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人の意識を揺り動かす視覚の仕掛けに注目すると、次世代のコンテンツが浮かんでくるかもしれない。
人が起きている間は、たいてい何かを見ている。見ることは生きていることの相当大きな部分である。だから、人の「見る」という行為を通じてのコミュニケーションが盛んになる。コミュニケーションの原型は「話す・聞く」であろうが、同時に話ぶり身ぶり手ぶりという視覚情報も付随していて、脳は総合的な判断をする。さらに図像や文字の使用などがあって人間らしい文明・文化が発達をした。産業革命以降は、文章表現と印刷術、図像表現と写真術、というように「見る」コミュニケーションが加速的に拡張していった。
人が見る対象は、自分の身の回りの「現物」以外に、図像・印刷・映画・TVなどによる表現・再現が多くなり、それらを考案しコンテンツを生み出す産業が興った。これらは大体は「現物」の代用情報なのだろうが、クリエイティブなものは土台となる「現物」が存在しないことが多い。つまり「ない」ものを見えるようにする仕事が増えてきたともいえる。このような世界は実はもっと以前からあった。例えば奇術は英語ではイリュージョンで、現実には「ありえない」ものを見せている。
情報技術やディスプレイ技術の発達が何をもたらしているのかを考えると、映画、ゲーム、CG、などなど人々はイリュージョンを視覚の楽しみにしていることがわかる。これは即物的な感覚の楽しみと、想像力の楽しみの2つの要素があるように思う。想像力の楽しみは文字情報の時代からあって、いろいろな物語が残されている。文章でも想像を駆り立てることは十分にできるが、そのためのスキルは非常に高いものが要求され、図像によるものの方が、ある意味では人々を安易に想像させられるので発達することはTVが証明している。
あらゆる情報がデジタル化した結果、より緻密なvisualizationができるようになったのが今日である。映画のsfx、立体視、バーチャルリアリティ、などは想像力の個人差を超えて誰でも一定以上のインパクトを与えることができるものが、アミューズメントの世界では起こったし、産業分野にもそういった技術は活かされるようになってきた。言い方を変えると高度なvisualization技術は人による想像する範囲のバラツキを少なくすることでもある。医者がぼっとしたレントゲン写真を見るよりも、MRIのデータを3DCGにしたほうが判断の個人差は少なくなるだろう。それが今である。
さらに高度なvisualizationでリアルな表現がされていけば、感覚的なところもメディアで楽しめるようになる。大型のハイビジョンTVで高層ビル屋上での格闘シーンなどを見ると足元がすくむことがある。デジタルシネマも単なる映画の置き換えではなく、表現も新たなものをめざすようになるだろう。感覚表現とか感覚のトリックという分野もコンテンツ作りの中で重要になるので、視覚の面白さを再認識すべきだろう。前述の奇術も含めて、視覚トリックのおもちゃの楽しさや、肉眼では見難いものがはっきり見えたときの驚き、立体視による臨場感など、人の意識を揺り動かす視覚の仕掛けに注目すると、次世代のコンテンツが浮かんでくるかもしれない。
2009年9月1日 Visualizationシンポジウム 「見えることの楽しさ 」
(立体映像、視覚トリック、高性能カメラによる新しい映像制作、CG・SIGGRAPH報告などを予定。)