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検索エンジンも元情報がなくなると効かないので、誰かが残す価値を感じたものは置いておく構造を社会的に決める必要があるだろう。
40年ほど音楽活動をしていた人のMySpaceを久々に見にいったら、1月に亡くなっていたことがわかった。ホームページは生前のままで、ただ追悼文があった。まだこのページのビジターは途絶えることはない。サービスの運営者としては生きていても死んでいても仮想でも実在でもアクセスさえあればいいのかもしれないが、しかしいつまでこのままであるのだろうか?
現在のWebの大多数のページは10年ちょっとくらいの歴史しかない。だいたいサーバ自体が10年もつことは稀なので、古いデータはサーバの引越しの際に消えることが多い。企業のサイトでもWeb文書は紙の文書をベースに伝送手段としてインターネットを使うような形で始まったこともあり、デジタルドキュメントデータをどう管理するかという決まりが企業としてあっても、Web文書は派生的な位置づけのままのところもある。
かつてはWebと別にSGMLやPDFなどで原本管理しようとしていたのが、Webだけでなくクライアントパソコンに詰め込まれたmailもPDFもOffice文書も横断的に直接検索可能にしようとしたり、文書ファイル中身はそのままにメタデータだけを集中的に管理しようとか、いろいろな試みがあって、結局文書管理のソリューションというのは宙に浮いたような感じになったのではなかったか。
しかし時代が下るに従ってWeb文書が世の中の前面に出てきて、紙やPDF以上によく読まれるものになって、文書を紙のアナロジーで考えるのは次第にピンボケになりつつある。むしろ文書とはコンテンツを共有するためのものだと考えれば、もっとも共有しやすいフォーマットを基準にデータ管理をみなおすべきで、やはり文書はWebで始まってWebでアーカイブするのが情報の循環という点でもよさそうだ。
アメリカにはAmericanMemoryというプロジェクトがあって17世紀以降の新聞をすべてhtml化していたが、保有するところがつぶれたらどうなるのかと思う。検索エンジンも元情報がなくなると効かないので、Blogなども含めて、本人が居なくなっても誰かが残す価値を感じたものはhtmlにして置いておく構造を社会的に決める必要があるのではないか。
(クロスメディア研究会 会報『VEHICLE』240号)