本記事は、アーカイブに保存されている過去の記事です。最新の情報は、公益社団法人日本印刷技術協会(JAGAT)サイトをご確認ください。
読めないものを何とかして読もうという志向が組版を発達させた。リテラシーを向上させた結果として、より難しいものを読むニーズも起こる。
かつては活版の職人の頭の中にしかなかった文字組版の規則が、写植の時代になり、コンピュータ組版の時代になりと、基礎技術が変化していく中でも、なんとなく継承発展できたのはなぜだろうか? それは文字の読みやすさには、漠然ではあるが背後に大原則のようなものがあって、全く異なる環境下にあっても似たようなことを志向するのだと思える。このことを飛躍して言うと、文字組版も人間工学的な発展をする、と断言できる。
そもそも日本の文字組版が、漢字の本場の中国や、活字の発祥のヨーロッパよりも複雑になったのは、日本が隣国の漢字も、ラテン文字も日本語と一緒に使うようになったからである。日本は世界的に見ると例外的に外国語歓迎の文化であったともいえる。しかし外国語を頻繁に使うことは自国内のコミュニケーションやリテラシーという点ではハードルが高くなることでもある。
例えばルビは漢字を読めない人が読めるようにするための、文字の並びのルールで、組版が複雑になってしまっても、それ以上の効果があると認められたからこそ普及した。さらに普通の日本人は漢文をそのままでは読めないのに、無理にヤマト言葉として読む方便として、レ点、一・二点、上・下点、甲・乙点などの補助記号や句読点を付けることが始まり、これらを邪魔にならないように組むルールが確立・普及していった。
和欧文混植も組版を複雑にしたが、外国語理解には貢献した。もし表音文字の1セットだけで日本語を表していたらなら組版は複雑になっていなかっただろう。逆に日本ネイティブには読めないものを何とかして読もうという意思が組版を発達させたし、さらにそこでリテラシーを向上させた結果として、より難しいものを読むニーズが起こり、古文の組版のようなものができていったと考えられる。
日本の組版の表現ルールは個々に見れば上記のような理由で積み上がったので多様でも、例えば「小学校低学年向け」というような読者対象とその理解度に合わせて、組版はセットでバランスするように考えなければならない。リテラシーの低い人向けにはアキが多く、専門家向けであると無駄な空間が目障りになるようなことも、バランスをとった結果であるし、このことは日本語に限らず世界共通である。
組版の問題は単なる読み易さの一般論で考えるよりも、読者となる対象が平易に読める部分はどこで、これからチャレンジして読みこなそうとしているところはどこかを想定して考えたほうがよい。つまり読み物が文学娯楽であっても実用書であっても、ページ内のコンテンツを通して人は何かを学習するのであり、学習の効率を上げるツールとして、また学習の邪魔をしないためとして組版のルールがあると言う意味で、人間工学的なものだといえるだろう。
(テキスト&グラフィックス研究会会報 284号より)