祐理氏
アートディレクター、デザイナー(株式会社電通)
グラフィックデザイン、ブランディングなど多岐にわたる活動で東京ADC賞ほか受賞多数。

市川 知宏 氏「Chrome」

担当PD:高本 晃宏 氏

市川 知宏 氏「Chrome」

フォトグラファーの市川氏は、自らの仕事を次の工程に託すことをバトンと捉え、写真から印刷物を作る過程で生まれる表現の広がりを追求した。
素材に選んだのはクローム製の工具類。同じアングルで設定を変えて撮影した2点の画像をCMYK分版し、一部の版を入れ替えると、絵柄のズレが影響して、モノトーンだった表面に思わぬ色が表れる。
蛍光インキなどを使用し、光のゆらぎを感じるポスターに仕上げた。

市川 知宏氏
フォトグラファー(凸版印刷株式会社)
ポスター・カレンダー、文化財アーカイブの撮影のほか映像制作や3DCGディレクターもこなす。

展覧会ウェブサイトでは、360°バーチャルギャラリーや、ブックデザイナー・祖父江慎氏による音声ガイドを公開している。だから会場に行かなくても概略が理解できるのだが、一方では、ますます現物を見てみたいという思いにも駆られる。印刷物の魅力は、質感、厚み、透過や反射などの物質的な要素にあり、実際に見て、触れることでこそ、その価値が分かるのである。

グラフィックトライアルは、印刷の可能性を社会に広めるとともに、デザイン・印刷に関わる人々に創造へのヒントを提供している。コロナ禍を越えて、トライアルのバトンが次回に受け継がれることを願う。

グラフィックトライアル2020 ‒BATON‒

会期:2021年4月24日(土)~8月1日(日)
会場:印刷博物館P&Pギャラリー
時間:10:00~18:00
休館日:毎週月曜日
入場料:無料(印刷博物館展示室へ入場の際には入場料が必要)
※入館事前予約制
主催:凸版印刷株式会社 印刷博物館
企画:凸版印刷株式会社 トッパンアイデアセンター
後援:公益社団法人日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)

最新情報はウェブサイトでご確認ください
印刷博物館P&Pギャラリー企画展「グラフィックトライアル2020」公式サイト

(JAGAT 研究調査部 石島 暁子)

会員誌『JAGAT info』 2021年6月号より一部改稿

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